■ 国宝 現存五天守 ■ |
旅紀行を楽しむ中、各地の城郭の訪問は、その時代の歴史を見ることができます。 維新後、多くの遺産が廃却された中で、保存に努力した人々の苦労が実ります。 その時が続いているからこそ現在があり、その時の流れに思いを馳せて訪問しました。 |
現存天守は必ずしも創建当時の建物をそのまま保存されているものということではなく、姫路城や彦根城のように、修復などを繰り返しほぼ創建当時のままを維持、保存に至るもの。 犬山城、松本城、高知城、松江城などは現存天守が在籍していた城が存城であった当時に再建、改築されたものがほぼそのまま残っているもの。 備中松山城、松山城、弘前城、丸亀城などは付属する一部の建物を焼失または改築されたもの。 宇和島城は明治維新以降に保存されるまでの経緯で付属する建物を撤去、または損失したことにより主に主体のみが保存されることになったもの。 丸岡城は損失したが遺材を組み直して再建されたもの。 これら現存12天守の中で、国宝に指定されている現存五天守について、一覧にして見ました。 | ||||
兵庫県 | 姫路城 | ![]() | 望楼型5重6階地下1階の大天守と3重の小天守3基を2重の多聞櫓で連結させた連立式の天守で、日本国内最大の現存天守である。 白漆喰で塗られた白亜の外壁と屋根や破風の構成美の上、見る方向により異なった趣となる連立式であり、また桃山後期から江戸初期当時の建築の技を現代に伝える代表的な城郭と言われている。 また、「現存12天守」で唯一、天守内に神社(長壁神社)がある。 | |
Photo Gallery | 2008. 2 姫路城 (内濠、桜門、桜門橋、三の丸からの景観) | |||
2008. 2 姫路城 (菱の門、西の丸からの景観) | ||||
2008. 2 姫路城 (西の丸、ぬの櫓、化粧櫓、ろの門) | ||||
2008. 2 姫路城 (油壁、塩櫓、搦手口、備前丸) | ||||
2008. 2 姫路城 (本丸内部) | ||||
2008. 2 姫路城 (帯郭櫓、二の丸、ぬの門、るの門、三国壕) | ||||
訪問記録 | 2008. 2 姫路城と西御屋敷跡庭園好古園へ | |||
滋賀県 | 彦根城 | ![]() | 複合式望楼型3重3階地下1階の天守で、幕府の天下普請による。 飾り外廻縁と高欄を持ち、切妻破風、入母屋破風、千鳥破風、唐破風が組み合った複雑な構造美と輪郭の荘厳な景観の意匠となっている。 また、文禄・慶長の役の際に朝鮮半島に造られた倭城にも見られる「登り石垣(竪石垣)」や大名庭園「玄宮園」も現存する。 | |
Photo Gallery | 2009. 9 彦根城 いろは松と佐和口多聞櫓からの景観 | |||
2009. 9 彦根城本丸を囲む内濠と石垣、表門、大手門橋 | ||||
2009. 9 彦根城 表門、廊下橋、天秤櫓、太鼓門櫓、西の丸櫓 | ||||
2009. 9 彦根城 天守閣 | ||||
2009. 9 彦根城 名勝 玄宮園 | ||||
2009. 9 彦根城 埋木舎と白鳥 | ||||
訪問記録 | 2009. 9 彦根城 | |||
愛知県 | 犬山城 | ![]() | 複合式望楼型3重4階地下2階の天守で、大入母屋屋根の建築の上に外廻縁側を突出させた小規模な望楼を上げた形状は丸岡城天守と同様である。 この天守は最上階に実用的な外廻縁と高欄が付けられ、華頭窓も付けられているが、実際は窓ではなく装飾である。 小屋裏となる3階にも唐破風出窓を設けて採光が考慮されている。 | |
Photo Gallery | 2006. 6 犬山城(木曽川からの景観) | |||
2006. 6 犬山城(本丸) | ||||
2006. 6 犬山城(本丸内部と天守からの景観) | ||||
訪問記録 | 2006. 6 犬山城 | |||
長野県 | 松本城 | ![]() | 層塔型5重6階の大天守と3重4階の乾小天守、2重の辰巳附櫓と月見櫓を付属させた複合連結式の天守で、「現存12天守」の中では唯一平城の天守である。 破風が少なく黒塗りの下見板がめぐらされているため、漆黒で簡素な外観であるが、複合連結式であるため見る角度によって異なる印象の意匠を見ることができる。 | |
Photo Gallery | 2009.11 秋の松本城 | |||
2009. 5 春の松本城(外郭からの景観) | ||||
2009. 5 花の松本城(本丸内の景観) | ||||
2009. 5 花の松本城(天守の景観) | ||||
2007. 6 松本城 | ||||
訪問記録 | 2009. 5 花いっぱいの松本城 | |||
島根県 | 松江城 | ![]() | 1600年(慶長5年)関ヶ原の戦いで戦功のあった堀尾吉晴と子の堀尾忠氏が隠岐、出雲を得て月山富山城に入り松江藩が成立。 しかし月山富山城は中世の山城で近世城下の形成には不都合が多かった。 このため地域的に有利な宍道湖と中海を結ぶ太田川の近くに新しい城地に選んだ。 こうして海運や街道上の便利さも含め、親子の世代で松江城の完成を目指した歴史がある。 | |
Photo Gallery | 2018.11 松江城の史跡1 | |||
2018.11 松江城の史跡2 | ||||
訪問の記録 | 2018.11 松江城の史跡歴訪 | |||
2018.11 松江城の城郭の歴史 | ||||
2018.11 松江城本丸から内濠の歴史 |