■ 「菩提の道場 (愛媛県)」 ■

菩提(ぼだい)= 煩悩を断ち悟りを得る、迷いから目覚める「菩提の道場(愛媛県)」と云われる伊予路に入りました。

発心、修業の道場を経て、ようやくたどり着く菩提の道場は、豊後水道と穏やかな海の瀬戸内に囲まれ、多くの城下町、由緒ある古い町並みに温泉町がある。 その伊予路は、西日本最高の霊峰石鎚山をはじめ多くの山岳霊場があり、その数は26札所ある。


■5月18日(金)天候 快晴■     自転車 Odo 790.1-863.4km (走行キロ73.3km)

観自在寺で初めての通夜堂泊を経験して得難い修行になった。 燃え尽きた蚊取り線香を掃除し、部屋の掃除は備え付けの箒で清掃。 ゴミをまとめて袋に入れ、本堂、大師堂でお詣りし納経所でお礼をする。 晴れ晴れした気持ちで今日もスタートします。 6時半にスタートして、いつものように最初の走行は歩行程度のスピードから始まる。 身体の筋肉に自転車走行のパターンを知らせて徐々にアップしてゆく。
しかし朝から風が強く、それも向かい風の様相。 いつものパターンの走行にならず遅々としてもどかしい。 声を掛けられ振り向くと、先発した自衛隊出身の青年がコンビニで朝食をしていた。 持っていた分別ゴミを処理し、「お互い今日も頑張ろう!」と声掛けして別れる。

中々リズムに乗れないが景観は最高!
 6時52分
僧都川は内海に流れる 内海の景観

56号線は海岸沿いから内陸に入り、6km程、田園地帯に点在する民家を走る。 愛南町の旧御荘町から旧内海村に入ると海岸線を通る。 内海トンネルは車用と歩行者用の別々のトンネルが造られ安心して通過できた。 珍しい歩行者用のトンネルを撮影してみた。 どちらも真っ直ぐなトンネルで900m先の出口の明りが見えるのも安心です。

歩行者、自転車用の専用トンネル 内海トンネルは900m 後2/3です
愛南町の内海トンネルを過ぎても、緩やかな上り下りが続き、速度が上がらない! 次の41番龍光寺まで約50km。 今日はどこまで行けるだろう?と自問自答しながらペダルに力を…。
 8時 由良半島に囲まれた内海 一帯はリアス式海岸

向かい風の中、由良半島の全体が見える海岸線を走り、由良半島への入口に近い須ノ川海岸公園で休憩した。 ここは足摺宇和海国立公園の景勝地の一つで、入口にキャンプ場の受付があり小さなお土産店があった。 しかし今の時間帯に駐車場はガラガラだった。休日や夏休みなどの時期は賑やかなキャンプ場になるでしょう。

四国の道(四国自然歩道)の観光案内 美しいリアス式海岸が続く由良半島

四国自然歩道の観光案内を見ると、由良半島は全体がリアス式海岸のようです。 変形した魚の骨の様な島の形で、宇和島市と愛南町の境界にある。 豊後水道に突き出た全長約13kmの小さな半島で、半島の中央には船越運河があり、小型船舶ならば大きく迂回せず南北間を通行することができるという。

 8時32分 須ノ川海岸公園 由良半島への入口

由良半島の付け根部分の鳥越トンネルを通過すると宇和島市に入る。 嵐坂トンネルは自動車用の隣に歩行者用のトンネルがある。 新しいトンネルは何ヵ所か通過したが、安心して気持ち良く走行できた。 古い300m未満のトンネルでは、入口で車の流れを見て、途絶えた時に助走をつけて20〜30kmのスピードで一気に走り抜けます。
日本の平均健康年齢(自立で日常生活を送れる)は70歳という。 不自由なく日々を送れるのは感謝しなければならない! 嵐坂トンネルを出た処に溜池と公園があり小休憩した。 国道を逆方向に走るバスを時々見かける。 今年はうるう年で逆打ちの遍路ツアーが多いそうです。

国道56号線は内陸に向かう 9時13分 嵐坂トンネル(隣に歩行者用のトンネル) 嵐坂トンネルを出た処に溜池と公園がある

四国自然道の道しるべを発見! そして津島地区で歩き遍路の人と出会った。 後から見ると片足を引きずっている。挨拶して聞くと足の先にマメができて痛いという。 宇和島市内に入って休憩できる処があれば、そこで治療をするという。 後姿の写真を撮影したが涅槃の道場のWEBに掲載しても良いか聞いたら了解してくれた。 消毒液はあるか聞くと、本人も持っているというので、頑張ってくださいと声掛けして別れた。

 9時23分 龍光寺へ約30km(四国自然遊歩道の指標) 津島町

芳源川に沿って56号線を走り、津島大橋を渡り、津島地区の中心部を抜けると今日、最大の難所松尾トンネルがある。 長さが1720mあり、歩道はあるが暗く換気が悪かった。 トンネルを走行する時はマスクを着用し、自転車の前後にライトを点灯、点滅させて、反射タスキをかけて走る。 いささかオーバーの様に思うが体験した人しか判らない。 反射タスキはホームセンターで手に入れる事ができる。

 9時42分 芳源川 松尾トンネル(1720m)

松尾トンネルから国道は下り坂になり、路面の舗装がよく、50kmオーバーの速度が出た。 自転車と合わせて重量があるから加速すると重加速度が上がりスピードが増す。 その代りブレーキが利かなくなり、道路の凸凹や補修面を確認しながら走らなければならない。 勿論、車が走っていればこんなことはしない!


11時
宇和島城が見えてきた

56号線と並行して走っている宇和島道路の宇和島南ICで、56号線は右方向に別れる。 暫く進むと宇和島警察署を通過すると懐かしい宇和島城が視認できるようになった。 右に天赦公園を右折して伊達博物館前を通り、宇和島城を取り巻く五角形の道路の端に到着しました。 宇和島城は戦国武将藤堂高虎が築城したが、今治城に転封後、仙台藩伊達正宗の庶子の一子が入封し、明治維新まで続いた。

現存する上立門(薬医門) バスターミナル

宇和島城の周りを自転車から降りて、気ままに撮影しながら城廻を歩き、身体をクールダウンする。 熟年夫婦の旅なのか宇和島城に沿って散策しているのを見て、 広島の義母の実家に訪問した帰りに宇和島城に寄った時、真夏の季節で日差しが非常にきつかったことを思い出す。 自転車を押して歩きながら宇和島城を一回りして JR予讃線とJR予土線がつながる宇和島駅に向かった。

■ 寄り道写真館… ★彡 宇和島城の拡大映像1   ★彡 宇和島城の拡大映像2

宇和島城(寛文11年(1671年)に完成) 宇和島駅前に向かう

宇和島駅舎は付近の建物に比べて一際目立つ大きなビルで、上層はホテルになっていました。 駅前広場に展示してある蒸気機関車は軽便鉄道の宇和島鉄道の時代に走っていたコッペル社(ドイツ)製のレプリカです。 隣には観光宇和島を代表する名物行事の闘牛の像がありました。 闘牛は起源が鎌倉時代と云われ、市営闘牛場もあるという。

 11時23分 軽便鉄道蒸気機関車 闘牛の像
JR予讃線とJR予土線がつながる宇和島駅を撮影する為、駅前をウロウロ周回しました。 再度訪問するから地理も覚えておこう。 宇和島駅は線路がスイッチバックになり特徴がある。
ホテルが上に併設された宇和島駅舎

綺麗な駅前ターミナル広場に比べて反対側は貨物用駐車場や引き込み線があり、特急、快速用と各停用のホームに分かれている。 特急車両は見れなかったが普通車両は綺麗です。非電化区間のため各車両は気動車です。

普通車両の気動車

宇和島駅舎の裏側から線路に沿って町中の小道を自転車を引っ張ります。 商店や住宅地の道から県道57号線に入るまでが大変だった。 お年寄が多く、県道57号線といっても判らないし、龍光寺の方向を聞くと龍光院を教えてくれたり、 仕方ないのでJR予土線、務田駅方向を聞いたら判りやすく教えてくれた。 要は私の聞き方が悪かったという事。

 11時29分 左は北宇和島駅へ、右は車庫 国道56号線から県道57号線に入る

県道57号線に入るとJR予土線に沿ってゆるやかな登り道。 務田駅の手前の新屋敷遍路休憩所まで来ると歩き遍路の若者に出逢った。 「こんにちは、頑張りましょう!」の挨拶したが、金剛杖の長さを見れば、歩き遍路の本物度が判ります。 擦り減った金剛杖は1mもなかった。

確か記憶で新品は私の胸の高さぐらいあったはず。 背負っているリュックも私のリュックと同じ大きさで簡易テントを持っていたので軽く40kgはあるだろう。 さらに野宿しながらの遍路と聞いて、半端ない気持ちと思った。 笑顔あふれる若者だが、その会話の中に心に秘めた信念を感じ、 私も頑張らなくてはと思った。

 12時32分 新屋敷の遍路休憩所 緩やかな登りが続く

JR予土線の務田駅を左折して、自転車から降りて歩く。 小路を直進し鳥居をくぐって、41番龍光寺に到着。 ここから標高190mの境内まで自転車を押し上げます。 幸い距離が短いので汗はかいたが気持ち良かった。 龍光寺はまわりが樹木に囲まれ、三間町の外れの小高い丘にあります。

龍光寺の入口は鳥居をくぐります。 稲荷神社と同じ場所にあり、山門はなく参道入口の鳥居をくぐり、狛犬の間の参道を200mぐらい直進する。 石段上の境内に入ると右に大師堂、左に本堂があり、その奥に納経所があった。 中央に石段があり、さらに登ると稲荷神社があります。

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■第41番札所 稲荷山 護国院 龍光寺■
     宗 派: 真言宗御室派
     本 尊: 十一面観世音菩薩
     開 基: 弘法大師
     創 建: 大同2年(807年)
     真 言: おん まか きゃろにきゃ そわか
     御詠歌: この神は三国流布の密教を 守り給わむ誓いとぞ聞く
★彡 第41番札所 龍光寺の拡大映像

第41番札所 稲荷山
 護国院 龍光寺
  13時12分
神仏習合の面影が…

本堂
稲荷神社

大師堂
境内には狐とお地蔵さんの石像が並んで、昔の神仏習合の面影が色濃く残っています。 こじんまりとした境内で納経もスムースに終了。
鐘楼

手水舎の奥が納経所


次の42番仏木寺へは約2kmの走り…

次の42番仏木寺へは約2kmの走りで、31号線の道は一本道で難なく到着しました。 仏木寺も標高190mにあり、仁王門前まで自転車で登り石垣に寄せました。 買い置きのお握りを昼食代わりに食すが、このような非日常な食事も遍路経験の一つと思う。

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■第42番札所 一カ山 毘盧舎那院 仏木寺■
     宗 派: 真言宗御室派
     本 尊: 大日如来(伝弘法大師作)
     開 基: 弘法大師
     創 建: 大同2年(807年)
     真 言: おん あびらうけん ばざらだどばん
     御詠歌: 草も木も仏になれる仏木寺 なお頼もしき鬼畜人天
★彡 第42番札所 仏木寺の拡大映像

第42番札所 一カ山
毘盧舎那院 仏木寺
  14時7分
新しい仁王門 その先の石段を上がると境内に入る

ここから境内へ石段を上がります。  境内は小高い丘にあるから明るく、大きなお寺の喧騒とは異なり静かです。 一番の印象は鐘楼の屋根が珍しい茅葺き屋根でした。 牛馬安全の守り神として、最近はペットや闘牛の飼育者などが動物の霊を供養する信仰が広がっているそうです。 それにしても納経帳に記された達筆な筆書に驚きました。

茅葺屋根の鐘楼

本堂
大黒天堂

大師堂

43番明石寺へは約14km先の標高280mにあり、途中には標高480mの歯長峠(歯長トンネル)を越えなければならない難所のコースです。

14時半、佛木寺をスタートして31号線は歯長峠まで約4kmの登り坂がく。 4000mと心に言い聞かせ、毛嫌いするより、やるぞぉ〜と思った方が、気持ちが奮い立ちます。

夕方までに明石寺を打ちたい!田園地帯を抜けると途中から急登になり自転車の押し歩き遍路に…。

無言で歯を食いしばって押し上げ続けていると、横に軽自動車が停車し、おばさんが袋に包んだ飴玉をお接待してくれた。(感謝!) 口に含んだ飴玉が時間とともに小さくなり、無くなるまでの時間が癒された。 休憩時は水分補給し、拭っても、拭っても汗はボトボト落ちてくる。 眼鏡も汗の滴で曇って苦しくなるが、止まっていれば距離は縮まらない!自分に言い聞かせて押し上げます。

車両の流れが多く、特に大型トラックが横を通り過ぎると、風圧で吸い込まれそうになるのを堪えながら自転車押しを続ける。 心の悪魔は囁きます!「崖下に自転車捨てちゃえ!楽になるゾォ〜!」 歯長峠の看板が見えた時は「やったぞぉ!」と心の中で叫んだ!

15時30分、暗く狭い歯長トンネルを抜けて大休憩!自転車はスタンドを使わず縁石に立掛けて、一服の旨さは貴重だ! 5分も休憩して再スタート。

下り坂は時間短縮と残りの距離を縮める効果が最大!
残りの10kmは下り坂で汗かいた身体が冷えていく。
31号線は歯長峠口で29号線になり、 川に沿って走り、下瀬橋で国道56号線に合流して、通り過ぎたことが判り、信号ひとつ戻った。 宇和高校を通り過ぎて、高速道路手前の小道を教えて貰い43番明石寺に到着。
16時30分。残り30分しかない!少し焦った!

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■第43番札所 源光山 円手院 明石寺■
     宗 派: 天台寺門宗
     本 尊: 千手観世音菩薩
     開 基: 円手院正澄
     創 建: 6世紀前半
     真 言: おん ばざらたらま きり そわか
     御詠歌: 聞くならく千手の誓いふしぎには
          大盤石もかろくあげ石
★彡 第43番札所 明石寺の拡大映像

第43番札所 源光山
 円手院 明石寺
  16時32分
仁王門

納経所で本堂が修復中で残念だったと話し、 お寺の縁起を聞くと明石寺は鎌倉時代の建久5年(1194年)に源頼朝が自身の命の恩人である池禅尼(平清盛の継母)の菩提を弔って、 阿弥陀如来を安置し、以後、山号が現光山から源光山に改めたと云われ、武士の帰依が篤く江戸時代には興隆したという。 今年の大河ドラマで、池禅尼(平清盛の継母)と源頼朝の係わりを知っていたので、修復中の伽藍の姿を見れず、なおさら残念に思った。

手水舎



大師堂

鐘楼

時計を見ると16時45分で、境内は静寂に包まれ今日はここで打ち止めにします。 泊る所は保温銀マットや寝袋を用意して、野宿の最適な場所が確保できると思ったが、簡単にその場所があるわけでもなかった。

本堂は修復中

地蔵堂

地蔵堂


夫婦杉

軒付きのバス停や道の駅で野宿し、遍路中にある日帰り温泉施設を利用し非日常を経験するつもりが少しずつ変わってしまった。 実体験すると机上とは違った経験をすることになる。 自転車と一緒に倒れて左背を強打してから身体の痛みが全身に及びやむなく宿泊施設を利用する様になった。

でも打ち終わってほっと一息。全身に筋肉痛が広がるも、 以前は疲労感が先行する心境だったが、充実感を感じるようになったのは何故だろう。 素泊り4000円の予算だったが、某旅館のホテル部を見つけ、聞いてみると素泊り5000円だという。 あと数件宿泊施設があるが、やむなく今夜はここにお世話になることにした。
部屋は狭くバスも小さく設備も良くなかった。遍路旅で最初の外れだった。 自転車を駐車場の軒に置き、荷物を置いて食料を買い出しにいく。 コンビニを探したが近くになく、食品スーパーでお弁当を購入する。 今日も喉が渇いて酒屋に寄って、のどごしとつまみを買ってホテルに戻る。


16時53分  静かな境内

別棟に大風呂があると聞くが、歩いてゆくのも厄介になりバスで済ます。 ただバスには時間をかけて身体を癒した。 遍路日記を書きながら食事をし、寝る直前にもう一度バスで身体を温め、マッサージする。 最近、「カッ!」としなくなった。もともと短気だったはずだが、どうしてだろう?

     …四国自転車遍路 TOPへ…
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