■ 本町の小路を散策 ■

アイビースクエアを出て再び町中へ入る。 倉敷川から1本道を外れ、細い道両側いっぱいに商店街が並んでいる。 本町と呼ばれる町は開店して間もなく時間は9時半を回りった。 観光客に混ざって商店の人達の流れがあり活気ついている。 お土産店だけでなく、普通の商店が混在して生活感もある。


暫く進むと小さな四差路にでた。 ここからどの方向に行こうか地図を広げた。 ふと見ると火の見櫓が見え、大体の位置が見当ついた。 角の商店の前には昔懐かしいオート三輪があった。 走るのだろうか?そんな思いで興味深く覗いてみた。 たしかマツダの三輪車の記憶が甦った。





火の見櫓

食事処




オート三輪

興味深い食事処もこの時間帯は素通り、ガラス工芸や陶器などは、どうしても足を止めて拝見させて貰う。 お店の人も買わないと判っていても丁寧に説明してくれた。 必ず最初に何処からきたと聞かれる。 東京と言うと、立ち寄りか、ここが目的地かと問われる。 立ち寄りと言うと…。話がどんどん進んで以降は妻とお店の人のお喋りタイムになった。





本町通り東町地区
阿智神社のある鶴形山の南麓の本町一帯は、この地の生活に密着した昔からのお店や現役の住居が並びて、 昔ながらの土蔵のほか、倉敷美観地区の中心部とは違った雰囲気の庶民的な町並み続く。
本町通り東町地区

案内図で目指した国重文の井上家住宅を探す。 井上家住宅は1700年代初期に建てられ本町通りに残る一番古い町屋です。 ボランティアの説明の人から、もうすぐ開くから待った方が良いと教えて貰った。 それまで隠れキリシタンのお墓を見学してきたら、と教えて貰いそこに向かう。 

井上家住宅

倉敷独特の倉敷窓
井上家住宅

住宅の特徴は2階の倉敷窓が土扉であること。 崩壊しかけていたのを修復したそうです。 それを見ながら井上家住宅のそばを奥に向かう。 昔、禁止されていたキリシタンの人々がどのようにして葬られたか見てみたいです。 路地を入ると井上家住宅の側壁は大分傷んでいた。 特に屋根の部分は一部崩壊していて今にも崩れそうです。 これも近いうちに修復保存して欲しいものです。

井上家住宅

井上家住宅


路地の奥には本栄寺がある。 路地が急な石段になり門をくぐり、本堂を通り過ぎて鐘楼の細道を通り、石垣をよじ登る感じです。 そこから見つけた隠れキリシタンのお墓は石で造られた御堂でした。 扉も石板で、石室の中にキリスト教のしるしを入れて、他人から見れないようになっていた。

本栄寺





隠れキリシタンのお墓


一気に高台に上ったので、帰りに気が付いたが、ここからの展望もなかなか良かった。 倉敷館や倉敷考古館、そして火の見櫓なども見える。 妻は急な登りは苦手で途中で引き返していた。 井上家住宅がオープンするまでボランティアの人とお喋りしていた。 ほんと話好きでツルン、ツルンよく言葉が出てくるものだと感心する。

井上家住宅

井上家住宅


住宅前に戻ると丁度オープン。 この後私のカメラ撮影は失敗した。 レンズフードを付けたままストロボ撮影し、映像の中央下部にフードの影が入ってしまった。 やむなくトリミングして掲載してあるが、半分は妻が撮影したものを使用。 ここでも妻の撮影があったからこそ助かった。


住宅の内部は天井が無い。屋根からの木枠がそのまま見る事ができる。 囲炉裏で蒸された木材が黒く艶光して頑丈そうに見えた。一部内部から補強してある所も確認できる。 この時期に建てられたにしては珍しく畳部屋があり、床板が劣化しているのか平らでなく歪んでいる。 土間だけ開放され、三方の奥の部屋が見学できるようになって、説明もしっかり記されて合点した。









中国銀行倉敷本町支店

井上家住宅からつぎに向かうは国登録文化財の中国銀行倉敷本町支店です。 外観は大正11年に建築された ルネッサンス風の銀行建築で今も営業している。 鉄筋コンクリート造り、2階建てで屋根は寄棟銅板一文字葺きで、屋根上には3つの屋根窓がある。 外壁は御影石で仕上げ、腰壁は御影石貼りに。正面に6本側面に3本の円柱がある。 大正の時期に一地方都市に素晴らしい建物を造る風土があったこと、そして大原家の力を垣間見る事ができた。



観龍寺


中国銀行倉敷本町支店の見分から反対側には桜の幟がはためく春爛漫の景観を見れます。 私が建物の見学をしている最中、妻はそちらの方へ行っていました。 観龍寺では桜祭りがおこなわれていて多くの人達がお寺参りしていました。 そのお寺に向かおうとしたら、妻が戻ってきたのでまた二人旅になります。 朝から歩き通しで大分疲れがきました。 どこかでゆっくり大休憩したい!



■ 本町から再び倉敷川畔へ ■

妻と合流してから気になった所に行ってみました。 中国銀行倉敷本町支店の撮影をしていた時、その後背に色鮮やかな瓦屋根を発見しました。 その屋敷を探しにもう一度小路を歩んでいきます。 狭い小路ですが、それなりに風情があり車の擦れ違いができないところも、安心して散策できます。


妻と合流した所に公民館があり、この付近は道路も広く車両も通行している。 備前焼窯元と記された幟がはためき店頭には商品が展示してあり、立派な焼き物を撮影した。 このような一品をひとつくらい我が家にも欲しいものだ。 他にも気に入った焼き物があり撮影したが、展示物の向こう側にお婆ちゃんが留守番していて一緒に映ってしまった。

窯元陶器店



備前焼



右手に旧大原住宅
ここから再び倉敷川畔へ戻りながら有隣荘へ向かう。 有隣荘は倉敷の名家、大原家が昭和3年に別邸として建てられ、対岸の大原美術館と合わせて独特の景観を見れる。
旧大原住宅

有隣荘

有隣荘正面




倉敷川に沿って有隣荘と旧大原家住宅は小路をはさんで並んで建っている。 まず有隣荘の後から見た感じは、塀も含めて屋根瓦の色に特徴がある。 単色でなく複数のカラー瓦を使い、全体を緑色系になるように工夫され、美術品の様な瓦屋根の印象を受けた。 塀も原色でなく屋根瓦に合う色彩で、一つひとつ見ると違和感があるが、屋敷全体が調和がとれ、昭和初期の素晴らしい建築を見れる。






有隣荘の内部は公開されてません。残念に思いながら倉敷川に戻った。 倉敷美観地区に戻ると多くの観光客で賑わっている。 また川舟がゆったり動き観光客も乗船している。





再び倉敷川の中橋に戻り撮影を再開!案内所の倉敷館から畔に沿って散策を始めた。 畔には行商の人が飾り細工を売り、行き交う観光客で活気がある。 古い町並みで人力車も見れた。 うン?人力車を引く人が若い人だと思ったら結構、年配の人で驚いた。





北田証券

倉敷川に架かる3つ目の石橋がある。 倉敷館隣の加計美術館前を通り、川沿いに歩く途中で、町に溶け込んだ証券会社を見つけた。 北田証券です。案内板も黒板に市場状況を記してあり、昔を思い出す商家の雰囲気がある。 今橋に到着し欄干を見ると龍の浮き彫りが施され、それぞれの橋に特徴があった。 倉敷川はここが終点で、江戸時代から水路として造られたことがわかりる。 終点の端には鳥小屋があり白鳥がのんびりと泳いでいた。

北田証券

今橋

欄干には龍の浮き彫り

今橋と旧大原住宅





有隣荘

今橋のそばに倉敷物語館があり休憩を兼ねて入館。 倉敷物語館は美観地区の入口に位置し、倉敷を訪れる観光客に倉敷の歴史をより深く知ってもらうため、美観地区の拠点施設としてオープンしている。 入口は長屋門、塀に囲まれ、路地の造りもひと際美しく、長屋門、 土蔵などは江戸期の風情を伝え、1760年代(江戸中期)の建築で旧東大橋家の住宅を改修し見学できる。 土蔵では喫茶や民芸品、陶器が見学でき江戸中期の建物が再現されている。

倉敷物語館入口

旧東大橋家の住宅を改修

倉敷物語館中庭




長屋門をくぐり庭に入ると民家の広い庭先に入った感じでベンチがあり休憩できる。 早速、館に入ると民芸品や陶器が展示してある。特に倉敷雛は大小さまざま、お雛様も種類が豊富で素晴らしいものを感じた。 妻はと見ると、好きなカップを注視して係の人と陶器についていろいろ話している。 そのお気に入りの陶器を4点撮影してみた

倉敷物語館内民芸品



倉敷雛




倉敷物語館では休憩できず、館の前のお店で休憩した。 ベンチで食したタコ揚げも美味かった。 休憩しながら正面を見つめると、こんな面白いものを見つけた。 それがこの映像で、3階建ての極端に細い建物です。正面に回り確認すると間口は広いが奥行きのない店舗だった。 この交差点から倉敷駅は目で見える至近距離である。ここから大原美術館の方へ向かってみる。

極細の建物
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