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■ 九度山真田庵(善名称院)の歴史 ■ |
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街道沿いに真田庵専用の無料町営駐車場がある。 近所に訪れる宅急便の車両も出入りし、トイレもあるから観光の車両だけでなくタクシーなども利用していた。 ここから真田庵まで歩く。ガソリンスタンドの脇道から幅1m位の小道を入って行くと真田庵の案内板があった。 |
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六文銭の紋が刻まれた門をくぐると、八つ棟造りの重厚な三層城閣風の本堂が建ち、軒の瓦には菊の紋章が入っている。 大安上人は朝廷から菊の紋章の使用を許され、菊と六文銭の二つの紋が使われている。 真田昌幸は、この九度山町にて亡くなり、その後、1741年に九度山出身の大安上人が真田昌幸の墓所に地蔵菩薩を安置した一堂を創建したのが始まりという。 |
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真田地主大権現… |
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資料館に真田昌幸、信繁(幸村)の九度山での生活と、信繁が愛用したと伝えられる槍先や鎧兜などの武具や書状、肖像画や、 当時の真田家の生活を支えた真田紐や高野紙製造用具なども展示されていた。 |
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真田の抜け穴については、善名称院の約200m東に、 昔から地元の人々に「真田の抜け穴」と伝わる穴があり、そこから善名称院までを真田氏が造った抜け穴と信じられてきた。 しかし昭和28年(1953年)に行われた発掘調査で、古墳時代に造られた横穴式石室を持つ円墳であることが判明。 |
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