■ 「菩提の道場 (愛媛県)」 ■

菩提(ぼだい)= 煩悩を断ち悟りを得る、迷いから目覚める「菩提の道場 (愛媛県)」と云われる伊予路に入りました。
発心の道場、修業の道場を経て、ようやくたどり着く菩提の道場は、豊後水道と穏やかな海の瀬戸内に囲まれ、 多くの城下町、由緒ある古い町並みに温泉町がある。 その伊予路には、西日本最高の霊峰石鎚山をはじめとして、多くの山岳霊場もあり、その数は26札所あります。


■5月21日(月)天候 曇り時々晴れ■  自転車 Odo 1011.9-1073.6km (走行キロ61.7km)

今日は金環日食が見れるかも。 6時40分に民宿から歩いて51番石手寺に行き、早朝の納経を済ませました。 境内はお掃除の人が綺麗にしている。人はいるが毎朝の日課で来ている近所の人が多いようだ。

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■第51番札所 熊野山 虚空蔵院 石手寺■
     宗 派: 真言宗豊山派
     本 尊: 薬師如来
     開 基: 行基菩薩
     創 建: 天平元年(729年)
     真 言: おん ころころ せんだり まとうぎ そわか
     御詠歌: 西方をよそとは見まじ安養の 寺に詣りて受くる十楽
★彡 第51番札所 石手寺の拡大映像

第51番札所 熊野山
 虚空蔵院 石手寺
  6時43分
巨木と同様に立ち上がる龍の像が…

洗い石
後ろに回ると山門がある

山門
■洗い石……山門前にある、別名、渡らずの橋の裏側に経文が刻まれている。
■仁王門…国宝、二層入母屋造り本瓦葺き、高さ7m、間口3間、横4m、文保2年(1318年)の建立
仁王門 本堂(鎌倉時代末期…国重文)

閑静な境内で心静かに納経できたのは嬉しく思う。 日本最古といわれる道後温泉の近くにあり、参道には遍路洋品店や仲見世の土産店も並んでいる。 石手寺は仁王門、本堂、大師堂のほかに三重塔、阿弥陀堂、鐘楼堂、弥勒堂、護摩堂、一切経堂と歴史ある文化財がある。


三重塔(鎌倉時代末期…国重文)
阿弥陀堂
境内の堂塔が国宝や国要文の壮観さを誇り、四国霊場では随一ともいえる数多くの文化財の宝庫でした。
鐘楼堂 銅鐘には建長3年の銘がある…国重文

護摩堂(室町時代初期…国重文)

一切経堂
弥勒堂



大師堂
…7時20分

映像が朝方のため良くなかったが、人の映像が入らず撮影できたのは良かった。 松山に再訪した時は歴史見学がしたいと思った。 何より四国の戦乱、天災、人災を乗り越え、これだけの文化財が残ったことに感謝したい!
境内の撮影にチョットだけ満足して民宿に戻る。
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7時半に荷物を預けたまま自転車で民宿を出発して、愛媛県庁近くの、みずほ銀行松山支店前に8時前に到着。 シャッターが開いて8時過ぎに軍資金を調達した。


市内中心部は歩道が整備されていて、自転車による通勤、通学が多いことに気がつく。 今日は金環日食が見れるので、アチコチで建物から出たり、窓際からの観測姿を見かけたが、私もタイミングを見計らって撮影!
雲間から見える金環日食は完全ではないが、こんなもんか!と自分で納得する。
町が綺麗で、仕事で仙台に行った時の景観を思い出した。 特にタバコの吸い殻が見当たらない!松山城にも寄りたかったが、以前訪問したから今回はパス。

 綺麗な市内
  7時41分


雲間から見える金環日食


民宿に戻り荷物を積み直して52番太山寺へ向かいます。 遍路コースから外れて、道後温泉付近をブラブラした。 以前来たが、別角度から撮影を重ねます。 坊ちゃん電車も道後ハイカラ通りも、通りから垣間見えた道後温泉館も撮影して、本来の自転車遍路に戻ります。

 8時46分 ここを右方向に… 市電通りに出た

道後ハイカラ通りで客待ちのタクシーに声を掛けて、太山寺への道を聞くと、要領よく判りやすい道を教えてくれた。(感謝!) 道後温泉のハイカラ通りが県道187号線だとは思わなかった。 県道と云ってもハイカラ通りは歩行者専用道で自転車は下りて押してゆくしかない!

道後ハイカラ通り からくり時計
道後温泉から187号線、437号線と一本道を走り、 JR予讃線を越えて右折し、19号線、183号線と走って太山寺へのルートです。 平たんな道程を直線コースで走れば遍路道のコースから外れて走るが判りやすい。
引き込み線に坊っちゃん列車 商店街のアーケードからみた道後温泉本館
ひたすら187号線を直進して、松山聖陵高校辺りで437号線になった。 我慢して走るとJR予讃線を越えて19号線に入る。 ここを右折して道なりに行くと海沿いの三津浜でやっと遍路コースに沿って走る。
 8時57分 椿の湯前には老人が多かった この先三津浜駅前を直進

松の木を右折

松の木でコンビニを見つけ右折する。 登坂を自転車を引っ張り、暫く歩くと丘の頂上に到着。 丘を越えて下ると大山寺の標識を見つけた。 やっぱりタクシーの運転手の道案内は的確で判りやすい。

 ■ 寄り道写真館…
  ★彡 松山城1の拡大映像
  ★彡 松山城2の拡大映像
  ★彡 松山城3の拡大映像
  ★彡 道後温泉館の拡大映像

大寶寺で見た、同じような山門から坂道を約800m登って行くと仁王門があり、 長い参詣道を進むと突き当たって右側に地蔵堂、正面に手水舎があり、その後方に大師像、観音像がある。
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■第52番札所 龍雲山 護持院 太山寺■
     宗 派: 真言宗智山派
     本 尊: 十一面観世音菩薩
     開 基: 真野長者
     創 建: 6世紀後半
     真 言: おん まか きゃろにきゃ そわか
     御詠歌: 太山へのぼれば汗のいでけれど
          後の世思へば何の苦もなし
★彡 第52番札所 太山寺の拡大映像

第52番札所 龍雲山
 護持院 太山寺
  9時53分
町中に建つ山門 仁王門(国重文)

右手の石段を上って四天王門をくぐると左側に大師堂、長者堂があり、右側に厄除大師堂、鐘楼があり、正面に国宝の本堂が建立されている。 屋根の反りが美しく鎌倉時代にこれだけの大きな堂宇を建立できる技術力に再度感心した。

長い参詣道 四天王門前に手水舎
四天王門

入母屋造本瓦葺きの本堂(国宝)
1305年(嘉元3年)の建立で桁行7間、梁間9間

本堂右側に護摩堂、稲荷堂、聖徳太子堂があり歴史感溢れるお寺です。 納経は惚れ惚れする様な一本筋の通った筆書で大満足した。

大師堂 鐘楼堂
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次の53番円明寺へは約3km走る。

大山寺の山から田圃や畑の中に点在する民家を緩やかに下ってゆく。 途中で久万川を渡ると市街地になり伊予和気駅前に到着、すぐ円明寺を見つけた。
久万川を渡る橋上で、由良半島から第41番龍光寺に向かった以降、久しぶりに海を見つめることが出来た。


山道を走っている時と、海岸沿いを走る時で気持ちの変化がある。 ペダルを踏んでいる時、山道では遍路している気持ちがより強くなり、海岸沿いではその気持ちが弱い自分がいる。 札所と札所の途中の貴重な時間を無駄にしてないか自分を見つめる。 遍路も後半になり自転車を引っ張って歩いている時が一番充実していると気づく。

円明寺は市街地に囲まれて、道路から直接境内に自転車を入れて納経所わきに寄せておいた。 山門をくぐると右に鐘楼や各堂宇があり、左に大師堂があります。 境内中央の中門をくぐると正面に本堂があり、その左手に閻魔堂があり、右奥に納経所がある。

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■第53番札所 須賀山 正智院 円明寺■
     宗 派: 真言宗智山派
     本 尊: 阿弥陀如来(伝行基菩薩作)
     開 基: 行基菩薩
     創 建: 天平勝宝元年(749年)
     真 言: おん あみりた ていせい からうん
     御詠歌: 来迎の弥陀の光の 照りそふ影は夜な夜なの月
★彡 第53番札所 円明寺の拡大映像

第53番札所 須賀山
 正智院 円明寺
  11時1分
山門 中門
境内が賑やかで団体が来ていました。 暫く待つと次の団体が来た! 一人、大きな声で読経をして、周囲の喧騒に惑わされることなく読経でき嬉しかった!
本堂 大師堂

自転車を境内の中に入れたので、山門の撮影が最後になってしまった。 高低差のない境内は広々していて、中央に中門があり、ここを中心にして四方に堂宇が並んでいます。

休憩処は人々の入れ替わりが多く、納経後は自転車に戻って一服休憩、 ベンチで境内を行き交う人々に自然に目が追いかけている。 いろいろな表情で遍路してる人々の動きを、ぼ〜っと見つめていて、フッと現実に戻った。
水分補給して次のお寺へ向かう。
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鐘楼

次の54番延命寺までは35kmの道のりです。 和気町の町中をトロトロ走りだし堀江港に向かうが目印の少ない町中を間違えて久万川まで行ってしまった。 道を聞くにも人がいないのでウロウロしてたら郵便局のバイクが通り過ぎ、大慌てでその後ろを追った。 ようやく追いつき堀江港の方向を聞けた。(感謝!)


コンビニで水分補給…11時54分

堀江港から347号線を海沿いに走ります。 ここで見る海は土佐で見た海原と違い穏やかな海原になる。 海岸線に出ると向かい風になりペースが上がらない。 それでも距離感が判りやすいので海岸線を見ながら走り、JR予讃線と並行して今治方面へ向かう。

旧北条市に入ったが行政は松山市です。 天気が良く、海岸線の景観を撮影し、楽しみながらの走行で、心にゆとりができたようです。 向かい風がさらに強くなりペダルへの負担も多くなり、足腰の筋肉へ負担がかかり、左背、尾てい骨の痛みも増してきた。

同じ海岸線を向かい風の中トロトロ走っているが、土佐路を必死の形相で走っていた頃と自身が全然違っている。 精神的なゆとり?遍路旅も後半に入っているが自分でもまだわからない。

菊間町に入ると、ここは今治市になり鬼瓦で有名な菊間瓦工場が建ち並んでいる。 窯から出る煙が横へ流れ風が強い。

街道沿いに造られた鬼瓦を見ながら走るが、義母の家の瓦も一年前新しいものに変えたが、ここで造られたものかもしれない。 夏の浦海浜公園を過ぎると196号線は海とお別れして大西町の町中に入りました。

  …今治まで36kmの表示…<

 瀬戸内海の
  重要海上交通路



…14時19分
予讃線と並行して走る区間では時折、列車が行き交う。 1両編成の普通列車もあれば、特急列車も見れる。
特急は先頭車両が流線型が相場だが、ここでは片側が流線型で、反対側は普通車と同じでした。 10両編成の特急車両を半分に分けて運行していた。 地方都市ならではの景観です。

途中で車両の撮影をしようとして電車を確認してからカメラを出しているから中途半端な映像しか撮れなかった。


先日、久万高原町の大寶寺で出逢って民宿ガーデンタイムで同宿した広島の人に追い付いた。 暫く談笑したが、手に大型の白封筒を持っていて、知り合いの僧から色紙にサインを戴いたので、郵便局を見つけたら自宅へ送ると話していた。

そして私より先にいたので聞いたら、途中で一般交通を利用したと云われ、大笑い! この方は2度目の歩き遍路で、遍路している姿に精神的に余裕があるように見えた。
今治市の旧大西町から196号線は一本道で平野部を走る。

宅間で196号線と別れて左方向に…

宅間の交差点で左方向に入り、延命寺の案内板を見つけた。 参道と車道が同じで門柱から入って行くと山門がある。 横を車が通るので自転車を押して中門のそばの垣根に寄せた。 ここから一度山門まで戻り、撮影しながら門をくぐり境内に入る。

境内はこじんまりとして落ち着きのある雰囲気で心静かに納経できた。 かつては不動院円明寺と呼ばれていたが、明治になり、53番札所の須賀山円明寺との混同を避けるため、 通称の延命寺の寺号とした。

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■第54番札所 近見山 宝鐘院 延命寺■
    宗 派: 真言宗豊山派
    本 尊: 不動明王(伝行基菩薩作)
    開 基: 行基菩薩
    創 建: 養老4年(720年)
    真 言: のうまく さんまんだ ばざらだん せんだ
         まかろしゃだ そわたや うん たらた かんまん
    御詠歌: くもりなき鏡の縁とながむれば 残さず影をうつすものかな
★彡 第54番札所 延命寺の拡大映像

第54番札所 近見山
 宝鐘院 延命寺
  15時
門柱 山門

中門を入ると右側に鐘楼、手水舎が続き、左側には薬師堂、納経所がある。 正面に本堂があり、左側の石段を上ると大師堂がありました。 中門は明治になり今治城を取り壊す時に、城門の一つを譲り受けたもので、総欅造りの城門です。 本堂前に遍路用品店やお土産店があり、本堂前を電柱と電線が通り、何だか庶民的な感じがする。

中門(旧今治城の城門)

本堂

大師堂への石段
正面に本堂

鐘楼

大師堂

次の55番南光坊、56番泰山寺、57番栄福寺、58番仙遊寺は、それぞれ数キロの距離で順調に納経できそう! 延名寺をでて街道を左に向かう。暫く走るとしまなみ海道に繋がる西瀬戸自動車道の高架下を通る。 道路が二手に分かれ左方向へ進み、川に沿って走ることになる。

田圃や畑に点在する建物がだんだん多くなりJR予讃線の高架下まで来ると見慣れた今治市街になった。 取りあえずフェリー乗り場の方向に向かうと南光坊と大山祇神社の案内を見つけ、 知ったつもりの今治市街地だったがまだまだ知らない所が多くあることを自覚する。

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■第55番札所 別宮山 金剛院 南光坊■
     宗 派: 真言宗醍醐派
     本 尊: 大通智勝如来
     開 基: 行基菩薩
     創 建: 大宝3年(703年)
     真 言: なむ だいつうちしょう ぶつ
     御詠歌: このところ三島に夢のさめぬれば
          別宮とても同じ垂迹
★彡 第55番札所 南光坊の拡大映像

第55番札所 別宮山
 金剛院 南光坊
  15時49分
隣にある別宮大山祇神社 山門(四天王が守護する大型の山門)

南光坊という名が珍しいので納経所で縁起を聞くと、かつて大山祇神社にあったが、 この地に遷された後、別当寺として再興されたという。 明治になり神仏分離令で、大通智勝如来を本尊とする寺として独立した。 別宮大山祇神社が隣にある歴史を知り得た。

本堂

金毘羅堂
大師堂

薬師堂

今治は妻の実家に帰る時に、度々利用しているルートで、今治城、フェリー埠頭など身近に感じる町です。 時間が許すなら、しまなみ海道を往復したかったが、観光で回るのは次の機会に残しておく事にした。 南光坊から糸山公園の来島海峡展望台に行こうと思ったがこれもやーめた!

JR今治駅前通り この先がフェリー乗り場

56番泰山寺に行く時間はあったが、ここで安いビジネスホテルを探す。 市役所がある一帯はホテルや旅館が多く、泰山寺方面は住宅地が多く宿泊場所が少ない。 身体中の筋肉が悲鳴を上げているからの理由で、最近は野宿でなく安易に民宿やビジネスホテルに泊まることが多くなりました。 お風呂に入って筋肉の疲労を少しでも回復させないと、まだまだ先に続く遍路に支障が出るのを心配した。

 16時22分
今治市役所

そして名前と外観で選んだのが今治第一ホテル。 1階が喫茶店で、お遍路さん4000円の表示に吸い寄せられて…。

■ 寄り道写真館…  ★彡 今治城1  ★彡 今治城2


今治第一ホテル

現在16時半、市役所隣の今治第一ホテルに宿泊します。自転車は店内に保管してくれた。 その自転車の前にコーヒーの焙煎機があり懐かしがっていると、ご主人が嬉しそうに話しかけてきた。 神戸の大手コーヒー会社に勤務していて、倉庫にある大型のコーヒー焙煎機も見せて貰う。 焙煎の仕方でコーヒーの味は微妙に変化するので、味わう時にはその分楽しみが増える。

コーヒーの話から、呉市の大和ミュージアムへ行った話をしたら、 話が拡大して、江田島の基地で撮影した海上自衛隊の艦船の映像も見せてくれました。(涎が出るほど欲しくなった!)
戦後引き上げた戦艦陸奥の鉄板まで見せてくれ、趣味として収集した写真も良かった。

自転車は店内に保管 戦後引き上げた戦艦陸奥の鉄板


16時40分
今夜も身体のケアをして万全を期したい!東京から持ってきた筋肉消炎薬は残り少ない! 機会があったら買い求める。 左背の痛みは鈍痛だが大きく身体を動かすと、ビシッ!とした痛みが走る。

コンビニに行って夕食を買い、夕食しながら遍路日記の記帳する! ノートを読み返して追加したりするからページが飛ぶことが多くなる。 また宿泊することが多くなり、記録は毎日の日課になった。
自転車の総走行キロ数も自宅から1073kmと大台を突破した。


室内は広い
明日は7時前に出発して56番泰山寺、57番栄福寺、58番仙遊寺、59番国分寺そして難関の60番横峰寺を目指す。 どんな道中になるか…(おい!おい!欲張ると中身が薄くなるぞ〜!…反省!)
     …四国自転車遍路 TOPへ…
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