■ 浅草寺新奥山の石碑めぐり ■

いろいろな碑があるが、特に喜劇人の碑は笹川良一が中心となって喜劇界が協力して建立した喜劇俳優追悼碑で、戦前の喜劇人が浅草地域から世に知られるようになった。 今のバラエティ番組の草分け的な存在だったのでは…。
また映画弁士塚は明治、大正期の無声映画時代に活躍した弁士の名が刻まれている。 これも現代のテレビアニメーションで声優の元祖ではないかと思った。


浅草寺境内には長い歴史の中で多くの人々の石碑が建てられている。 その中で気がついた石碑を訪ねてみた。 散歩の中で影向堂、薬師堂、淡島堂、六角堂など多くの文化財もあるので順番に歩く。

瓜生岩子の像

喜劇人の碑

映画弁士塚
力石 熊遊の碑

永世の碧碑(奥)と手前に曽我廼家五九郎の碑

針供養の塔

淡島堂は昨年の大河ドラマで徳川将軍の初代家康から三代家光まで深く関係していた。 それは1618年徳川二代将軍秀忠が浅草寺に創始した東照宮が1642年に東照宮(観音堂)全焼と共に淡島堂が焼失すると、 三代将軍家光が激怒して再興を許さなかった。家光は祖父家康を非常に尊敬していたと思われる。 そのため紀州から虚空菩薩像を勧請して淡島堂を開いたといわれる。 元々影向堂の辺りにあったが境内伽藍配置換えで阿弥陀如来を御本尊とする現在の淡島堂が造られたという。

淡島堂入口

平和を祈願する平和塔

胎内くぐりの灯籠

胎内くぐりの灯籠は江戸時代から有名だそうで、子供の虫封じや疱瘡のおまじないになるとされている。 子供連れの方は胎内くぐりをさせてくださいと記されている。

淡島堂

薬師堂


写経供養塔

徳川家光が第三代将軍になれたのは祖父家康と乳母の福、後の春日局のお蔭だと祖父を非常に敬愛していた。 祖父家康が薬師如来を生涯篤く信仰したことから、祖父を敬愛する家光が1649年に再興した方三間 の薬師堂で、浅草寺の中でも貴重な古い建物だそうです。 徳川三代将軍家光公の霊廟は大猷院霊廟で日光東照宮の方向を向いて建立されている。  詳しくは、ここ大獣院(2011. 2)をクリック!

一言不動尊

影向堂
聖観世音菩薩

金龍権現(左)九頭龍権現(右)

影向堂に向かったが観光客が多いので時間をずらした。 石橋の付近に多くのお地蔵様があるので回ってみます。一言不動尊と聖観世音菩薩も同じ享保年間に造られたもので、 一言不動尊の不動明王は怒りの形相です。また何か一つだけお願い事を祈願すると願いが叶うと記されてある。



石橋


石橋は現存する都内最古の橋で1618年、浅草寺に東照宮(焼失)が造営された時に参詣するための神橋として造られ、 寄進者は広島浅野家藩祖の紀州和歌山藩主浅野長晟です。 文科省から重要美術品に指定されています。 池には色鮮やかな鯉が沢山いたが、池を見るには場所が限られているので残念。



子育地蔵尊(左)商徳地蔵尊(右)
出世地蔵尊

恵日須大黒天

案内書にも書かれていないが、小さなお堂が池の付近に並んでいてひとつのお堂でひとつのお願いごとをするお堂です。 その成り立ちを読んでみると、その時代にお堂が造られた背景があったことが判ります。

めぐみ地蔵尊

三峰神社
銭塚弁財天

西仏板碑

影向堂は観光客が去って清掃の人だけになりやっと撮影できました。 影向堂は新しく、浅草寺中興開山慈覚大師の生誕1200年を記念して平成6年に落慶した。 ここは干支による守り本尊のお堂で中に入ると、中央に聖観世音菩薩像があり、 その左右にそれぞれの干支に係わる観音像、菩薩像、如来像、不動明王、大日如来像、阿弥陀、如来像が安置されていた。

影向堂

新しい方の宝筐印塔
六角堂

阿弥陀如来像

六角堂は影向堂の隣にあり、木造の瓦葺きで名前の通り六角造りです。 東京都の有形文化財で約1.6m幅の小さなお堂ですが、室町時代に造られた浅草寺最古の建物で、 周りを庭園のように石組みしてあり美しく感じた。 宝筐印塔や阿弥陀如来像などが境内のあちこちにあり、それぞれの時代に造られた像がある。

観光客で賑わう

斜め後方から撮影


新奥山にはまだまだ紹介しきれない碑などが数多くある。 私の苦手意識があるのでそうさせるのか、文学に係わるもの、俳句などは到底表現できる自信が無い。 そのため多くの撮影をしたが未編集のものが多かったのには閉口した。
それでも一つひとつ見て回る時に予備調査して図書館で資料を見つけたので、 浅草寺の細かい歴史を知る手掛かりが多く事前学習の大切さを学んでいる。


浅草寺の奥山、そして六区興行街から待乳山聖天へ…
昔浅草寺本堂の裏から西北方向は樹木が鬱蒼と生い茂り地形も高い位置にあり奥山と呼ばれていた。 やがて茶屋や土産店が並び始めると海外からの珍鳥や奇獣をいち早く見世物にする小屋が現れ、江戸時代以降注目されるようになった。

浅草寺本堂の裏

本堂の裏手に回ると広い駐車場が見えます。 ここからさらに離れてチョット逆光ですが本堂を後ろから撮影してみた。 この付近には保育園の子供達が芝生で遊んでいて無邪気な笑顔が印象に残った。 ここへ来たのは本堂の後は奥山と呼ばれ、ここにも幾つかの塔や碑があったからです。 宝筐印塔、一葉観音像他にもありましたが、これらはいずれ文化財に指定される価値の高い物ばかりです。

古い方の宝筐印塔

大谷米太郎夫妻の顕彰碑
一葉観音像

釘供養塚、後に地蔵菩薩像、写経供養塔

さらに進むと大きな石段の上に何やら武士の勇士を見つけました。 これは九代目市川團十郎の暫の像で、左足を踏み出して大見得を切る姿です。 現代歌舞伎の基礎を築いたと云う事です。因みに戦争中に像は砲弾にされたが戦後復元された。

九代目市川團十郎の暫の像

花やしき通り

銭塚地蔵堂、浅草寺から離れ周囲の街を歩いた。 ここに来ると現在も花やしきが1853年以来の営業を続け、昔の木馬館は木馬亭と改称し浪曲や演芸などで楽しまれ、 見世物の中心地は映画館に変貌していた。

花やしき通りを進むと…

花やしき浅草門

六区通りの交差点
銭塚地蔵堂


花やしきゆうえんちの入口

大江戸ステージ

木馬亭

鎮護堂に咲く梅

六区通りの交差点で次の目的地の鎮護堂を近所の商いの人に聞いたらすぐそばと教えて貰った。 浅草寺で期待していた梅の花を見かけず鎮護堂で初めて拝見!早速撮影して境内を回ります。 といっても広くないので最初に鎮護堂を撮影。その後ろは柵があり、そこから浅草寺本坊伝法院守護の社を撮影。 ここの鎮護大使者をおおたぬきさまと呼ばれ商売繁盛、盗難除けなどの御利益があるといわれている。

鎮護堂入口門

本堂

鎮護大使者 おおたぬきさま

おたぬきさまは「たをぬく」といわれ学芸成就のご利益があると役者や芸能人にも信仰され手水鉢も人気の泉と云われている。

鎮護堂

手水鉢


御神木

ここで一休みして待乳山聖天(待乳山本龍院)に向かう。
■ 待乳山聖天(待乳山本龍院)…
待乳山聖天(待乳山本龍院)は隅田川の言問橋と歩行者専用の桜橋の中間の浅草7丁目にあり、浅草区域の中では大分端にある。 そして浅草寺の支院として聖観音宗を奉持するが、御本尊は大聖歓喜天(十一面観音菩薩)を祀っている。

通り沿いの駐車場側

待乳山聖天正面入口

人力車

待乳山聖天の入口は最後に見つけた人力車のある所から上がる。 入口左手に池波正太郎生誕の地として石碑がある。 石段を上ると境内で本堂はさらに上にあり、ここは小高い山のような地形で、 境内入口右手に出世観音像が左手に歓喜地蔵尊が迎えてくれる。





歓喜地蔵尊




出世観音像

歓喜地蔵尊は幾度も災害に遭い、その姿はとどめてないが古来から子育地蔵として伝承され霊顕あらたかな尊として、地元の人々に信仰されている。 そのため来た時から何度も子供連れの親子に出逢った。
江戸時代の名残をとどめ、広重の絵にも描かれている全長二十五間(約45m)の築地塀を見つけた。 本堂は戦災で焼失し、昭和36年に鉄筋の権現造り様式で再興した。 本堂を見上げると立派な造りでとても鉄筋には見えない。

手水鉢

神楽殿

築地塀

ここでは大根が1本300円で販売

立派な香炉

寺務所

権現造りの本堂

再び雷門前に戻り交差点は車両も人も多くなり朝方とはうって変わった。 浅草と云えば老舗と云う訳で雷門の両脇に位置して観光客や地元の人まで人気のある常盤堂の雷おこし本店と同社のトラック、天ぷら三定を撮影。

朝から歩き通しで足に疲労感が大分あるので辺りを見回すと交差点から少し離れた所に喫煙コーナーがあり、 そこに移動し道路そばの鎖に腰掛けて休憩!

常盤堂の雷おこし本店と同社のトラック
賑わいをみせる雷門

天ぷら三定

私の立っている位置は交差点の所にある喫煙コーナーです。ここで一服しながらカメラを構えた。 近くで人力車の元気のいいお兄ちゃんが道行く観光客に盛んに営業の声を掛けている。 お客をとると仲間にガッツのこぶしを上げて合図し、案内図でコースを決めていた。 浅草の名物のひとつを見る事ができた。

時代屋の店舗

駒形堂


浅草寺発祥の地

雷門から駒形橋に向かって歩いてゆくと、時代屋という店舗を見つけ中を覗いてみる。 御祭りに必要な着物一式が取り揃えてあり、御祭りだけでなく日常着れる着物もあり目を楽しませてくれました。 駒形橋には駒形堂があり、浅草寺発祥の地です。

観光船と東武特急

駒形橋で浅草の歴史散歩は終了。 今回は古きを知り、新しき下町の東京スカイツリーを見に行く散策たが、業平橋はこれから再開発という感じです。 浅草は一時期、凋落気味だったが、何のなんの、ここも新しい発展を続けている。 東京湾が沖へ拡張され、ここ浅草の水上バス駅は、便に乗り切れない状態もあった。

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