■ 伊賀上野城を歴史散歩 ■ |
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午前11時50分 | 筒井定次時代の石垣(左側) |
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伊賀公園の駐車場に入ると某テレビ局の車両があり、その隣に駐車。 スタッフは忍者屋敷のロケに入っている。 公園入口で駐車料金を支払い、公園案内書を貰う。 最初に向かったところは、松尾芭蕉記念館です。 ここは松尾芭蕉の生誕地で、記念館を見学する。 |
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館内入口に芭蕉像 |
建物は1階建てコンクリートの建物で、広い敷地に池と芝生に囲まれた静かな場所です。 芭蕉関連の施設は他に数ヶ所あるようで、館内を覗くと代表的な俳句集が展示してある。 俳句にはあまり興味ないが、この時代に芭蕉が何故、各地を歩いたかに興味がある。 芭蕉の足跡を見ると日本各地と云うより、関西から東北南部のエリアです。 |
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松尾芭蕉記念館から伊賀上野城の観光をはじめる。 伊賀上野城は上野盆地の中央にある上野台地の標高184mの丘にある平山城で、織田信雄の家臣、滝川雄利は平楽寺の跡に砦を築いた。 その後、天正13年(1585年)に筒井定次によって改修を受け、慶長16年(1611年)に徳川家康の命で藤堂高虎が拡張したが、 豊臣家の滅亡で築城が中止され、本丸、二ノ丸などの主要部分は城代屋敷を除いて未完成のまま明治を迎えている。 |
芭蕉館を出て… 拡張された伊賀上野城へ… 城代役所曲輪跡 |
筒井定次時代の石垣を見ながら… | | |
戦国武将筒井定次が築城した跡が残っていて、規模を拡大して築城の名手藤堂高虎が拡大した城郭の史跡となっている。 伊賀上野城を含めた近隣一帯は、上野公園として整備され、松尾芭蕉を祀る俳聖殿や芭蕉翁記念館があるほか、 伊賀流忍者博物館があり、伊賀上野の観光地となっている。 義妹夫婦が近くにいて、いつか訪問してみたいと思っていた伊賀の里です。 |
発掘調査を伴う石垣の組み換えもほぼ終了 天守へ向かうのに下に降りていく 本丸へ… |
| 城代役所曲輪跡が一番高い地点 木造天守が見えてきた |
藤堂高虎が築城した石垣の高さは約30mあり、隣接する県立上野高校敷地内に武庫蔵が現存している。 天守台にある3層3階の天守は昭和初期に造られた木造の模擬天守で、正式には伊賀文化産業城という。 高石垣は黒沢明監督の映画影武者のロケにも使われた。 |
本丸エリアを歩く | 高石垣が続く… |
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天守を見ながら石垣見学 |
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伊賀上野城の歴史は、豊臣時代は大坂城の支城として、徳川時代には大坂城を包囲するためと、築城の歴史に大きな変化があった。
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五層規模の石垣に三層の天守は小さく見える |
本丸、天守を撮影後、高石垣を下から見ようと小道を下りていくと俳聖殿(国指定重要文化財)があった。 俳聖殿は松尾芭蕉の旅姿を模したものされ、昭和17年に建設された。 上層の屋根が笠、下部が顔、下層のひさしは蓑と衣姿、堂は脚部、回廊の柱は杖と脚を表している。 下層八角形平面、上層円形平面の木造建築で屋根は桧皮葺です。 |
高石垣の傾きは直線状でした | |
雰囲気の良い俳聖殿の入口 俳聖殿 |
俳聖殿と並んで、50mほど離れた屋敷に小さな忍者姿の子供達がワァーワァー、キャーキャーの賑やかな声が聞こえてきた。 ここが伊賀流忍者博物館かぁ! |
| | 何やら打ち合わせ中! |
忍者屋敷では、罠を仕掛けたり、からくり廊下を使って仕掛けを見たり体験できるそうです。 屋敷は農家そのもので、そこに「どんでん返し」、「抜け道」、「隠し戸」、「刀隠し」などの仕掛け、からくりを楽しめる。 ここでは忍者が見学者を屋敷を案内し、室内に仕掛けられた数々の仕掛け、からくりを実演していた。 |
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子供忍者の手裏剣投げ! 車の燃費も15.2km/Lに… |
手打ちそば、うどん店
伊賀流忍者博物館の隣に手打ちそば、うどん店があり時間を見るとお昼に近く早速店内に入る。
ほとんどが家族連れでテーブルを占領。
店員が木立の展望の良い所を進めてくれて、妻も大分、足が疲れていた。
お蕎麦を注文し、冷たい冷茶でほっと一息!
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東京に向かって帰りは第二東名を走る。 途中のJCTも混雑無く通過し、第二東名に入った所で集中豪雨に見舞われたが遠州森町PAで休憩。 東京ICを夜の12時過ぎに通過すれば料金も半額なので大休憩。 東名に合流して混雑が無くなった頃、海老名SAに到着。 ここで時間調整して自宅には午前1時前に自宅に到着。 車の燃費も14.4km/Lと最高レベルを達成して満足。 |
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