■ 妻籠宿の歴史散歩(青コース) ■

休憩処を探しに変形四差路に向かうと丁度、角地に観光案内所があった。 ここで同世代の夫婦連れに気持ちの良い早朝の挨拶。妻籠宿から馬籠宿へ観光予定をしているそうで暫く談笑した。 お互いに記念撮影をして、妻籠宿での映像を得る事ができ、男同士、女同士それぞれ旅の楽しさを話し合う。 10月には御嶽山に登山すると聞き、今WEB作成しながら、10月は孫の運動会が連続して予定があり、 旅紀行は何時にするか決めかねている。


観光案内所は斜面の地にあり石垣上に建てられ白い板塀の建物です。 やっと休憩でき喫煙できる。周囲の町並みは軒が重なり、更に「うだつ」の一種の土塀を見れる。 街並みは江戸時代からの景観が楽しめる。



「うだつ」の一種の土塀

妻籠宿観光案内所




案内所に入ると妻籠の歴史が盛り沢山で、昔の写真から工芸品、妻籠ニュース、名勝見処、年間行事、お食事処、 宿泊案内が案内されていた。所内はこんな感じで地元の人々も会合の場所として利用している。







休憩後に案内所から四差路を見渡すと光徳寺と云う案内板を見つけ小道に入った。 街並みより高台にあり石垣が築かれ白壁に囲まれている。石段を上がると山門がある。 明応9年に開山され、お寺の前には枝垂れ桜が迎えてくれる。 此処からの見晴らしは山々が青空に映えて街並みが絶景です。



ここから入る


山門は閉ざされていたが、脇の門から境内に入った。脇門の方が規模が大きく境内には本堂を中心にお堂や鐘楼が並んでいる。 庫裡内には天井に馬が引く御車が展示してある。 珍しいので映像に残した。光徳寺の扁額は質素で飾り気がなく歴史を感じる。

左から山門、鐘楼、そして小さな社

本堂


光徳寺から見る宿場町は高台から木曾路の昔ながらの風景を感じさせてくれ、 時代と共に少しずつ変化し昔の景観を維持してる。この地の人々の努力と工夫を感じる。 山間の妻籠の人々は、世の中が大正、昭和、平成と経済成長を続ける中で、町の生き残りをかけ昔の時代の町並みを保存しようとする、新たな町起し に奔走してきた。全国に先駆けて保存運動を始め、「家や土地を、売らない、貸さない、壊さない」を合言葉に、 貴重な昔の町並みを財産として後世に残そうと努力している。 私の人生は、技術革新の真っ只中に、身を置く人生でした。対照的な人の生き方を見分させて貰う機会でした。

小さな社には覆いが…




宿場町は幕府の命により設置されたが、街道の通行路を防御のために侵入路を鉤型に曲げて造られた。 それが枡形の道として宿場町の中程に造られ、光徳寺から街道筋に下りた処に、その枡形の史跡が残ってた。 道幅も当時のまま歴史観溢れる一帯で、周囲をぐるっ〜と回ってみた。

枡形の説明板

枡形の跡地


枡形の跡地は古い苔むした石垣に囲まれ、情緒が残っている。この付近は特に宿場町の景観がそのまま残っていた。 鉤形の路が残り、新しい道も生まれ宿場の中心部の建物も古式蒼然とした景観で映画のセットに使えそうな気がする。 有形文化財もあり時間をかけて見学。








旅館


色濃く残る宿場町の景観を楽しむ。ずぅーと回って一番のお気に入り。 その一角に下嵯峨屋の建物が保存されていた。 案内は初めは長屋だったが、その内一戸を昭和の時代に解体復元した。 妻籠の庶民の住居を代表する古い形式の建物です。内部を見ると片土間に二間の間取りです。

下嵯峨屋(有形文化財)

片土間に二間取りの形式


下嵯峨屋の屋根も昔のまま復元してある。昔は板屋根に石で押えていた状況がよく判る。 鉤形の道に新しい道がつくられ、枡形の跡が三角形の形として残っていた。



枡形の跡


同じ旅仲間にも巡り合い会話も弾んで楽しいひと時を過ごした。 同じ処をクルクル回ったが、様々な角度から映像を捉えた。 同世代の夫婦連れとはここでサヨナラしたが、後半の楽しみが続きそうな予感がする。

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