■ 金鳳山平林禅寺の散策(赤コース) ■

紅葉が関東にも近づいてきた。 アチコチの公園でも紅葉をチラホラ…。 そこで近くの紅葉スポットをWEBで検索! 自宅から10km程で30分もあれば行ける処に平林寺を見つけた。 武蔵野の雑木林が国の天然記念物になって、境内も広く散策には最高のお寺です。 8時過ぎに自宅を出発し、川越街道を新座市へ向かう。 平林寺の周りを周回し駐車場を見つけた。 そのおかげで野火止用水も知る事ができた。


道路を挟んで平林寺の総門がある。 私と同じ世代のサークルのグループが団体で拝観受付をしてる。 道路から正面撮影。林のトンネルの様な日差しの無い場所だが、それがかえって雑木林の中にいる感じがする。 総門から閑静な境内は山門まで一本道。 最初に右手に境内に沿っての小道がある。 左手は境内の案内図の向こう側に広場があった。

総門

右手の小道
参道

左手の境内

山門は入母屋造茅葺の楼門で、左右に金剛力士像が配されている。ここに佇み仏殿を見ると楼門が一つの 枠で、その中に仏殿と紅葉の絵として見るととてもいい感じの景観。

山門

山門から見た仏殿


金鳳山平林寺は、1375年(永和元年)の南北朝時代に、武蔵国の埼玉郡、現在のさいたま市岩槻に創建された。 戦国時代には、豊臣秀吉による小田原征伐の戦禍を受けた。 平林寺も多くの伽藍を失い、塔頭のひとつ聯芳軒が辛うじて焼け残った。 その後、関東に領地替えとなった徳川家康が鷹狩に訪れ、聯芳軒に立ち寄り、平林寺の由緒を聞いた家康は、平林寺の再興を約束し、資金と土地を寄進した。 そして1592年(天正20年)、平林寺の中興が果たされ、平林寺は建長寺派、大徳寺派の系譜を経て、妙心寺派になった。

さざれ石



高野槇


山門と仏殿の境内の両側には由緒ある「さざれ石」と「高野槇」が並んでいる。 さざれ石は島根県出雲仏教山のもの、高野槇は樹齢500年と云われる。 丁度、日差しの位置も良く紅葉が鮮やかに見える処で暫く時間を過ごした。 仏殿の正面には内部がよく見えるように木枠が大きい。 内部中央の檀には釈迦、阿難、迦葉の三尊像が安置されている。

仏殿

経蔵

三尊像




左手に木々に囲まれ苔むした石垣上に、外縁のある宝形造りの経蔵がある。 ここから見る山門も結構いい感じの景観。経蔵など周囲を暫くぐるぐる回って建物の形を見学。 先に入った同世代のグループが列をなして、カメラを手に持ち様々な角度から思い思いに撮影しながら鐘楼の方に進んでいく。 通り過ぎた後は、再び静寂感漂う武蔵野の平林寺の雰囲気が戻ってきた。

戴渓堂の撮影は、グループの最後の人が撮影が終わり次は私の番です。 同じ映像では癪に障るから変化をつけ、手前に樹木を入れ、低い位置から撮影。 境内の中を野火止用水の分水が引かれ、いい感じで境内に変化をもたらしてくれる。 …ここから鐘楼に向かうが木々に邪魔されてうまく撮影できまい。 とうとう一回りしてしまった。鐘楼の周囲は紅葉がいっぱい!





戴渓堂

鐘楼

寺務所

ぐるぐる回っているうちに寺務所前に…、竹垣が情緒を醸し出してくれていい感じ! 思わずシャッターを押した。「此処から入るな」と立札があるが、其処を入りたいのが人間の本性!ぐっと押さえて散策再開。

平林僧堂の入口

竹垣から見る本堂
片割れ地蔵

本堂の脇の門

本堂に入る中門の前を通過していくと本堂の脇にある門はすべて閉ざされている。 この雰囲気がとても良く撮影を重ねていく。鐘楼が一番よく見える処も撮影! この時期の太陽は低いから見える処はある程度限られている。 それを探しながらの撮影で、右に左に撮影するから後で整理するのに苦労する。

仏殿と鐘楼、寺務所などをぐる〜っと回って中門の前に来た。 グループの最後の人達で本堂が賑わっていたので、周辺をウロウロ。 人波が少なくなり中門前に佇む。そして中門をくぐると真正面に禅宗特有の本堂を見る事がでる。



中門



本堂


本堂の奥は林泉境内と云われ、一般の人は本堂を含め中には入れない。 案内図を見ると用水から引水され、木々の中に苔むした境内に池などが配された庭園があるのではないか! …想像は、禅宗の美はどういうものだろうと膨らむ。周囲は建物や塀に囲まれて見えない。 本堂まで見学したので、これから国の天然記念物に指定されている武蔵野の雑木林の一部を散策する。

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