■ 奈良井宿の歴史散歩 ■
日帰り温泉施設(代山温泉せせらぎの湯)から20km弱の距離を走り、 奈良井宿に到着したのは午後7時で早速、民宿に荷物を入れ記帳してから、奈良井宿を散歩。 夜にもなるとこの時期では冷え込み、紅葉に向かっている実感がわく。 左手に缶ビール、右手にカメラを持って歩く姿は異様にも見えるかも!
木曽川に沿う形の奈良井宿は川の向こうに国道19号線が通っている。 一部、最も近くなる処に大きな駐車場があり川を跨ぐように太鼓橋がある。 奈良井宿に入る時、国道から見た太鼓橋に興味を惹かれ冷え込んでいるが、民宿から来てみた。


案内板に檜造りの木曾の大橋と云われ、橋の途中に橋脚が無く、ライトアップされた美しい太鼓橋です。 今夜はその映像を手に入れ宿に戻り、今日の撮影した映像をパソコンに保存、明日早朝の歴史散歩の準備をした。






朝だ〜ぁ!美味しいビールを飲んでぐっすり睡眠をとり快適な朝を迎えた。 散歩の支度をしてJR奈良井駅まで、ここから歴史散歩のスタート。 最初の印象は古い建物が並んでいるが、この付近は道幅がとても広い。 区画整理で道路が整備され、その後に建物が建てられたという感じを受けた。 情緒感を高める町造りがされていた。


駅前の広場には木曾路奈良井宿の案内板があった。解説は後回し、その隣には木曾の代表的な樹が植えてある。 木曾と云えば日本の森林の資源の代表的な地域。 それぞれ見ていくと、ひのき、さわら、ねずこ、あすなろ、こうやまき。の看板があり、これを木曾の五木と云われている。

中山道奈良井宿案内図

木曾を代表する五木


しばらく進むと道路は急に狭くなり、江戸時代の面影を残す直線的でない道筋に商いのお店が並んでいた。 夜半に来た時は気が付かなかったが、お気に入りの映像を撮る事ができた。

奈良井宿は木祖村との間に鳥居峠があり、私達は昨日19号線でトンネルを抜けたが、昔はこの峠が難所で、 行き来する人々の喉の渇きを癒してくれたのが、アチコチにある水場でした。 現在でもその水場が再現され町中の数ヵ所で見る事ができる。 森林の水資源の恵みを美味しい水として今でも恩恵を受けていた。














街道筋には郵便マークや旅籠、商い処の面影を余すことなく感じる事ができる。 和傘や暖簾が趣向を凝らして町並みの景観にアクセントを与えていた。
街道筋に建ち並ぶ建物が画一でなく、この地独特の形を造っている。 NHKの連続ドラマは全国各地のロケ地で撮影される。 ここ奈良井宿でも「おひさま」のロケ地として、いくつかの景観を見る事ができた。










奈良井宿は中山道の宿場町としては比較的大きな宿場町。 京都と江戸を繋ぐ重要な数多くの宿場町の中の一つとして国重要伝統的建造物群保存地区の指定を受けた。 実際、妻籠宿でも同様の景観を見てきたが、建物の造りが似ていた。 それでもどこか違和感があり、暫くは気が付かなかったが途中で道筋に水路が無かったことに気が付いた。 道路があまりにも綺麗に整備され水路は地下に。 現代人には違和感がないが江戸時代は水路は道と同じくらい重要視されていたと思う。



奈良井宿の庚申塚と水場、そして重要伝統建築物の選定の碑、道筋が広くなったり狭くなったりで、建物が連続している。 二番目の水場で休憩を取った。
水場の傍の空き地には秋の花コスモスが咲き、秋の気配を感じた。 時間は8時前で早朝散歩は順調。 約1qある宿場町は半分も来てない。 ここまでは駅から町の中心部を歩いてきた形になった。 これから上町と云われる京都方面へ向かう。 江戸時代は上方が中心に考えられていたから、江戸方向は下町と云う分けです。


庚申塚と水場の休憩地点から歴史散歩を再開した。 最初に目に付いたのが大宝寺と云うお寺です。門柱にはマリヤ地蔵庭園の門柱もあり、本陣跡か脇本陣かと興味を持って脇道に入って行った。 山門が美しくこの地の大切な役割をしていると感じる。ひっそりとした境内はそれほど広くはないが、本堂は山を背に長い歴史を持っていると感じた。 肝心のマリアの地蔵庭園はと探したが、静寂な境内を歩く度に玉砂利の音が響くので遠慮してしまう。



大宝寺山門
大宝寺入口

大宝寺本堂

このあたりは徳利屋という郷土館があり、茶房、手打ちそば、休憩処を兼ねている。 またアクセサリー店はパウザ・ディ・クローマとお洒落な店名です。 ドライフラワーの工房もあり、特徴あるお店が続いている。 休憩処が目に付き観光客が散策で、ひと時の休憩と軽食として、この地の食事を楽しむ場所が町に多くある。

アクセサリーのパウザ・ディ・クローマ

ドライフラワーの大阪屋

ドライフラワーの作品

ここは民家

お休み処 木曾路の味五平餅が売り
徳利屋郷土館

ドライフラワーの作品

徳利屋郷土館



何か発見できそうな路地

この奥に本陣跡の案内と郵便局がある。やっと見つけた思いで路地に向かった。 ところが本陣跡の石柱があるだけで、どこにも本陣跡はなかった。神社があるが妻籠にあったような建物は無いと云う事か! 駐車場の様な広場の奥へ奥へ探しに向かうと…。
あれ!どこかで見た景色。と思ったらここは大宝寺の境内の中でした。この鐘楼は大宝寺の鐘楼でした。 またまた残念!

本陣跡の石柱



いつの間にか大宝寺の境内へ…

郵便局

今まで散歩してきた奈良井宿の景観
奥に神社





奈良井宿観光案内所

これから向かう奈良井宿の景観

奈良井宿観光案内所から少し先に上問屋史料館がある。大きな石碑は明治天皇の行幸の碑です。 現在、史料館は古文書や工芸品などを展示して国重要文化財です。 元々問屋は各宿場にあり、幕府、各大名、旅人の為に伝馬や人足を常備してあり、旅の需要に応じた所を云う。 宿場町の大きな役目のひとつでした。

上問屋史料館

間口より奥行きのある家屋
屋根のひさしが特徴の商屋

両側に長泉寺の案内板が…

また素敵な路地を見つけた。長泉寺と両側に案内板があり行って見た。 質素なお寺の様子で山門の脇から車も出入りでる。江戸時代に宇治採茶使が江戸へ向かう時に、毎年長泉寺に泊まったそうです。 幕府から拝領の茶壺が残されていた。境内を一回りして街道に戻る。

長泉寺



長泉寺から街道の景観が素敵

最近見る事の少なくなった日の丸、そういえば9月は敬老の日や秋分の日の祭日が多くあるから、 暦の巡り会わせで連休が続き2009年の時は黒部峡谷、立山室堂、彦根城、比叡山延暦寺の長い旅路を思い出した。 日の丸の反対側には山の市場と云うお店がある。 開店前ですがお店を覗くと地場の物産店でこの地の特産が並んでいた。



鉤の手の道筋


ようやくたどり着いた。ここが宿場町の鉤の手と呼ばれる路地で街道を意識的に鉤型に曲げてある。 幕府の方針で一気に軍勢が入り込まないようにする防御的意味合いの町作りを見る事ができる。 道筋に枡形(妻籠宿にもあった)や鉤の手が残る処は町並みの印象が深く変わる。…これも楽しみのひとつです。

水場 荒沢不動尊

鉤の手の処に水場と荒沢不動尊、鉤の手の石柱もあり、ここで小休憩した。 古い町並みを歴史散歩してきたが、建物の軒の高さである程度の建築年代がわかるという。  江戸末期から明治までは3.6〜4.3m程度で、大正から戦前までは5〜5.7mあり、戦後は6m以上ある。 歴史散歩していて町並みを見学する時に、軒高の高さと家屋の高さで歴史を見てはいかがでしょうか!

奈良井宿の歴史散歩も後半になる。 有形文化財の中村邸、やや上の方から見た奈良井宿の景観、南端に位置する奈良井宿の守り神社、SLまで見る事ができた。
中村邸は町屋建築の典型として市有形文化財に指定。櫛問屋を営んでいた中村邸は江戸末期の建物で、 1階の重い庇には垂木と鎖で補強してある。この地特有の積雪に耐えるよう大きく軒を出してある。



中村邸の全景

民芸会館


中村邸入口

街道が緩やかな登りになってきた。知らないうちに振り返ると町並みの景観が上方からの視点になり、 もう少し進むと神社があり、そこの石段から町並みを撮影してみた。軒の上が見えるので景観が変わった。
丁度、神社の入口の所は枡形で道筋が変化している。奈良井宿の外れで見上げると妻籠宿でも見た高札場が復元されていた。 ここから鳥居峠の登り口にあたり鎮神社がある。



街道筋を真直ぐ来ると石段に…

復元された高札場


鎮神社の鳥居から入ると正面に御神木、神楽殿がある。 奈良井宿の疫病を鎮めるため鎮守として下総国の香取神社から勧請された鎮神社と云われる。






鎮神社の正面に回るといつも見る神社と様子がおかしい?よく見ると神社が覆われていた。 よく見えないが格子の付いた覆堂の中に本殿がある。雪深い木曾地方の神社の姿を見れる。 境内の山側に上ると小さな社が覆堂に囲まれている。

山奥にもう一つの社が…

…ここから本殿を見ると


奈良井宿の鎮神社から木曽川に向かい、川のほとりを散歩して車に戻ろうとJRの線路を渡る。 コスモスの花と町の景観が美しい。踏切を渡ると駐車場にSLが展示されていた。 木曽川に沿って木曾大橋へ向かい長閑な山村を見れる。 木曾大橋の一帯は水辺公園で芝生が広がり、犬の散歩や観光客がチラホラ見える。






今日は旅の最終日、朝方に奈良井宿の歴史を散歩して充実感がいっぱいで東京に向けて出発する。 今回、木曾路の木工品の寿司ご飯を入れる樽桶を買い求める。木曾地方は今回が初めて、興味多い所が沢山見つかった。 また機会をつくり旅紀行を考えます。

東京に戻るには国道19号線を塩尻市に向い長野自動車道の塩尻ICから中央高速へ乗り継ぐ。 午前中の高速道はガラガラで1時間で100qと確実に距離を稼ぎ双葉SAで休憩後、都心に向かった。 お昼に自宅に到着して午後はノンビリと過ごした。 案の定、夕方のテレビでは三連休最終日の高速道の渋滞情報が映されていた。

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