■ 「菩提の道場 (愛媛県)」 ■

菩提(ぼだい)= 煩悩を断ち悟りを得る、迷いから目覚める「菩提の道場(愛媛県)」と云われる伊予路に入りました。

発心、修業の道場を経て、ようやくたどり着く菩提の道場は、豊後水道と穏やかな海の瀬戸内に囲まれ、多くの城下町、由緒ある古い町並みに温泉町がある。 その伊予路は、西日本最高の霊峰石鎚山をはじめ多くの山岳霊場があり、その数は26札所ある。


■5月20日(日)天候 快晴■     自転車 Odo 945.1-1011.9km (走行キロ66.8km) 

荷物はカメラと納経バック、貴重品だけ持ち、リュックは宿ガーデンタイムに預けた。 再び、ここに戻ってくるので、宿の人にお願いしました。(感謝!)
荷が軽くなった分、今までより楽になり、於久万大師から県道12号線を走ります。

ここから久万高原町の美しい棚田を見ながら登り坂に向かう。 町中の角地で、この地の人々がハイキングの服装で集合していた。 問いかけると、12号線をハイキングして、この先にある久万高原ふるさと旅行村への往復ハイキングの団体です。


7時13分  久万高原町の美しい棚田

  7時13分  12号線、岩屋寺へ11.5km

今日も青空が見えて天気が良さそうです。 民宿ガーデンタイムを6時半に出発。今日は12km先の45番岩屋寺です。 スタート地点が480mの標高だから久万高原を走るイメージで、標高715mの峠御堂トンネルを抜けて一度下り、 再び標高500mの峠を越え標高440mの岩屋寺に向かった。

スタート地点が480mの標高だから久万高原を走るイメージで岩屋寺に向かう。 同宿した広島の歩き遍路の人は、昨日、45番岩屋寺、44番大寶寺を打ってきたので、今日は46番浄瑠璃寺に向かうと、同じ時間に宿を出発した。
「また、途中で再会するかも?」と話して別れた。

峠御堂トンネル(623m)を抜ける時、歩道が無く苦労したが、新しい古岩屋トンネルは歩道があったので安心した。 12号線は緩やかな登り降りの続く整備された道路で渓谷美の素晴らしい自然を見ながら走れた。 久万高原ふるさと旅行村前を通り、自然を堪能しながら順調に走って岩屋寺前に到着しました。

 7時32分 峠御堂トンネル

古岩屋トンネル
直瀬川の渓谷美

古岩屋トンネルを通過して振り返る

岩屋寺前に到着して吃驚! 直瀬川の向こう岸の駐車場付近から、歩き遍路の集団がつづら折れを山奥に向かって登っている。 低い石橋を渡り自転車を駐車場に置くか、もう少し登ってみるか思案した。 行ける所まで行こう! 直瀬川の河川敷では地元の人々が草刈りの真っ最中!

岩屋寺前 岩屋寺へ登るお遍路の団体

上方に聳える岩壁に向かって頑張れ!頑張れ! 堂宇が見えないから、一体何百段あるんだろう? それでも石段と石段の間に間があるから、自転車押しに比べれば楽なもんだ! 岩屋寺は、山全体が境内の様相で秘境のお寺という感じで、私は気に入った山岳霊場のひとつです。

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■第45番札所 海岸山 岩屋寺■
     宗 派: 真言宗豊山派
     本 尊: 不動明王
     開 基: 弘法大師
     創 建: 弘仁6年(815年)
     真 言: のうまくさんまんだ ばざらだん せんだ
          まかろしゃだ そわたや うんたらた かんまん
     御詠歌: 大聖のいのる力のげに岩屋 石のなかにも極楽ぞある
★彡 第45番札所 岩屋寺の拡大映像

つづら折りの道を自転車を押し上げる。 「まだまだこれからじゃ、岩屋の坂と人生は」と書かれたお店前で、 さらに「けんこうは宝なり」、 「ねえあんた、もうすこしゆっくり歩いてよ」、 「世界銀行の頭取さえも健康だけは貸し借りできぬ」の看板を見て精神的な疲労感がとれた! このお店のご主人はユーモアたっぷり、おおらかな人だろうと想像した。
ここを通過し暫く進むと石段が見えてきたので、もはやこれまでとステンレスの手摺に自転車を寄せる。


第45番札所
 海岸山 岩屋寺
  8時14分
まだまだこれからじゃ、岩屋の坂と人生は 石段の手前に自転車を寄せた

この山門は山麓の駐車場の方からの参道で1934年(昭和9年)に建立され比較的新しい門です。 当時、ご住職が代替わりした機会に完成した。 六脚門で屋根の部分が大きい門です。

岩屋寺山門 門をくぐりその先に…

再び石段が続く…

今度はスロープの登り… 800mの急勾配な坂道と不規則な階段が続く。 山門から本堂まで、杉木立に覆われた細く急登な道で、アチコチにお地蔵や苔むした墓標がある。

標高440mの門前から標高670mの本堂までの急登でした。 スロープと石段が延々と続き、天気も良いが午前中にもかかわらず鬱蒼とした山道を登って行きます。 「南無大聖不動明王」の幟が並木の様に立ち、それを囲む杉の大木には苔がびっしり、足元にも苔むした石仏やお地蔵が並んでいる。 遍路さんも擦れ違う。打った後の人の顔は晴れやか、登る人は内心どこまで?の心境ではないか。

足元には苔むした石仏やお地蔵が… 沢に架かる朱色の欄干橋を越えて…

■虚空蔵堂…
石段の折り返し地点に小広場があり、ここに虚空蔵堂が建立(1747年)されていた。 扁額には「雨寶」の文字が記され、意味は「宝を雨降らす」智慧や財宝を無限にもたらすという。 虚空蔵菩薩のご利益を象徴している。 帰宅してWEB作成中に知ったが、虚空蔵堂の背後の岩窟に弁財天、道開不動尊が祀られ拝見出来なかったのは残念です。

石段の脇には幟が…

虚空蔵堂で折り返してさらに石段を…
虚空蔵堂

やっと境内に…

垂直に聳え立つ岩盤壁に埋め込まれたような形で堂宇が見えてきます。 岩盤壁をよく見ると凹んでいて、その窪みに石像らしきものも見える。 境内には左側に水子地蔵尊、鐘楼、右側に手水場、庫裏、納経所がある。 さらに登ると大師堂は本堂から少し離れた場所にあり、本堂より大きく高い位置にある。

岩屋寺の奥之院、せり割禅定(鎖の行場)は納経所で別料金を支払い、鍵を借り、 本堂の右手から梯子を登り急峻な岩場を登って行くと云う。 ここも次の機会に残しておく。

工事中の足場が…

石段を上がって左手に鐘楼

■穴禅定…
本堂下の修行の場の洞窟には地蔵尊、不動明王、弘法大師の石像が祀られている。 岩壁の入口に入り合掌する。 願掛けのかなえるお不動さんが祀られていた。

石段の先、右手に穴禅定


穴禅定(かなえる不動)

■本堂…
大師堂より一回り小さく1927年(昭和2年)に建立されたが、岩屋寺は山全体を本尊とするという縁起で、 背後の巨岩(金剛界峰)と一体になるように建立されている。 本尊の不動明王は秘仏としている。

本堂の向う側に遍路団体が説明を受けている。 その背後の岩壁に梯子が掛かっている。 この梯子は岩屋(岩窟)への登り口で、巨岩の岩壁に点在する岩屋には古来より多くの僧がこもり修行をおこなっていた。 その法華仙人堂跡に行くことができる。 またそこからの景観も眺められるという。

■大師堂…
大正9年(1920年)の建立で国重文です。 宝形造り、屋根が銅板葺き、正面の向拝の柱は左右とも双子柱とし、母屋の四隅は3本組の柱になっている。 柱の随所に西洋建築様式が取り入れてある。

本堂 大師堂(国重文)

■仁王門…
古来からの仁王門は1790年(寛政2年)に鐘楼、洞阿弥陀遥拝所として建立された。 本来、茅葺き屋根だったが昭和の時代にトタンが被された。 現在、歩き遍路道の八丁坂越えの入口になっている。
また三十六童子行場、せりわり行場へ行く道です。(お詣りする時は納経所でお札と鍵を受付する)

仁王門…歩き遍路道の八丁坂越えの入口

岩壁に刻まれた数多くの岩窟
岩壁の僅かな場所に岩屋寺がある

納経後、駐車場まで戻った。河原の雑草は綺麗に刈り取られ川面が美しい。 民宿ガーデンタイムに戻るには二つのルートがある。 今来た道を戻るか、12、212号線から33号線に入り、道の駅美川を通り、久万川に沿って伊予落合まで走り、 ここから昨日大寶寺へ向かった33号線を、昨日と同様に登ってゆくルートがあり、距離はあるが後者を選択しました。

 9時12分 直瀬川の河原

途中で自転車ライダーの姿を度々見かける。 悠々と追い抜きながら「頑張っておじさん!」。某大学のサークルで後ろから車両がバックアップしていた。 道の駅美川で彼らは休憩していた。私はそのまま通り過ぎて走ります。伊予落合で再び追い越された。 「おじさん頑張るね!」とまた声を掛けられ、一段とペダルに力が入った!が、二度と会うことは出来なかった。 11時前にガーデンタイムに戻り、お礼を言って荷物を積み直して46番浄瑠璃寺へ向かった。

直瀬川の流れ…
 槇谷橋付近
豊かな自然の渓谷美 久万川

33号線で浄瑠璃寺まで23km、この先の三坂峠が標高710mだから300m近く登ることになる。 約8km先の三坂峠まで、気を引き締めて徐々に急登の坂を目指します。 必死の形相で(自分ではそう思った。) ペダルを踏むものの、やっぱり自転車は重く、途中から峠上まで自転車を押し上げることになった。

 9時34分 久万川の流れ…県道33号線道の駅 美川付近 標高710mの三坂峠(12時半)

標高710mの三坂峠に着いたのが12時半、ここから浄瑠璃寺までは標高が85mまで低くなる。 と云う事は路面さえよければ残りの12kmは…。 下り坂はジェットコースターの様相で、汗をかいた下着が凍るような感じで冷風を受けて滑空する。 パトカーとすれ違ったがスピード違反のような速度で落っこちていく感じ。 60km近くなり軽自動車に追いついた。
……そしてこの後、気が付いた。分岐点は?(一瞬顔が強張った!)

(^^♪飛んで〜、(^^♪飛んで〜! (^^♪廻って〜!、(^^♪廻って〜!
…県道33号線を滑空して危うく分岐点を見逃すところだった。 塩が森バス停で浄瑠璃寺の案内板を見つけ、33号線から別れて浄瑠璃寺への小道に入った。

 12時32分 塩が森バス停付近の景観 塩が森分岐点

小道は小石や舗装の剥がれが多い悪路の表現がぴったりで、パンクに注意して走行。 途中、小型車両が後ろから追い付いたので避けて撮影もする。 池と池の間の堤に数台の車が駐車している。 今日は日曜日だから、釣り好きの人には静かで長閑な雰囲気がいいのだろうか、アチコチで竿が伸びている。

塩が森バス停からクネクネとした小道が続く

小石が多い狭い舗装道を下る



灌漑用の池では釣り人も…

13時2分、塩が森から見晴らしが良い景色からこんもりと茂った林、そして薄暗い小道を通り抜けて…、 幾つもの灌漑用の池では釣り人が見られる長閑な景観です。

四国の地図を見ると石鎚山に近い久万高原から浄瑠璃寺へは愛媛の玄関口、松山市へ向かう形になる。

地形が一気に下って浄瑠璃寺まで来ると、1kmも離れていない所に47番八坂寺もあり、 この分だと調子良く浄瑠璃寺、八坂寺を打てそう。 浄瑠璃寺前に13時過ぎに到着。

浄瑠璃寺は質素なイメージがあり、境内にあるイブキビャクシンは樹齢1000年以上と云われる松山市指定天然記念物があります。 堂宇の間に樹木が多く本堂や大師堂などの全体を撮影できない、そして境内全体図が判りにくい。 団体はいなかったが個々の人達が境内を行きかい静かです。

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■第46番札所 医王山 養珠院 浄瑠璃寺■
     宗 派: 真言宗豊山派
     本 尊: 薬師如来
     開 基: 行基菩薩
     創 建: 和銅元年(708年)
     真 言: おん ころころ せんだり まとうぎ そわか
     御詠歌: 極楽の浄瑠璃世界たくらえば
          受くる苦楽は報いならまし
★彡 第46番札所 浄瑠璃寺の拡大映像

第46番札所 医王山
 養珠院 浄瑠璃寺
  13時12分
浄瑠璃寺の石柱門

境内に入ると樹木が多い

本堂

大師堂

鐘楼

イブキビャクシン

本堂

大師堂

← 仏足石

仏足石は、釈迦の足の裏の形を石に刻み信仰の対象としたもので 「健脚、交通安全、仏足石」と記した小さい石碑があった。

靴を脱ぎ、足跡の上に立つと御利益にあやかると記されていた。
私は足が汚かったので止め、手を合わせる。


浄瑠璃寺から八坂寺まで綺麗な舗装道で約1qの距離です。 お祭りなのか八坂寺の入口には警備員が立哨していた。 山門を正面から撮影したら、お爺ちゃんがピースのポーズをとったので改めて横から撮影し直した。 境内には横から入り宿坊前に自転車を寄せる。 どうやら修験道の火渡り修行祭りで境内は地域の人々で大賑わいです。

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■第47番札所 熊野山 妙見院 八坂寺■
     宗 派: 真言宗醍醐派
     本 尊: 阿弥陀如来(伝恵心僧都作)
     開 基: 役行者小角
     創 建: 大宝元年(701年)
     真 言: おん あみりた ていせい からうん
     御詠歌: 花を見て歌詠む人は八坂寺
          三仏じょうの縁 とこそきけ
★彡 第47番札所 八坂寺の拡大映像

第47番札所 熊野山
 妙見院 八坂寺
  13時41分
山門

本堂
山門をくぐると石段が…

大師堂

本堂には年間の大祭、修験道の火渡り修行祭りで、五智如来の色とも言われ、五つの智慧を表す色として五色幕が掛けてあった。 その本堂の左手奥に万体阿弥陀堂の地下への入口があり、地下室に入ると奉納された数多くの阿弥陀尊が祀られていて厳粛な空間です。
大師堂は戸が閉まり、格子状の隙間の中央にやや大きい格子があり、格子越しにお賽銭を入れる形です。

万体阿弥陀堂の地下への入口



万体阿弥陀堂

本堂と大師堂の間に閻魔堂があります。 「閻魔大王の前で嘘をついても始まらず通行手形を受けるなら極楽浄土は八坂寺」と書かれ、納経所で通行手形が1000円で売られてる。
境内では修験道の火渡り修行の御祭りがおこなわれ、その映像を記録。 修験道の開祖、役行者小角が開基と伝えられ、火の上を人々が裸足で歩く行事の最中で、子供達まで参加の大賑わいでした。

 14時00分 閻魔堂 修験道の火渡り修行祭り

14時を過ぎて次の48番西林寺は八坂寺から5kmある。
田園風景の中、点在する集落の数がだんだん多くなり松山市内に近づいた。 軍資金が東京を出発してから残額が残り少なくなり、みずほ銀行松山支店で補給する必要がある。 郵便局を利用すると便利と知らされていたが、実際、徳島、高知、松山、高松の4ヶ所あれば十分だと思う。 田園地帯を新しい道路が通り、まっすぐ走って県道40号線に出て、重信川の久谷大橋を渡ると右手に西林寺が見えてくる。

境内の土地が低く、仁王門の前に小川があり石橋を渡る。 石段を降りて仁王門があり、ここに自転車を寄せる。 仁王門が低い位置にあるので珍しいと思った。

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■第48番札所 清滝山 安養院 西林寺■
     宗 派: 真言宗豊山派
     本 尊: 十一面観世音菩薩
     開 基: 行基菩薩
     創 建: 天平13年(741年)
     真 言: おん まか きゃろにきゃ そわか
     御詠歌: 弥陀仏の世界をたずね行きたくば
          西の林の寺に詣れよ
★彡 第48番札所 西林寺の拡大映像

第48番札所 清滝山
 安養院 西林寺
  14時41分
仁王門…左側に広い駐車場 鐘楼
丁度、バス団体と重なって読経の声の大きさに圧倒されて、 撮影を先にしてタイミングをずらして納経をする。 久しぶりに賑わっている境内の雰囲気を体感!
本堂  人々の笑顔が満足気です

大師堂
大師堂

納経所で筆を入れて貰う時、一対一になり、納経帳の紙面と筆の運びに視点が集中する。 筆運びが流れるような達筆の人と、アルバイトではないかと思うほど今一の筆運びがある。 そのような時には少しがっかりする。

現在14時40分。この後、49番浄土寺、50番繁多寺、51番石手寺と数キロ離れただけで、午後は多くのお寺を打てそう。

無理をせず自分を見つめ、遍路を体験し、一つ一つ進んで行こうと思う。 早くても何の功徳もない。

庭園が美しい境内

西林寺を出て県道40号線を右に一直線で進む。 商店や民家が連なり松山市が近くなったと実感する。 11号線を横切り、伊予鉄道の踏切を越えてすぐ交差点があり、ここに四国自然道の指標があった。
この交差点を左折して伊予鉄道と並行して走り、右手に浄土寺が見えてくるはずだ!

 15時10分 この先伊予鉄道の踏切を越えて左折 四国自然道の指標も頼りになる

15時15分に浄土寺に到着したが、ここでも団体と重なり納経のタイミングをずらした。 今年は逆打ちの遍路が多いから、団体と重なっても次の札所では逢わない。 最近は気持ちを落ち着けて集中して納経したい思いが強い。 般若心経も暗記した部分が少しずつ多くなる。暗記しようと思う訳でないが、自然の流れか…。

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■第49番札所 西林山 三蔵院 浄土寺■
     宗 派: 真言宗豊山派
     本 尊: 釈迦如来(伝行基菩薩作)
     開 基: 恵明上人
     創 建: 天平勝宝年間(749年〜757年)
     真 言: のうまく さんまんだ ぼだなん ばく
     御詠歌: 十悪のわが身を棄てずそのままに
          浄土の寺へまいりこそすれ
★彡 第49番札所 浄土寺の拡大映像

仁王門をくぐり石段をあがった正面に、本瓦葺き寄棟造りの優美な建築様式の本堂が建立されている。 この本堂は文明16年(1484年)に建立され、国重文になっている。 本堂で読経する団体と、背景に阿弥陀堂と愛染堂を入れて撮影してみた。 団体遍路にも先達の力量の差があるようです。 纏まりのある団体や、そうでない団体を数多く見てきて気が付くことが多い。


第49番札所 西林山
 三蔵院 浄土寺
  15時19分
仁王門

本堂で読経する団体の奥に阿弥陀堂と愛染堂
本堂(国重文1484年(文明16年)建立)

大師堂

納経所は境内から少し離れた白い土塀で囲まれた門をくぐった奥にあった。 納経帳に記される筆書は、初めの頃は何となく見ていたが、遍路も後半に入り、筆運びにも大分興味が湧いてきた。
その為、書かれた筆書の出来映えについて、納得するところと、そうでないところがある。
ジィ〜と、一点集中して見つめてしまうので、相手も緊張するのかな? あまり下手だと意気消沈する。

 15時半 鐘楼 納経所はこの先…

15時50分…

浄土寺を出てすぐ日尾八幡神社交差点を右斜め方向に県道40号線を走ります。 市街地は道が細くなり夕方の時間帯と重なって交通量も増えたから走りづらいです。

コンビニのそばを右折して住宅街に入り、油断すると東西南北が判り難い状況に…。 頭の中に地図を描き、景観と比べて走ると土手が見え、そこに繁多寺の案内板が見えてホッとした。 土手に沿って自転車を引っ張ると広い駐車場があり、大型バスが2台駐車していた。


繁多寺、仁王門手前横の石垣に自転車を寄せ、石段を登り仁王門をくぐると奥行きのある境内が続く。 右手に弁財天を祀った小さな池があり、日も暮れているので撮影を先に済ませた。 納経の終わり頃に次の団体が来て再び境内が賑やかになった。

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■第50番札所 東山 瑠璃光院 繁多寺■
     宗 派: 真言宗豊山派
     本 尊: 薬師如来
     開 基: 行基菩薩
     創 建: 天平勝宝年間(749年〜757年)
     真 言: おん ころころ せんだり まとうぎ そわか
     御詠歌: よろずこそ繁多なりとも怠らず
          諸病なかれと望み祈れよ
★彡 第50番札所 繁多寺の拡大映像

第50番札所 東山
 瑠璃光院 繁多寺
  16時5分
山門 奥行のある境内

■聖天堂(歓喜天像)…
案内板によると江戸時代に徳川家の帰依をうけ、第4代将軍家綱から賜った念持物三体のひとつと云われる歓喜天像は聖天堂に祀られ、 厄除け、商売繁盛、合格祈願などの御利益で知られる。

鐘楼

本堂

大師堂
聖天堂(歓喜天像)

本堂(人が居なくなり再撮影)

大師堂(人が居なくなり再撮影)

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16時40分、繁多寺を出発。
県道40号線に出て右折し石手寺に向かう。 行きかう車両もスモールランプが点いている。 今日の遍路はここで終了、遍路地図から宿泊可能な民宿を数件リストアップしてコンビニで公衆電話を見つけた。 最初の石手寺前の民宿みよしに電話を入れるとOKとの事。 一件目で宿が決まりホッとする。

再び40号線を石手寺に向かい、石手川を渡ると正面に石手寺が見えてきた。 石手寺に到着して、無理して納経するより、翌日落ち着いて納経したい事と遍路旅資金が少なくなり、みずほ銀行松山支店に行きたかった。

弁財天を祀った小さな池

19時40分

民宿みよしは石手寺前の広い駐車場の奥にあり、玄関で声を掛けると後ろからお婆ちゃんが「お疲れ様でした」と、声が聞こえた。 お婆ちゃん、駐車場の管理人とお喋りしてたという。

素泊り料金4000円を支払うと、世話好きのお婆ちゃんがみずほ銀行の場所や近くのコンビニを教えてくれたので、そこで食事の調達をする。
自転車を玄関前に置き、荷物を降ろして部屋に移動。

明日、石手寺には7時前に行かないと団体で混雑するからと、いろいろ情報を教えてくれた。(感謝!)

早速、お風呂の準備をし、ゆっくり身体を伸ばして柔軟体操をしながら長湯を楽しんだ。
左背の痛みは相変わらず鈍痛がする。 肩の凝り、太ももをマッサージして風呂を出た。 部屋に戻り、のどごしを一気に飲むと胃袋に沁みわたる快感を味わう。 のどごしを飲みながら夕食。
就寝までテーブルに遍路地図とデジカメ、ノートをひろげ、 もっぱら遍路日記の未記載分も含めて、デジカメの映像と遍路地図を見比べながら書いてま〜す。
TVで明日の天気予報だけ見て、おやすみなさい!

     …四国自転車遍路 TOPへ…
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