■ 武蔵野の雑草林と野火止用水を残す平林寺 ■

知恵伊豆と云われた松平伊豆守信綱公は玉川上水から引水し、 武蔵野の野火止台地に野火止用水を造ってこの地を発展させた。 杉、檜、椚、椛、竹林など数多くの樹木に覆われた雑木林の散策をします。 案内図によると総門から外側を一周すると2.3kmとあるから楽しみになる。


本堂の寺務所から散策開始。まず境内の端にある古民家から撮影!こういう古い形あるものに魅力を感じる。 遠くに本堂の脇門を見ると、太陽の位置で紅葉が鮮やかに。野火止の雑木林の紅葉が楽しみです。

古民家

遠くに本堂の脇門


木々に覆われた小道はアップダウンあり、砂利道を踏む足音が響く。人の流れも少なく、小さな単位で 散歩しているので、歩いていても雑木林の雰囲気が良く伝わる。 再び石段を降りて散策再開! 椛の木はたくさんあり、案内書にも椛の紅葉マークが散歩道に沢山あったが、思ったほど紅葉してない。 紅葉は太陽の強い日差しを浴びることも必要で、木々が密集してるから条件的に無理のよう? その代り、この緑が日を通して鮮やかさを演出している。






案内図の端っこに業平塚と記されていたので、散策路を外れて行ってみた。 まさに木々の間は雑草が茂って雑木林そのものです。 夜、向こう側からぬぅーっと何かがでたら、ギャー!と叫びそう。 当時の野火止は武蔵台地と云われるように草原地帯だった。



業平塚

業平塚は野火止の名前の通り、野火を発見するためのもの。 その塚に昔、旅人が和歌を詠んだものが石碑に記されてある。塚の周りだけ何故か栗が落ちていていた。

業平塚
業平塚





野火止の石碑

再び散策路に戻ると反対側に正真正銘の野火止塚がある。 業平塚は小山のように盛土した形で残っていた。 一番上に石碑があったので、撮影したら年号と気が付き、正面に回ると逆光だが石碑を読み取る事ができた。 この先も雑木林の景観が続いている。










散歩道は内側は境内の一つとして下草が刈られ見通しは良いが、外側は自然のままの景観です。 所々で日の当たる場所では紅葉を見る事ができる。案の定、カメラマニアが順番待ちのように、様々な角度を探して撮影を愉しんでいる。 散策も1/3を終わり本堂が見えてきた。 丁度、本堂の真後ろに戻り、ここから廟所が見えてきた。 案内書には大河内松平家廟所とある。 中央に松平信綱公のお墓があった。 早速、向かうと中央に石柱で二重に囲まれたお墓付近に多くの人が集まっていた。



幕府老中の松平信綱公とその子孫が平林寺を岩槻から野火止に移し大河内松平家の霊廟にした。 この廟所に配する形で本堂脇を松林と石灯篭で造られた石畳がある。 (右手の映像)初めの章のWEBで本堂脇の平林僧堂の入口門はここに繋がっていた。

松平伊豆守信綱公夫妻の墓



廟所参道

安松金右衛門と小畠助左衛門の墓

徳川幕府初期、政治の基礎を固め、知恵伊豆とも呼ばれた松平信綱は川越城主になると、野火止台地に生活用水を通し、荒野の開発をおこなった。 新河岸川の舟運の整備、川越街道の整備など数多く郷土の発展に尽くした…公墓誌から抜粋
水路には小橋が架かり、渡った右手に墓石群がある。 説明板が建てられ信綱公が係わった人々が供養された。


廟所から散策を再開!林の中に水の流れる音が聞こえる。
…右の映像が野火止用水から平林寺に引水された水路。

野火止用水橋

豊臣五奉行の一人、増田長盛公の墓

平和観音像


武田信玄公の次女見性院の供養塔

島原の乱平定後の亡くなった人々の供養塔

境内を流れる野火止用水

散歩道も最終コーナーになる。 小道に並行して引水された一部が境内の放生池へ流れる。 総門からスタートして平林寺を一回りして境内の広場に到着した。賑やかな声が聞こえてる。

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