■ 武蔵野の雑草林と野火止用水を残す平林寺 ■ 知恵伊豆と云われた松平伊豆守信綱公は玉川上水から引水し、 武蔵野の野火止台地に野火止用水を造ってこの地を発展させた。 杉、檜、椚、椛、竹林など数多くの樹木に覆われた雑木林の散策をします。 案内図によると総門から外側を一周すると2.3kmとあるから楽しみになる。 |
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古民家 |
遠くに本堂の脇門 |
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| 業平塚 業平塚は野火止の名前の通り、野火を発見するためのもの。 その塚に昔、旅人が和歌を詠んだものが石碑に記されてある。塚の周りだけ何故か栗が落ちていていた。 業平塚 |
業平塚 | |
再び散策路に戻ると反対側に正真正銘の野火止塚がある。 業平塚は小山のように盛土した形で残っていた。 一番上に石碑があったので、撮影したら年号と気が付き、正面に回ると逆光だが石碑を読み取る事ができた。 この先も雑木林の景観が続いている。 |
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幕府老中の松平信綱公とその子孫が平林寺を岩槻から野火止に移し大河内松平家の霊廟にした。 この廟所に配する形で本堂脇を松林と石灯篭で造られた石畳がある。 (右手の映像)初めの章のWEBで本堂脇の平林僧堂の入口門はここに繋がっていた。 松平伊豆守信綱公夫妻の墓 |
廟所参道 |
徳川幕府初期、政治の基礎を固め、知恵伊豆とも呼ばれた松平信綱は川越城主になると、野火止台地に生活用水を通し、荒野の開発をおこなった。
新河岸川の舟運の整備、川越街道の整備など数多く郷土の発展に尽くした…公墓誌から抜粋 |
豊臣五奉行の一人、増田長盛公の墓 平和観音像 |
島原の乱平定後の亡くなった人々の供養塔 境内を流れる野火止用水 |
散歩道も最終コーナーになる。 小道に並行して引水された一部が境内の放生池へ流れる。 総門からスタートして平林寺を一回りして境内の広場に到着した。賑やかな声が聞こえてる。 |
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