■ 旧台徳院霊廟惣門から芝東照宮へ ■

増上寺は上野の寛永寺と並ぶ徳川家の菩提寺ですが、広域の敷地に霊廟が造られていた。 かつては南廟(現在の芝ゴルフ練習場)と北廟(現在の東京プリンスホテル)があり、その規模は日光東照宮をしのぐと云われた。 しかし戦災で多くの建物が焼失し荒廃した寺域は売却され現在に至っている。 したがって当時の建物が数少く、文化財として、この芝公園一帯に点在している。


増上寺の黒門から芝公園に向かうと綺麗に整備された公園があり、そこに大きな惣門がある。 犬と散歩する人が一人、そして惣門の中を見学する人が一人いて、私自身も何の門だろう? 門の先は石段が続いているが何もない。案内板を見ると旧台徳院霊廟惣門で左右に金剛力士像があり、これは国重文だ。

芝公園 旧台徳院霊廟惣門

復元された石垣の水路跡
惣門を抜けると石段が続く

第二代将軍秀忠公の霊廟の惣門前に構築された石垣の水路跡をここに復元している。 日比谷通りは昔、御成通りと呼ばれ御霊屋への通路は惣門手前で水路を渡った。 惣門に入り真っ直ぐ進むと、石段を上がり大きな広場に出た。 さらに進むと、広い芝公園の花壇がある。




芝公園
散歩道から見える東京タワー

■芝東照宮■
芝公園の一角にあり、元々増上寺の社殿であったが、明治時代初期の神仏分離令により、増上寺から切り離されて芝東照宮となった。 家康が還暦を迎えた記念に自分の像を刻ませた寿像(木像の徳川家康坐像)を、1617年、家康の遺言で寿像を祭祀する社殿を増上寺に建築した。 その社殿を家康の法名が安国院殿徳蓮社崇誉道大居士といわれ安国殿と名付けた。 それが芝東照宮の起源だそうです。

日比谷通りから撮影


1945年の東京大空襲で、寿像と神木の銀杏を残し、あとは全て焼失し、1969年に現在の社殿が再建。 御神木の銀杏は家光公が植樹したと伝わり東京都指定天然記念物になっている。左図⇒

手水舎

駐車エリアを抜けて境内に…



社殿


 境内に開花した梅が、小さいながらも蕾から花弁が開きかけていました。





 境内から芝公園内に戻り、水仙の花を撮影して、赤羽橋駅に向かう。


都心の休日は交通量が少なく快晴で余計に気持ちが良い歴史散歩になった。 芝公園を後にして都営地下鉄大江戸線の赤羽橋駅に向かって暫く歩いた。 大江戸線は2度目の乗車だが、車両が一回り小さいので腰かけた時に足の位置を気を付けないと人とぶつかりそう。 それでも混雑無く気持ちの良い乗車を楽しめた。

inserted by FC2 system