■ 世界遺産 富岡製糸所(後編) ■

東繭倉庫の館内を見学を終了して工場内の見学に向かう。 乾燥場、西繭倉庫、繰糸場、ブリュナ館、女工館、検査人館などがあり、乾燥場は生糸の原料の繭を乾燥させる工場で、建物は大正11年に建設された。 搬送用のベルトコンベアや原料の計量機などが展示してある。2階の乾燥場へ入ることは出来ず、外観だけの見学。

乾燥場

計量機



中庭を奥に進むと西繭倉庫が見えてきた。警備員がいたので西繭倉庫について聞くと外観見学だけで内部は非公開だ。 また蒸気釜所、鉄水槽なども非公開で確認できるのは煙突だけでした。 世界遺産登録を目指している割には、見学施設の公開場所が少ないのは残念に思った。

中庭の景観



西繭倉庫




それぞれの施設はロープが張ってあり近づけない。ロープ際からレンズを通して見るだけで、感動して 世界遺産推進に賛同できる気持ちにならないのではないかと心配した。

中庭ではロープに沿って周遊しただけで、歴史の収穫はなく正面門まで戻った。 東繭倉庫に沿って、工場敷地内に点在する建物の見学に向かう。検査人館は現在事務所として使われていますが、当時は生産さ れた生糸の検査を担当していたフランス人技師の住居として使われ、2階建のベランダがある。 女工館は日本人に器械の操作技術を教えるためにフランス人女性教師の住居として建てられたもので、これも煉瓦造り の2階建ての建物です。





検査人館





女工館

繰糸工場入口

繰糸工場も外観から見ると東繭倉庫と同じだ。工場の大きさは長さが約140m、幅約12m、高さが約12mで細長い建物。 入口の警備の人に聞くと中に入る事ができると云われ、早速入館。 工場内に入ると、昭和62年の操業が終了した当時の状態で保存され、当時の最新式の自動繰糸機があった。

繰糸工場の建物には、従来の日本になかったトラス構造という小屋組み法が採用されていた。 模型を見ながら建物の天井を見比べて見ると、その仕組みがよく判る。 創業当時のフランス式器械や動力は岡谷蚕糸博物館、明治村博物館に保存されている。 結構敷地が広いので、ここにも保存エリアがあったら良かったかも!

屋根の上にある蒸気抜きの越屋根












工場内の器械はシートが覆ってありその一部を見る事ができる。 ここで生産に携わり学んだ女性工員が各地の工場に戻り指導的立場になり発展に寄与した。 その役目が富岡製糸所の役割だったと記してある。

繰糸工場を出てさらに奥に向かいました。工場内には専用の診療所もあり、昭和15年に建てられ3代目の建物です。 当時はフランス人医師が治療をしていたようです。病室らしき棟もあり救急車の搬入口もある。







診療所






搬入口と病棟

さらに奥へ進むとブリュナ館がある。ここはフランス人技師ブリューナ夫妻が家族と共に住み、現在もそのまま の佇まいを残してある。煉瓦造りで高床、しかも回廊風のベランダがあり、フランス人が好む家屋のようです。 後に建物は女子工員の夜学校として利用され、内部は大幅に改築された。ブリュナ館の奥には、昔の学校の 校舎のような建物が見える。

建物の敷地の端には金網で仕切られ、煉瓦積排水溝の案内がある。工場内からでる排水や雨水を集めて 鏑川に流すために、敷地内地下には約320mの下水道がある。明治初期に環境衛生を考えて造られた下水道の考え方は当時珍しく、 今でも完全な形で残されている。工場の排水をここに集めて鏑川に排水していた。



ブリュナ館裏手

排水の溜まるブロック部

珍しい2本組電柱
ブリュナ館



敷地内から見た鏑川

戻る時に撮影した映像の中で、木製の電柱が2本組だったのが、昔の工場の雰囲気を醸し出していた。 ほぼ見学が終了したが、チョット消化不良の感じ。外観だけの見学が多く、内部を見る処が少ない感じ。 見学エリアも制限が多く初めて来た人が、「これが世界遺産候補?」と思慮してしまいがちです。

10時半過ぎに富岡製糸所を後にしました。 約1時間半の見学でしたが駐車場に戻り、まちなか交流館でお土産を見ながら喫茶と休憩をした。

朝一番で来た時は一番乗りでしたが駐車場は半分位、車があった。 ここから富岡ICまでほんの数分で高速道に入り、この時間帯は交通渋滞もなくお昼には自宅へ戻れた。 今年も各地の歴史や文化、そして絶景を探しに、Go! Go! Go!

inserted by FC2 system