■ 「修行の道場 (高知県)」 ■

修行(しゅぎょう)= 実践の場となる「修行の道場 (高知県)」と云われる。
弘法大師が「空海」となった修行の場(土佐)である。 阿波の第23番薬王寺から第39番札所延光寺まで、長い長い海岸線の道が続き、荒波が打ち寄せる沿岸は難所と云われる。
四国の南部一帯に位置する高知県は県内に十六寺が点在し、しかも札所間が長い道程である。


■5月14日(月)天候 曇りのち午後本降りの雨■ 自転車 Odo 483.1-531.2km (走行キロ48.1km)

■ 寄り道写真館… ★彡 現存12城 高知城1   ★彡 高知城2   ★彡 播磨屋橋

5時に起床。危惧した発熱がないから胸骨のひびですんだようだ。 左背に鈍痛が残り大きな動きをすると鋭い痛みが走る。 7時にホテルを出発し、近くの高知城は以前歴訪したので遍路ルートに戻る。 高知城へ寄って、改修された天守の撮影をしようと思ったが、心を鬼にして、大師様と同行二人の修行旅に出る。 高知市内は通勤、通学の人でいっぱいで、播磨屋橋へ向かう車と路面電車で混雑している。 私の向かう方向は逆で市内走行は楽だった。

通勤、通学の時間帯で上りは混雑 知寄町1丁目から44号線へ

44号線の交差点から、31番竹林寺のある丘に向かって一直線の道路を走る。 丘に近づいた所で、乳母車を押していた女性に竹林寺へ自転車で登る道を聞く。 44号線から外れ、絶海地区からウネウネとした登り道になります。ここから一方通行です。 標高143mの丘上まで早朝の準備体操、と云っても、登り口から自転車押しの歩きになった。左背の痛みは依然として痛い。 だからぜいぜいハーハーして深呼吸する時が一番辛い!

 7時37分 ここを右折して(44号線は高架橋) 五台山の途中で高知市内が見える

高知港の東部にある五台山は、標高143mで桜の名所で知られ植物園もある。登る途中で高知市内が見える。 五台山全体が公園で、その頂上にあるのが竹林寺です。 公園の車道は北側から南側へ一方通行になっていて、44号線は376号線となり五台山をトンネルで通過する。

聖武天皇は、行基菩薩に中国山西省の清涼山(五台山、3000m)に似た山容を見つけるよう命じた。 土佐の五台山(143m)の霊地に、行基菩薩は文殊菩薩像を本尊として本堂を建立し、その後、弘法大師が堂宇を修復し霊場としたと云う。 土佐の信仰や文化の中心地として名刹を誇っています。

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■第31番札所 五台山 金色院 竹林寺■
     宗 派: 真言宗智山派
     本 尊: 文殊菩薩
     開 基: 行基菩薩
     創 建: 神亀元年(724年)
     真 言: おん あらはしゃ なう
     御詠歌: 南無文殊三世(みよ)の仏の母ときく
          我(われ)も子なれば乳(ち)こそほしけれ
★彡 第31番札所 竹林寺の拡大映像
境内が手入れされ非常に綺麗で、大きな花鉢が置かれ美しい札所でした。 仁王門、鐘楼、本堂、大師堂、五重塔が新緑に包まれ、秋にはまた別の姿を見せてくれるだろうと思った。

第31番札所 五台山
 金色院 竹林寺
  8時16分
駐車場から石段を上ると…

仁王門の先に素晴らしい花鉢


さらに石段を上がると五重塔
重厚な仁王門

仁王門の先…

鐘楼

五重塔は昭和の台風で倒壊したが鎌倉様式の総檜造りとして再建された。見上げた塔は新緑に囲まれ印象に残った。

本堂

参詣道を上から撮影
大師堂

五台山は岩の塊
♪♪〜土佐の高知の播磨屋橋で、♪〜坊さんかんざし買うを見た…♪♪、で有名な「よさこい節」の舞台が竹林寺だそうです! 納経後、気に入った堂宇を見学していて、初めて「よさこい節」と竹林寺が関係あると知る。

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竹林寺から32番禅師峰寺まで6kmほど、五台山を下田川まで下りて上流に沿って走る。 道路左側を走行中にクラクションを鳴らされ車に追い越されたが、チョットしたことで腹が立たなくなった。

瑞山橋を渡ってやや登りの丘をめざし石土トンネルを抜けると石土池が見えてくる。 ここから禅師峰寺は目と鼻の先でした。 禅師峰寺の駐車場から土佐湾が一望でき、太平洋の海原が広がる。

禅師峰寺は、高知新港に近く、境内から海が見え潮の匂いがしてきた。 小高い山と云っても標高82mの峰山の頂上にある。 納経帳に記してくれた人に聞くと、 江戸時代から浦戸湾を出航する歴代の藩主は、寺に寄り航海の無事を祈願したという。 現代でも、漁業関係者の篤い信仰を集めているそうです。

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■第32番札所 八葉山 求聞持院 禅師峰寺■
     宗 派: 真言宗豊山派
     本 尊: 十一面観世音菩薩
     開 基: 行基菩薩
     創 建: 大同2年(807年)
     真 言: おん まか きゃろにきゃ そわか
     御詠歌: 静かなるわがみなもとの禅師峰寺
          浮かぶ心は法の早船
★彡 第32番札所 禅師峰寺の拡大映像

第32番札所 八葉山
求聞持院 禅師峰寺
  9時39分
駐車場から石段を上ると…

仁王門をくぐり…

本堂

大師堂
…仁王門の手前に納経所がある

…さらに石段を上る

鐘楼

境内から駐車場と土佐湾を見下ろす
納経後、駐車場で喫煙しながら土佐湾を見下ろす。今日は一日曇り空で天候は下り坂と天気予報で聞いた。 次は33番雪蹊寺に向かう。 10km弱の距離を歩き遍路コースに沿って海岸線の住宅街の中を注意して走る。
田圃から… …住宅街へ

渡船場付近は高潮時に浸水を防ぐため、高い防潮堤が作られ海が見えない。 海抜2mの表示があるが、防潮堤の高さ2mを加算しても4mほどにしかならない。 東日本大震災クラスの地震があればひとたまりもないと思う。 その時は何処へ避難するのだろう? そんな事を考えながら自転車で防潮堤に沿って暫く走る。

 10時30分 三里地区から見える黒潮ライン道(正面)

種崎の高知県営渡船場に到着。(渡船路は本来県道の為、昔から県営で渡船を無料運航している。)
時間のタイミングが悪く、この時間は1時間に1本の渡船です。40分程待つ間に歩き遍路の人、地元のバイクや自転車の人も来た。 暫くお喋りして渡船時間になり、お互いを撮影したが、私の映像は逆光で顔が真っ黒になった。 5分程の渡船で長浜渡船場に到着。 ここで別れて雪蹊寺へ向かう。

高潮時に浸水を防ぐため、高い防波堤が作られ、海が見えない渡船場。 種崎渡船場

自転車、原チャリと人だけの渡船。(無料)


11時10分  超小型のフェリーの後部

浦戸湾
渡船(超小型のフェリー)

県道278号線は浦戸湾を渡船で…

操船室

長浜渡船場

予定では、禅師峰寺から黒潮ライン道の浦戸大橋を渡って、桂浜公園で太平洋を撮影して、坂本龍馬像も撮影しようと考えていたが、 自転車遍路した人に聞くと浦戸大橋の歩道が極端に狭く、かつ橋梁が長いので交通事故を心配して中止、本来の遍路コースを優先した。
(遍路旅計画では、折角四国巡礼するんだから、いろいろ観光地も見るつもりだった。)

今までの礼所と違った雰囲気の雪蹊寺は、八十八霊場でも数少ない禅宗のお寺でした。 創建時は真言宗だったが、戦国時代以降に長宗我部氏の菩提寺となり、真言宗から臨済宗に改宗した質素な印象のお寺でした。 自転車の置き場所に苦労しました。路上端に水路があり、やっと見つけたのが境内の塀と木の間に寄せた。 荷物が多く重心が高いから、スタンドだけでは自立できず遍路中は苦労した。

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■第33番札所 高福山 雪蹊寺■
   宗 派: 臨済宗妙心寺派
   本 尊: 薬師如来
   開 基: 弘法大師
   創 建: 弘仁6年(815年)
   真 言: おん ころころ せんだり まとうぎ そわか
   御詠歌: 旅の道うえしも今は高福寺 のちのたのしみ有明の月
★彡 第33番札所 雪蹊寺の拡大映像

第33番札所
 高福山 雪蹊寺
  11時27分
山門

本堂
鐘楼

大師堂

境内で休憩しながらお寺の歴史について考えた。
雪蹊寺の寺宝として鎌倉時代の仏師、運慶と湛慶が高福寺(後の雪蹊寺)に滞在した時、 本尊の薬師如来像、日光菩薩像、月光菩薩像、毘沙門天像など多くの像を彫造したとされる。 これらは鎌倉時代の代表的彫刻として国重文になっている。

長宗我部元親の歴史書を読むと、戦国時代、四国統一の為とはいえ、阿波、讃岐の多くの寺を戦で焼いたと云われている。 戦いだから両者に責任があるが、多くの歴史的財産を失い非常に残念に思う!

観音堂

34番種間寺へは約7kmあり、278号線に沿って走る。 農協を通過し東小学校を左折して、新川川を渡り左折して種間寺に到着。 平坦な田園地帯を芽生えた新緑の稲穂を見ながらの走りで気分的には走りを楽しんだ。 途中、道路端の水路が幅が広いのと、水面が道路の高さとあまり変わらず(40cm位)、 大雨や台風の時に溢れるのではないかと心配した。 畑や田圃に点在する民家を通り、何より平地だから走行が楽でした。

 11時57分 水面が道路の高さとあまり変わらない

鏡面の様な新川川を渡り…


種間寺も境内に階段が無く開放的な境内です。 撮影をしようと自転車を入口に停めたままにしたら撮影後、自転車は倒れた。1本スタンドもガタがきている。 寺坊の前が広い駐車場で納経用品店兼休憩所があり、そこの低いブロック塀に自転車を寄せておく。 ここからは鐘楼、寺坊、光明殿が見渡せます。 奥に向かうと門柱を通り子安観音堂、大師堂、本堂、納経所が並び、人が少ないからゆっくり納経できた。

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■第34番札所 本尾山 朱雀院 種間寺■
     宗 派: 真言宗豊山派
     本 尊: 薬師如来
     開 基: 弘法大師
     創 建: 弘仁年間(810年〜824年)
     真 言: おん ころころ せんだり まとうぎ そわか
     御詠歌: 世の中にまける五穀のたねまでら
          深き如来の大悲なりけり
★彡 第34番札所 種間寺の拡大映像

第34番札所 本尾山
 朱雀院 種間寺
  12時21分
この後自転車が倒れた!正面が寺坊と鐘楼

寺坊と光明殿の間を進むと…門柱

納経所

大師堂、奥に子安観音堂
本堂

納経所で寺名の由来を聞くと、弘法大師が唐から戻り、この地を訪ねた時、大師が薬師如来像を本尊として堂宇を建立して開創された。 その時、唐から持ち帰った五穀の種子を境内に蒔いたことから、種間寺と名付けたと聞く。

さらに安産の為、底の抜けた柄杓に人気があり、妊婦が柄杓をもって詣ると、種間寺では底を抜いて2夜3日の安産祈祷をして、お札と共に返してくれるという。

時間は12時半を過ぎ、清流の仁淀川でゆっくりしたく先を急いだ。 最近、テレビで、四万十川より清流で日本一になったと知る。 35番清滝寺へは距離が11kmあり、種間寺を出て、すぐ右折したので道を間違えた。 仕方なく36号線から四国銀行を目印に56号線に出て、仁淀川大橋に向い大分遠回りした。

この後、天気が怪しくなり、黒い雲が広がり始めた
279号線を走り…
早く右折したから36号線に出てしまった

川の清流に感嘆し撮影!でも天気が下り坂のようです。 本来ならば仁淀川の土手で自転車で乗り入れ河原に寝転んでみたかったが、霧雨模様になり断念した。 買い置きのお握りを水で流し込み、すぐ出発。どうやら雲行きが怪しい! 仁淀川を上流に、土手沿いに少し進み、再び56号線に入る。

 13時3分
36号線を走り四国銀行を目印に…
国道56号線へ…そして仁淀川大橋目指して…

仁淀川の河原で寝転んでみたかったが、雨模様になり断念…

日本一の清流、仁淀川を…(仁淀川橋梁)

土手沿いに走り、56号線へ

仁淀川を渡り暫くすると大雨になり、菅笠を被って視点を下げて走る。 気が付くと廃業したガソリンスタンドがあるので、ここに逃げ込む。 荷物にビニールをかけ、カッパに着替え再出発! と思って地図を確認すると、どうやら右折点を見逃して通り過ぎたようです。 交差点のコンビニで道を聞くと、通り過ぎているので、戻るよりはここで右折して高知自動車道の向こう側から入る道を教えて貰う。(感謝!)

  14時25分 右折点を見失って、裏道から清滝寺へ 苔の部分は滑って要注意

高知自動車道をくぐって清滝寺への裏山道に入り、滑るような苔の生えた薄暗い山道を雨中突破します。 タイヤが滑り、手が滑り、足が滑り、必死の思いで、苔道を自転車を押して登ります。(修行してます!)
やがて苔道の先に境内が見えてきた。 いきなり視野が広がり境内に入った感じです。 どうやら裏道から来たので仁王門は拝見できなかった。

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■第35番札所 醫王山 鏡池院 清滝寺■
    宗 派: 真言宗豊山派
    本 尊: 厄除薬師如来
    開 基: 行基菩薩
    創 建: 養老7年(723年)
    真 言: おん ころころ せんだり まとうぎ そわか
    御詠歌: 澄む水を汲むは心の清瀧寺 波の花散る岩の羽衣
★彡 第35番札所 清滝寺の拡大映像

第35番札所 醫王山
 鏡池院 清滝寺
  14時56分
本堂 大師堂

雨の中、境内に人の姿は無く本堂、大師堂と巡り境内中央に高さ15mほどの薬師如来像を見上げる。 台座付近に入口があり、案内を見ると戒壇めぐりがあり、御真言(おん ころころ せんだり まとうぎ そわか)を唱えながら、 狭い真っ暗な階段をひと回りすれば厄除け祈願の御利益があるそうです。 台座の中は大人ひとりが通れる狭い階段があり、後は手探りでいくそうです。…でも今はそれどころではなかった。

薬師如来像

大雨の中で読経を済ませ、菅傘の有難さを実感する。手が自由になるのが良かった。 読経後、今夜は通夜堂泊が可能かと思って通夜堂に入るとアメリカ人夫婦が雨宿りしていた。 雨具の装備が無く、納経所で通夜堂泊の了解を貰ったという。

仕方なく町中で宿探しをすることになった。 取りあえず、読経と撮影が済んだので納経印を戴きにいく。 私は土佐市内で宿探しすることになった。 今日は午前中、あまりにも順調に遍路が進んだが、午後になって道を間違えたり、清滝寺の通夜堂に泊まれなかったりと修行をしている気分!

本降りの雨になった 撮影のOKを戴く

お寺の人から下り道は苔で滑るから注意するよう言われた。 この時初めて、登ってきた道が旧道と知った。 と云う訳で、本来の道を下りて宿探し。 残念なのは、雨中で仁王門を撮影しそこなった事です。 坂道を下る時、菅傘越しに仁王門前を通過した残像は残っているが、私の脳に消えかけた仁王門の残像が…。 それでも途中で雨で霞んだ土佐市内の映像は確保した。

雨中に煙る土佐市内

最初のホテルで値段交渉。大雨でびしょ濡れだから、少し高いがやむを得ない。 素泊まり4725円と云われ妥協した。 他に何軒か旅館があったが、この雨では面倒くさかった。
荷物を部屋に押し込み、雨の中、菅笠を被って近くのコンビニに買い出し! びしょ濡れの白衣と菅笠を被り、素足にスポーツサンダルを履いた髭オヤジが、 夕暮れの薄暗い時間帯に店内に入ったのを店員が見て吃驚した様だ! 手早く籠に商品をぶっこみレジに並ぶ。…我ながら情けない!

 16時25分…
部屋に戻って着替えを済ませてカッパはバス内に掛ける。 バス内で着替えたものを簡単に洗い、室内にロープを張って干した。

大浴場に行ったら浴槽は大人3人しか入れない。 先客がいて身体を伸ばせなかったが、暫くして先客が出たので、その後は思う存分お風呂でストレッチした。

その内浴槽内が段々熱くなってきたので、湯栓を見ると熱湯が出っぱなし状態だった。 すなわち、諺にある「茹でガエル」状態になっていた。アチャー!(ロ゛)アアアアアアア!!


夕食しながら天気予報を聞いたら明日も雨、これも修行と思うことにする。 肩から左背に、臀部にも湿布薬を塗る。 グビグビ飲みながら、遍路日誌を書いてま〜す。

     …四国自転車遍路 TOPへ…
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