■ 「自分の結願」 ■

88番札所大窪寺で納経し、「結願ですね!」と言われたが達成感、満足感、至福の思いなどが、あまり感じなかった。  そして長い自転車遍路旅も結願へ間近になりました。  1番札所霊山寺からスタートした遍路は、作法も判らず、発心の道場に入門し、多くの人に指導されながら修行、菩提と巡り、涅槃の道場を終了した。  四国霊場という曼荼羅の旅の結願も間近です。 ここまで足を進めてこれたのは多くの人々から支援や励ましの心を戴いたから…、さまざまな想いが駆けめぐります。
      自転車遍路旅で涅槃します!    

◆5月28日(月)天候 晴れ◆     自転車 Odo 1416.8-1452.9km (走行キロ36.1km)

「自分の結願」  早朝4時半起床。  荷物を整理して民宿阿波のロビーでお婆ちゃんと昨日の続きの会話をして時間を過ごす。  6時半になり民宿を出ようと準備していたら、お婆ちゃんが朝食をお接待するからと言う。  思わぬ事態に、『驚かないでしっかり朝食をとりなさい』と言われた。(感謝!)

7時前に『お世話になりました』と、挨拶して自転車を押して霊山寺に向かう。  5月7日に寄った遍路洋品店前に自転車を寄せる。 まだお店は空いていなかった。  納経バックを抱えて仁王門前に立ち一礼する。(心では四国遍路を一回りして、今日、線が繋がります、と言う。)  境内に入ると清掃や今日の準備で数人が忙しそうに動いていた。  1番から88番まで来て、今日、円として線が繋がりました。 清々しい結願した気持ちが心に芽生えた。  自転車の走行距離も合計1416.8kmになり、転倒はあったが無事故でよく走って来たと思った。

納経所で納経印を戴く。  納経帳には1番霊山寺から始まり、88番大窪寺までの納経印が1ページごとに繋がっている。  その88番大窪寺の次に、1番霊山寺の納経印が押される。  印の形が1番の時とは違っている。  右脇には今日の日付、平成二十四年五月二十八日と記されている。  道中白衣にも中央上部に納経印を押して貰う。
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■第1番札所 竺和山 一乗院 霊山寺■
     宗 派: 高野真言宗
     本 尊: 釈迦如来
     開 基: 行基菩薩
     創 建: 天平年間(729年〜749年)
     真 言: のうまく さんまんだ ぼだなん ばく


中央の納経印が結願報告をした時の証明印

第1番札所 竺和山
   一乗院 霊山寺
   6時45分

仁王門


本堂

 



朝日が差し込む境内

 
多宝堂




 
十三佛堂


鐘楼

本堂、大師堂とまわり納経を済ませて納経所へ入ると、5月7日初めて応対してくれた高僧の尼僧と目が合った。  「結願しました。  今日はそのお礼で参りました。  大窪寺で結願しても心が晴れなかった。  霊山寺に入って初めて心の中でやったという気持ちが生まれました。」 とお話したら、「良かったね! こっちに来て、ここに座りなさい!」  尼僧から別の場所に移動して、暖かいお茶とお菓子を御馳走になる。  穏やかな尼僧の目を見つめていたら、思わず涙が溢れてしまった。  焼山寺、霊山寺と涙を流した瞬間です。

 
大師堂


納経所控室

納経所控室

尼僧から高野山に行った時は必ず寄りなさいと尼僧が前に居たお寺を紹介してくれた。  必ず行きますと話して忙しくなった納経所を退出した。



  7時15分



退出時記念撮影してもらった。

霊山寺境内をのんびりと散策して遍路用品店のオヤジさんのところへ行く。  私達二人のことを覚えていてくれて、結願の報告をして雑談を交わした。  金剛杖を御守りとして買い、いっぱいの荷物に何処に括ろうか二人で考えた。  笑顔でサヨナラして、徳島の津田フェリー埠頭に向かいます。 

 
道中白衣の中央上部に霊山寺の印




41号線を一直線で走ります。  振り向くと鳴門市板野の山並みが霞んでいる。  田園地帯の一本道で、誰もいなかったので「ありがと〜う! 八十八の霊場! 弘法大師様! お蔭で結願できました〜!」と、叫んだ。  旧吉野川を渡り、吉野川を渡る。  徳島市内に向かうと通勤、通学で混雑する市内は大渋滞です。  市内中心部へ入り、県庁舎前を左折して県庁横のヨットハーバー(新町川)を見て、コンビニで休憩する。  記憶に残る道を走って津田フェリー埠頭に到着した。 (9時10分)

あれっ? 閑散としている!
ビル内に入ってガァァァ〜ン!
窓口に本日「休航」の札が掛けてあった。
そういえば乗船する時、この時期に休航が一日あることを思い出した。
その日が今日でした!
 …「まぁ、いいかぁ!」  大師様が「結願して、そう急ぐこともなかろう」と言っているようでした。

  7時45分
ここを斜め右に向かいます。


41号線を一直線で走ります。

 
振り向くと鳴門市板野の山並みが霞んでいます。


旧吉野川を渡り…

  8時20分





吉野川を渡る





  8時45分





徳島市内に向かうと大渋滞…
前も…


後も渋滞…

県庁舎前を左折して津田埠頭へ…





  8時50分
眉山


県庁横のヨットハーバー(新町川)

誰もいない津田埠頭から再び徳島市内に戻ります。  今日は徳島市内を見物観光しようと割り切る。  明日の乗船切符を予約をして徳島市内に向かう。  市内中央にある徳島城址公園と眉山、阿波踊り会館を観光する予定。
お昼前に徳島城址公園に着き、公園内を周遊しながら撮影を重ねる。  結構いい映像が撮れた。  徳島城博物館を見学しようと向かったら本日休館の札がかかっていて残念!  仕方なく、城址内を一回りしてみる。 縄文時代の史跡、公園広場、植物園、蒸気機関車などいろいろ興味深い史跡が残っていた。  11件ほど徳島城の歴史について案内が記されていたので、順に記してみました。

津田埠頭から再び県庁横のヨットハーバーを通り…
  9時45分






徳島中央公園

 徳島城の歴史散策

  10時10分

徳島城…鷲の門


徳島城の歴史1
鷲の門…徳島城の表門で、藩主や家臣達の城への登城口。  四国の阿波路や伊予路、土佐路の主要街道の起点です。  明治になり徳島城は廃城されたが鷲の門は徳島城のシンボルとして残された。  太平洋戦争の徳島空襲で焼失したが、平成に再建、寄贈されたという。

 


下乗橋
徳島城の歴史2
下乗橋…現在は石橋ですが当時は木製の太鼓橋です。  徳島城御殿への出入口になるので、石垣が枡形に造られ門によって厳重に守られていた。  下乗橋の名は、橋の前で馬や駕籠から降り、歩いて渡ったことに由来している。  明治に花崗岩で造り直されたが、再度の工事で現在の形になった。

 
下乗橋

下乗橋
徳島城の歴史3
太鼓櫓跡…太鼓櫓は大手門の西の石垣にあった三階櫓があった処です。  その三階櫓に太鼓があり時を知らせていたという。  明治に解体されたが場所を移動して現在に至る。 石垣上に時計が建ててあります。

 


太鼓櫓跡
徳島城の歴史4
月見櫓跡…月見櫓は大手門の東の二階櫓です。  明治解体され、現在は石垣だけですが、明治の写真では、鷲の門とともに明確に写っていました。  明治の写真はここをクリック!

 
月見櫓跡の石垣


三木曲輪

下乗橋から本丸へ…
下乗橋


御殿があった所

 
枡形櫓の石垣が残っている。

御殿があった所
徳島城の歴史5
徳島城博物館(表御殿跡)…徳島城表御殿の跡地に建つ徳島城博物館は平成4年に開館。  発掘調査が行われ数多くの遺物や遺構が発見できたという。  その遺構を保護し、かつての徳島城の御殿をイメージし、書院造り建築となった。

今日は休館日だった! 「アチャー!…」
徳島城博物館

徳島城博物館
徳島城の歴史6
蜂須賀家政銅像…徳島藩祖家政は、天正13年(1585年)阿波国領主となり、徳島城を築城した。  銅像は戦時中に供出されて、現在の像は昭和40年(1965年)に造られた。

 



蜂須賀家政銅像

 
平和の塔

城山貝塚
徳島城の歴史7
城山第1号貝塚…城山から貝塚が発掘調査され、徳島県考古学の遺跡として残されています。  縄文時代後期の遺跡で、現在、3つの貝塚を確認できている。  1号貝塚は城山南麓の巨岩の下から貝層が発見され縄文時代後期の土器片も多数出土した。

 
城山貝塚




 


数奇屋橋
徳島城の歴史8
数寄屋橋…城の鬼門(北東)にあたる門が数奇屋門で不明門ともいわれる。  その数奇屋門に架けられた橋が数寄屋橋です。 長さ5間、幅1間の太鼓橋で、現在も木製の橋が架けられている。

再び城内に入り城山を周回してみます。





  10時45分
子供達が遊ぶ水たまり


植物園

西の丸方向に向かいます。





城山を回り込んで…
ジョギングの人が多かった。


幼稚園児の校外学習です。

徳島駅構内が…


気動車の燃料ドラム缶が多かった。
徳島城の歴史9
竜王さんのクス…城山にある最大の楠で推定600年の樹齢です。  室戸台風で倒壊し竜王神社の近くにあったことで竜王さんのクス云われる。  竜王神社は徳島城の廃城時に眉山麓にある国瑞彦神社に合祀された。

  10時57分
竜王さんのクスを描く…

8620形式蒸気機関車と駅舎
徳島城の歴史10
8620形式蒸気機関車…蒸気機関車は大正後半から徳島の町や野、山や谷を走り、昭和44年を最後に勇姿を消した。  昭和45年、国鉄から譲り受け保存することになった。

 



8620形式蒸気機関車と駅舎

  11時00分



徳島城の歴史11
弁天池…御殿の北側にある小さな池で、この池には弁才天を祀る弁天社がある。  城山の麓には竜王宮や諏訪社などが置かれていた。  現在は唯一弁天池だけ残っている。  池の形はほぼ当時のままで残されている。

 



ここのベンチで大休憩。

お昼になりコンビニへ買い物に近所を回ったが見当たらず、徳島駅の反対側のターミナルに向かう。  徳島駅のターミナル玄関は城址側とは別世界で人、バス、車が溢れていた。  コンビニでお弁当とのどごし、おつまみを買い、自転車の後ろにぶら下げて徳島城址公園へ戻る。  弁天池の屋根付きベンチを見つけここで昼食する。  城址公園のお昼の時間帯に東京の皇居のマラソンと同じ景観が見られた。

昼食が終わり喫煙してたら、通りかかったサラリーマングループがジョギングして来て話しかけてきた。  結願したことを話すと、自転車遍路の事を教えて欲しいと、約3週間の思い出を話す。  徳島にもミニ八十八寺遍路が眉山にあると教えてくれる。  遍路旅や旅のホームページの話など談笑して、時間が来て、そのグループは帰った。

別れた後、のんびりとベンチで、おつまみ、のどごしを飲んで、ひと時を過ごしていたら、眠くなってきた!  髭だらけのオヤジがベンチで寝てるから浮浪者に間違われるかな? …1時間以上寝たようです。
3時を過ぎて眉山、阿波踊り会館は明日に回す。

 





 



ビジネスホテルの安い所を探すため、もう一度、徳島駅前のロータリ―に向かう。  建物の様子から安宿を探して、駅前のビジネス旅館さくらを見つけた。  2階の玄関で声を掛けたが人のいる気配がしなかった。  暫くしてお婆ちゃんが壁に手を寄せながら出てきた。  値段を聞くと素泊り3300円というから即決した。

この時間でもOKと云われて、自転車を車庫の最奥にダブルチェーンをかける。  荷物を部屋に入れて全部ひろげて見た。  どれも一度は使って重宝したものが多かった。  1人用のテントを用意しなかったのが最大の後悔だった。  テントがあればもっと余裕をもって遍路してたと思う。

  15時25分
ビジネス旅館さくら


自転車の荷物を全部広げてみた。

暫くの間、遍路日記を書いて、腰が疲れたので畳にゴロンと横になった。  こんなことは久しぶりです。  いつもなら寝る時間が迫ってくるから…。 天井を見上げて、とうとうここまで戻ってきたと実感した。

夕方になりコンビニへ食料の買い出しをして戻り、テレビを見ながらのどごしを飲む。  夕食をとり、遍路日記の続きを進める。  テレビなんてほとんど見なかったから巨人が10連勝したことなど知らなかった。  俗世から離れて、日々札所をまわり納経をしてきた。  現世に戻ったら自分がどのように変わったか知りたい!  それは今後の自分の勝負と考えて、強い気持ちを持つ!  もう一度、お風呂に時間をかけて入り、のどごしを飲みながら、TVで東海地方の天気予報を確認して、明日のフェリーが出航可能と考えた。  22時就寝。

     …四国自転車遍路 TOPへ…


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