■ 日本の城郭巡り ■

 
旅紀行を楽しむ中、各地の城郭、城址の訪問は、その時代の歴史を見ることができます。
 
その地域にとってかけがえのない遺構が残り、石垣だけの処もあり、模造あり、様々な形で…
 
その地域のシンボルや安らぎの場として、大切な財産を感じながら楽しみます。
 
その時が続いているからこそ現在があり、その時の流れに思いを馳せて訪問しました。
 

今回は岐阜、郡上八幡城と名城100城の徳島城を掲載しました。

山形県米沢城址戦国時代後期には伊達氏の本拠地でもある。江戸時代には米沢藩として上杉景勝、上杉鷹山などの歴代藩主が居住した。 輪郭式に本丸、二ノ丸、三ノ丸を構え、10基の櫓と17棟の門が開かれた。上杉氏築城当時30万石の大名の居城であって、石垣や天守は構えず、土塁を築き本丸に2基の三階櫓を建てて天守の代用としていた。現在、本丸跡は上杉神社の境内であり、二の丸跡には米沢市上杉記念館(旧上杉伯爵邸)がある。 
  Photo Gallery2009. 3 米沢城址 上杉神社 
   2010. 5 桜咲く米沢城址 上杉神社 
   2010. 5 桜咲く米沢城址 上杉神社 
  訪問記録2009.4 上杉の城下町 上杉鷹山 
   2009.4 上杉の城下町 上杉神社 
   2009.4 上杉の城下町 二の丸跡・上杉記念館 
   2010.5 桜満開の上杉米沢城址 
   2010.5 上杉記念館と上杉廟所 
 
福島県会津若松城
 (鶴ヶ城)
日本100名城
 若松城は旧市街地の南端に位置し、郭内(武家屋敷)と町屋敷が外濠で隔てられ、さらに郭内の内側に内濠を有する梯郭式の平山城である。城跡は都市公園鶴ヶ城公園となっており、そのほとんどが国の史跡に指定されている。
 史跡外の三ノ丸跡には陸上競技場、市営プールおよび福島県立博物館がある。また、再建された天守は若松城天守閣郷土博物館として利用されている。
 
  Photo Gallery2007.5会津若松 鶴ヶ城 
   2008.5会津若松 鶴ヶ城 
  訪問の記録2007.5 会津若松城(鶴ヶ城) 
   2008.5 会津若松城(鶴ヶ城) 
 
福島県二本松城
日本100名城
 1341年、室町幕府より奥州探題に任ぜられた畠山高国が最初に居を構え、地名を二本松と呼称し、畠山氏7代当主、畠山満泰がこの地に二本松城を築いた。
 二本松市街地の北に位置し、麓の居館と、標高345mの白旗が峰に築かれた城郭からなる梯郭式の平山城である。
 現在は霞ヶ城公園として整備され、石垣と再建された箕輪門がある。山上の本丸には天守台、石垣が近年になって再構築された。城郭由来の建造物として、県指定文化財の茶亭「洗心亭」が、明治時代城内に再移築され現存する。
 
  Photo Gallery2008.5 二本松城址 
  訪問記録2008.5 二本松城址(見晴台から本丸城址へ) 
   2008.5 二本松城址(本丸城址から二の丸、箕輪門へ) 
   2008.5 二本松城址(三の丸庭園) 
 
新潟県春日山城
日本100名城
新潟県上越市にある中世の山城で、戦国武将上杉謙信の城として知られる。春日山城跡は国の史跡に指定されていて、南北朝時代に越後国守護である上杉氏が越後府中の館の詰め城として築城し、守護代として長尾為景が居城した。春日山山頂に築かれ、天然の要害を持つ難攻不落の城とされ、為景、晴景、上杉謙信(長尾景虎)、上杉景勝の四代の居城となった。 
  Photo Gallery2009.5 春日山城址 
  訪問記録2009.5 春日山城址を歩く(T) 
   2009.5 春日山城址を歩く(U) 
   2009.5 春日山城址を歩く(V) 
 
新潟県高田城
日本100名城
徳川家康の六男、松平忠輝の居城として天下普請によって造られ、縄張りと工事は舅の伊達政宗である。高田平野の菩提ヶ原に築かれた平城で本丸を取り巻くように二ノ丸、三ノ丸、北の丸を配し、関川、青田川などを外堀として利用し、すべての曲輪が土塁で石垣は築かれなかった。低湿地に築城されたため排水が重視され、城地には現在の技術水準から見ても遜色ない暗渠が張り巡らされていた。天守はなく、1614年に3重の三階櫓を建て天守の代用とした。当時の三階櫓の外観は不明で、江戸城の富士見櫓に似た外観であったと伝えられています。 
  Photo Gallery2009.5 高田城と桜 
   2009.5 桜咲く高田城 
  訪問記録2009.5 高田城址公園桜祭り(T) 
   2009.5 高田城址公園桜祭り(U) 
 
新潟県樺沢城址南北朝時代から戦国時代まで上田の庄(新潟県南魚沼市)として城下町があり、城跡の本丸は標高300mの山頂にあり、腰を帯曲輪が二重に取り巻き、 中腹以下を三重四重の空掘土塁で防御する堅固な山城です。 また、二の丸の奥には景勝公の胞衣(えな)を納めたと伝えられる「胞衣塚」が安置されています。 複雑な起伏と幾重もの防禦線を持った山城ですが、上杉家の家督争いの御館の乱では落城した。 
  Photo Gallery2009.7 樺沢城址 
  訪問記録2009.7 越後 六日町 樺沢城址(T) 
   2009.7 越後 六日町 樺沢城址(U) 
 
新潟県坂戸城址南魚沼市の坂戸山山頂(標高634m)に本丸、麓に平時の住居跡の遺構が見られ、魚野川をはさんで、三国街道を見下ろす交通上の要地に位置している。幼少時の上杉景勝、直江兼続の居城でもあった。南北朝動乱において、北朝方に立った上杉氏は、越後国南部から南朝方の新田氏らを放逐し、上杉憲顕のときに越後の守護に任じられたが、その家臣長尾高景の一族が文和年間(1352年〜1355年)に上田荘を領し、上田長尾氏と称して坂戸山を居城にした。越後府中(現在の上越市直江津地区)と関東平野を結ぶ陸上交通の抑え、魚野川を利用した河川交通の要所、さらに魚沼の穀倉地帯を擁する経済上の要地として重要な役割を担った。 
  Photo Gallery2009.7 坂戸城址 
  訪問記録2009.7 坂戸城址 
 
新潟県新発田城
日本100名城
鎌倉時代初期に新発田氏によって築城される。近くの新発田川を利用した平城であった。江戸時代の城郭建築が現存する城跡であり、石垣は石同士の接合部分を隙間なく加工して積み上げる工法である切り込みハギが用いられている。天守はなく本丸の北西隅に3重櫓を建て実質的な天守であった。表門と二の丸隅櫓は国の重要文化財に指定されている。新発田重家が上杉景勝に対して反乱を起こした(新発田重家の乱)1587年(天正15年)景勝により新発田城は落城、新発田氏は滅亡した。 
  Photo Gallery2010.2 新発田城 
   2010.2 新発田城 足軽長屋 
   2010.2 新発田城 下屋敷清水園 
   2010.2 新発田城 下屋敷清水園 
  訪問記録2010.2 新潟 新発田城 
 
長野県高島城
日本100名城
 城郭の形式は連郭式平城である。かつては諏訪湖に突き出した水城で「諏訪の浮城」と呼ばれていたが、江戸時代初めに諏訪湖の干拓が行われ、水城の面影は失われた。
しかし、浮城の異名を持っていたことから日本三大湖城の一つに数えられている。
 
  Photo Gallery2007.6 諏訪 高島城 
   2009.11 諏訪 高島城 
  訪問記録2007.6 諏訪の浮城 高島城 
   2009.11 諏訪の高島城 
 
長野県海津城
(松代城)
日本100名城
 正確な築城時期は不明だが、1560年(永禄3年)、甲斐国守護大名の武田信玄が、越後の上杉謙信の侵攻に備えるため家臣の山本勘助に命じて千曲川河畔の清野氏の館を改築させ、海津城を築いたといわれている。
 甲州流築城術の特徴を強く持ち、武田氏築城の代表的な城の一つである。千曲川を背後に控え、本曲輪を三方から二の曲輪が囲み、甲州流築城術の特徴である丸馬出及び三日月堀を有す。
 
  Photo Gallery2007.8 北信濃 海津城址(松代城址) 
   2009.5 北信濃 桜咲く海津城址 
  訪問記録2007.8 海津城址跡(松代城址跡) 
   2009.5 海津城址に織田の痕跡はあるか? 
 
長野県上田城
日本100名城
 上田盆地の北部に位置し、千曲川の分流である尼ヶ淵に面していたので、築城当初は「尼ヶ淵城」と呼ばれることもあった。
 北に太郎山、南に千曲川があり、築城前は土豪小泉氏の古い城館が存在したと伝えられる。城の南側は千曲川に接し、北側と西側に矢出沢川を引き込み総構えとし、唯一の攻め口である東側にも蛭沢川や湿地帯などがある。
 
  Photo Gallery2009.11 上田城址 
  訪問記録2007.8 上田城址散策 
   2009.11 上田城址の散策(T) 
   2009.11 上田城址の散策(U) 
 
長野県真田本城跡 戦時用の山城であり、平時の政務機能は麓にある真田氏館に置かれた。
 真田盆地の対峰に要害の地戸石城を望み、更に周囲の峰々にも数多くの支城群が連なり、単体の山城ではなく真田盆地を取り囲む山城群の司令部的存在と考えられている。
 
  Photo Gallery2007.8 上田菅平 真田発祥の地 
   2009.4 真田氏本城 真田氏居館跡 
  訪問記録2007.8 真田氏館跡歴訪 
   2007.8 真田本城跡歴訪 
   2009.4 真田氏本城 真田氏居館跡 
 
長野県小諸城
(懐古園)
日本100名城
 安土桃山時代から江戸時代にかけて、石垣を構築した近世城郭に改修された。現在のような構えとなったのは仙石秀久の改修によるもので、三重天守もその頃に建てられたが落雷で焼失。
 城郭は城下町よりも低地に縄張りされ、城下町から城内を見渡すことができ、このため穴城とも鍋蓋城ともいう別称がある。また、浅間山の田切地形の深い谷を空堀として利用しており、西側の千曲川の断崖も天然の防御陣として利用されている。
 
  Photo Gallery2007.8 信州 小諸城址(懐古園) 
  訪問記録2007.8 小諸城址(懐古園) 
 
長野県阿島陣屋知久氏は諏訪氏の一族といわれ、信濃国伊那郡を統括する鎌倉時代以来の土豪で、鎌倉時代は本拠地を知久平城に置き、その後神之峰城に移している。戦国時代、知久頼元が1554年武田信玄方に属さずに戦い敗れ処刑され、頼氏が信長、家康に仕えるが処刑される。次の代の頼直は家康に従い関ヶ原の戦いに出陣し、以後交代寄合旗本3000石となる。陣屋は1601年頼直の代に3年の歳月をかけ造られ、敷地には御殿、表御門、土蔵などがあった。以後12代頼温の代に明治維新を迎えている。石垣と茶室「曙月庵」が現存している。 
  訪問記録2007.7 阿島陣屋を巡る 
 
栃木県足利氏館
日本100名城
鑁阿寺(ばんなじ)は、栃木県足利市にある真言宗大日派の本山であり、足利氏宅跡(鑁阿寺)(あしかがしたくあと(ばんなじ))として国の史跡に指定されている。鑁阿寺はもともとは足利氏の館であり、現在でも、四方に門を設け、寺の境内の周りには土塁と堀がめぐっており、鎌倉時代前後の武士の館の面影が残されている。 
  Photo Gallery2008. 6 鑁阿寺・足利氏宅跡(T) 
   2008. 6 鑁阿寺・足利氏宅跡(U) 
  訪問記録2008.6 鑁阿寺・足利氏宅跡(T) 
   2008.6 鑁阿寺・足利氏宅跡(U) 
 
埼玉県川越城
本丸御殿
日本100名城
 武蔵野台地の北東端に位置する平山城。1848年(嘉永元年)に建られた本丸御殿の一部が現存する。二の丸跡は川越市立博物館、川越市立美術館となっている。三の丸跡地である埼玉県立川越高等学校の近くに小高い富士見櫓跡があり御嶽神社と浅間神社が建っている。
 川越城には天守閣はなく、城の中で一番高い所にあった富士見櫓が天守閣の代わりをしていた。富士見櫓は三層と考えられてきたが、近年発見された詳細な図面から、二層の可能性もある。
 
  Photo Gallery2007.10 川越城 川越御殿 
  訪問記録2007.10 川越城 本丸御殿 
 
千葉県館山城址里見義頼により1580年(天正8年)館山城が築城された。その後、1614年(慶長19年)に里見氏は改易され、館山藩は取り潰しとなり館山城も廃城、破却された。1781年(天明元年)稲葉正明が館山藩主となって館山に入ったが城を再建することはなく、城の麓に陣屋を構えた。現在建つ天守は、犬山城を模して1982年(昭和57年)に再建された模擬天守です。 
  訪問記録2010.4 館山城城山公園 
 
東京都赤塚城址 康正2年(1456年)に市川城から移った千葉自胤によって築城、赤塚千葉氏は後北条氏の有力な家臣として活躍したが、天正18年(1590年)に豊臣秀吉の小田原征伐で後北条氏が滅亡すると、千葉氏も所領を没収され、赤塚城は廃城になった。
 中世の平山城だが、実際には砦程度の規模。本丸跡を示す石碑の他には空壕などの遺構がわずかに残るのみである。
 
  訪問記録2007.11 赤塚城址 溜池公園 
 
神奈川小田原城
日本100名城
戦国時代から江戸時代にかけての平山城で城跡は国の史跡に指定。平安時代は相模国の豪族土肥氏一族である小早川(小早川氏の祖とされる)の居館であったが、室町時代中期、駿河国に根拠を置いていた大森氏が奪って、以後北条氏政、北条氏直父子の時代まで戦国大名北条氏の5代にわたる居城として関東の中心であった。豊臣秀吉が天下統一の仕上げとして小田原合戦で無血で開城させ、北条氏の領土は徳川家康に与えられ、江戸城を居城として選んだ家康は腹心大久保忠世を小田原城に置いた。 
  Photo Gallery2006.10 小田原城 
 
山梨県躑躅ヶ崎館
(武田氏館)
日本100名城
 甲斐国守護武田氏の本拠である甲府に築かれた館で、守護所が所在した。現在、跡地には武田神社がある。
 戦国時代に築かれた甲斐源氏武田氏の本拠地で、居館と家臣団屋敷地や城下町が一体となっている。信虎、信玄、勝頼3代の60年余りにわたって府中として機能した。
 
  Photo Gallery2007.9 武田神社と躑躅ヶ崎館跡 
  訪問記録2007.9 武田神社 
   2007.9 躑躅ヶ崎館跡 
 
山梨県甲府城
日本100名城
 甲府盆地北部、現在の甲府市中心街の一条小山に築城された中世から近世にかけての平山城である。
 甲斐国では戦国期から甲府が政治的中心地となり、躑躅ヶ崎館(武田氏居館)を中心とする武田城下町が造成されたが、武田氏滅亡後に甲斐を領した徳川氏や豊臣系大名が甲斐を支配し、甲府城を築城して新たに甲府城下町が整備された。
 現在、本丸、天守曲輪及び天守台、稲荷曲輪、鍛冶曲輪の石垣、堀の一部が残っている。
 
  Photo Gallery2007.9 甲府城址 
  訪問記録2007.10 甲府城跡 舞鶴城公園 
 
岐阜県高山陣屋高山陣屋は、江戸幕府が飛騨国を直轄領として管理するために設置した代官所・飛騨郡代役所(陣屋)。元々飛騨高山藩主であった金森氏の下屋敷だったが、1692年に幕府が飛騨を直轄領とした。母屋は1816年に改築されたものが残っている。敷地内の土蔵は、元々慶長年間に高山城内に建設され、1695年に現在地に移築されたものである。 
  Photo Gallery2009. 4 高山陣屋 
  訪問記録2009. 4 高山陣屋(T) 
   2009. 4 高山陣屋(U) 
   2009. 4 高山陣屋(V) 
 
岐阜県郡上八幡城郡上八幡城の起源は戦国末期に郡上一帯を東氏が支配していた。 東氏は郡上八幡の町を挟んだ反対側にある東殿山に東殿山城を構えていたが1559年に八幡山に砦を築いた遠藤盛数に滅ぼされた。 遠藤氏は東殿山城を奪い郡上一帯を支配したが、そのまま八幡山の砦を拡張して城郭として整備したのが郡上八幡城の始まりです。 元々、石垣などは整備したが明治まで天守はなかったという。 現在の天守は大垣城を参考に1933年に模擬天守として全国的に珍しい木造で建築された。 
  Photo Gallery2013.11 郡上八幡城 
  訪問記録2013.11 郡上八幡城 
 
愛知県名古屋城
日本100名城
国の特別史跡の名古屋城は、戦国時代の那古野城跡に、徳川家康の天下普請によって築城されました。以降、徳川御三家として明治まで続きました。天守閣、小天守、櫓、御殿など多くの文化財が、昭和初期まで現存していたが、第二次大戦の名古屋空襲で、天守閣、小天守、御殿が焼失。戦後、天守などが復元されたが、外観復元でコンクリート製です。現在、御殿を復元工事中でした。3ヶ所の櫓と表二之門が現存していて、国の重要文化財に指定されています。また御殿内にあった一部、壁画なども乃木倉庫に保管したため焼損を免れました。 
  Photo Gallery2011. 5 名古屋城(T) 
   2011. 5 名古屋城(U) 
  訪問記録2011. 5 名古屋城(T) 
   2011. 5 名古屋城(U) 
   2011. 5 名古屋城(V) 
   2011. 5 名古屋城(W) 
 
三重県伊賀上野城
 
伊賀上野城は上野盆地の中央にある上野台地にある標高184mの丘にある平山城で、織田信雄の家臣、滝川雄利は平楽寺の跡に砦を築いた。 その後天正13年(1585年)に筒井定次によって改修を受け、慶長16年(1611年)に徳川家康の命で藤堂高虎が拡張したが、豊臣家の滅亡で築城が中止され、本丸、二ノ丸などの主要部分は城代屋敷を除いて未完成のまま明治を迎えている。 
  Photo Gallery2012. 8 伊賀上野城 
   2012. 8 伊賀上野城 
  訪問記録2012. 8 伊賀上野城 
 
京都府二条城
世界遺産
日本100名城
建物は江戸時代の武家風書院造りで正面の一番目立つ車寄に続いて遠侍、式台、大広間、蘇鉄の間、黒書院、白書院の六棟が連なるように建てられている。 初期の庭園は家康時代に造園され書院造りに調和させて神仙蓬莱の世界を表現したと伝わる。 本丸の内濠は外濠と同じ規模で、伯父の家康を深く尊敬した三代将軍家光の時代に拡張された。 江戸幕府が朝廷に大政奉還した城です。 
  Photo Gallery2014.12 二の丸御殿 
   2014.12 二の丸御殿 
   2014.12 本丸御殿 
   2014.12 本丸御殿 
   2014.12 天守の展望 
   2014.12 二の丸 
  訪問記録2014.12 二条城の周囲を見聞
   2014.12 二条城の二の丸御殿に突入!
   2014.12 二条城 本丸御殿
   2014.12 二条城の二の丸
   2014.12 二の丸 清流園から東大手門へ
 
石川県金沢城
日本100名城
 金沢平野のほぼ中央を流れる犀川と浅野川とに挟まれた小立野台地の先端に築かれた戦国時代から江戸時代にかけての梯郭式の平山城である。
 櫓や門に見られる、白漆喰の壁にせん瓦を施した海鼠壁と屋根に白い鉛瓦が葺かれた外観、櫓1重目や塀に付けられた唐破風や入母屋破風の出窓は、金沢城の建築の特徴である。
 
  Photo Gallery2006.8 金沢城 
   2008.11 金沢 兼六園(T) 
   2008.11 金沢 兼六園(U) 
  訪問の記録2006.8 金沢城〜兼六園 
   2008.11 金沢 兼六園(T) 
   2008.11 金沢 兼六園(U) 
 
岡山県岡山城
日本100名城
戦国時代に、備前西部から美作、備中に勢力を伸ばした宇喜多氏が本拠としたことで近世城郭の基礎が生まれ、その後小早川氏、両池田氏により整備、拡張が行われた。城の縄張は梯郭式で、三段の城郭配置が西側の一方だけに広がる平山城となっている。本丸の北から東には郭の無い非常に防備が薄い縄張であり、旭川の流路を変更し、天然の堀として東側の備えに利用した。さらに郭の代りとして、後楽園が築かれた。 天守は4重6階の複合式望楼型で、特に初重平面形状が歪んだ多角形をしている。 
  Photo Gallery2010.8 岡山城(T) 
   2010.8 岡山城(U) 
  訪問記録2010.8 岡山城 廊下門 
   2010.8 岡山城 天守閣 
   2010.8 岡山城郭内 
 
広島県福山城
日本100名城
近世城郭で最も新しい城で備後福山藩として1622年に完成した。形式は輪郭式の平山城で、かつては二重の堀や瀬戸内海へ抜ける運河があり五重の天守と7基の三重櫓を有する大規模な城郭であった。彦根城などとともに国宝だったが本丸を除き大半が市街地と化すなど遺構の破壊が進み、大戦の空襲で天守も焼け、石垣も本丸と二の丸の大部分と三の丸のごく一部に残り、櫓は1基が現存するのみとなっている。 
  Photo Gallery2010.11 福山城 
  訪問記録2010.11 福山城天守 
   2010.11 福山城本丸 
   2010.11 福山城本丸 二の丸 
 
広島県広島城
日本100名城
中国地方9ヵ国120万石の毛利氏は1589年(天正17年)、交通の要衝で海上交易路にも重要な広島の平野部に広島城を近世城郭として築城した。関ヶ原の後、1600年(慶長5年)に福島正則が毛利輝元に替わって広島城に入城したが、幕府に無届けで修築した為改易に遇い、その後は、明治時代に至るまで12代約250年間にわたって浅野氏の居城であった。 
  Photo Gallery2010.7 広島城(T) 
   2010.7 広島城(U) 
  訪問記録2010.7 広島城 表門から二の丸へ 
   2010.7 広島城 本丸へ 
   2010.7 広島城天守 
   2010.7 広島城内濠を歩く 
 
徳島県徳島城
日本100名城
戦国時代にさかのぼると阿波の地は群雄が割拠し、幾度も城主が入れ替わった。 しかし土佐の長曾我部氏が侵攻して平定したが、1585年に豊臣秀吉によって平定され勲功の蜂須賀氏が阿波国の城主になる。 以後、江戸時代を通して徳島藩として蜂須賀家の居城となり明治維新を迎えた。 大戦の空襲で唯一現存していた鷲之門も焼失したが平成元年に復元された。 
  Photo Gallery2012. 5 徳島城址 
  訪問記録2012. 5 徳島城址 
 
愛媛県今治城
日本100名城
1602年(慶長7年)、藤堂高虎によって築城開始され1604年(慶長9年)に完成した。構造は、三重の堀に海水を引き入れた特異な構造で、当時は海から堀へ直接船で入ることができるなど海上交通の要所今治らしく海を最大限に活用した城となっている。日本三大水城の一つに数えられている。 
  Photo Gallery2008.10 今治城(T) 
   2008.10 今治城(U) 
  訪問記録2008.10 今治城(鉄御門、内濠からの景観) 
   2008.10 今治城(二の丸から本丸へ) 
 
愛媛県大洲城
日本100名城
江戸時代から残る台所櫓、高欄櫓、南隅櫓、肱川堤防上にある苧綿櫓が国指定重要文化財で、天守は本来ならば建築基準法で、木造建築では認められない規模だったが、建築基準法の適用除外が認められ、しかも内部構造を知ることができる資料が充実していたため、当時の姿がほぼ正確に復元されている。 
  Photo Gallery2012. 5 大洲城 
  訪問記録2012. 5 大洲城 
 




















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