■ 紀伊山地高野山霊場と参詣道 ■
四国遍路と云えば、八十八霊場の札所をお参りすることを云うが、結願するとお礼参りして満願成就するとあります。 お礼参りは厳密な定義があるわけでなく1200年も続く歴史の中でその時代時代に合った作法がおこなわれてきた。
何が正しいかは別として、四国遍路には多様性があってしかるべきと思う。 特に近年は遍路の目的も手段も多様化してるから、遍路する人々の心の思いの数だけ満願成就への思いがある。

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■ 女人堂から蓮華定院、西室院、徳川家霊台、南院、福智院、龍泉院を歩く ■

高野山は2004年(平成16年)に「紀伊山地の霊場と参詣道」として熊野三山とともに世界遺産に登録された。 そこで高野山の何が、どこが世界遺産となったのか…。 調べてみると従来から国の史跡として重要文化財に指定されていた境内の多くが含まれている。

高野山の山内はいくつかの小盆地からなり、高野十谷と云われる場所に、由緒ある子院が数多くある。 これらの子院は鎌倉時代以降、大名や武将達と密接な壇縁関係を結び、菩提所となって発展した。 壇上伽藍と奥の院だけを参拝して帰路するのは高野山の一面だけしか知り得ない。 高野山を体験するために、様々な伝承と歴史に残る史跡や子院が並ぶ参道を歩いて見たい。

高野山の世界遺産は大門地区、伽藍地区、本山地区、奥院地区、金剛三昧院地区、 徳川家霊台地区と高野山麓に慈尊院、丹生官省符神社、丹生都比売神社がある。 さらに高野山から熊野への参詣道である小辺路と呼ばれる信仰の道が登録された。 宿泊する金剛三昧院に予約が取れたのはラッキーと思った。


金剛峯寺から女人堂まで約1kmの道程を歴史散歩する。 途中、高野槇のお店や古い郵便ポストを見学しながら、高野山入出路の一つ女人堂までは緩やかな上り坂が続いた。 一路、女人道に向かい、帰路に途中の堂宇を歴史散歩して千手院橋交差点まで戻るコースです。



高野山駅からバス専用路線で女人堂前バス停


高野不動坂口

■ 女人堂 ■
本尊は大日如来、脇仏に弁財天、神変大菩薩が祀られている。
歴史…
高野山は密教の修行道場として開かれた為、開創以来、女人禁制の時代が続いた。 時代の移り変わりで高野山が霊場として信仰されるようになり、女性参詣者が増えるに従い宿泊所が必要となり、高野七口に女人堂が建てられた。 女性達はここに身を寄せて読経や念仏を唱えたという。 高野七口とは大門口 不動坂口 黒河口 大峰口 大滝口 相の浦口 龍神口を云い、その不動坂口の女人堂は唯一の残存建築物です。

☆彡  女人堂 の拡大映像 ☆彡

不動坂口の女人堂

交通安全地蔵尊
本尊は大日如来

お竹地蔵尊像

堂宇の前でお坊さんが訪れる人々に熱心に説明をしていたので、お話を聞く事ができた。 妻は中に入って参拝。 女人堂から不動坂を下って千手院橋方向に向かい、最初に蓮華定院に到着。

■ 高野山真言宗 真田坊 蓮華定院 ■
  本 尊: 阿弥陀如来
  開 山: 行勝上人
  創 建: 鎌倉年代
鎌倉時代(建久年間)に行勝上人により創建された高野山真言宗の寺院で、本尊は阿弥陀如来です。 真田家所縁の寺院で、入口や建物の各所に真田の家紋の六文銭の紋様が見れます。 石庭の紋様も美しく、静寂な境内で黙読で般若心経を読経。
大河ドラマで真田一族の歴史探訪で長野一帯を旅したが、再び歴史の一端を知ることができて嬉しい!

蓮華定院山門

蓮華定院本坊

見事な石庭の紋様

■ 高野山 別格本山 西室院 ■
   本 尊: 児不動明王(伝弘法大師作) 前立本尊(不動明王坐像)
   開 基: 弘法大師
高野山開創時の弘法大師が開基で、本尊は伝弘法大師作の児不動明王で、大師の護り仏と伝わる。 秘仏としてお祀りし、秘仏前立の本尊は不動明王坐像です。

石柱のある入口から境内の広いお寺の雰囲気です。 垣根に囲まれ広い美しい庭園があり、ちょっと覗いてみた。 庭園に残る源氏三代の将軍(頼朝、頼家、実朝)の供養塔は、高野山最古の石塔です。 駐車場も広く境内がゆったりとしている。

京都別格本山西室院の石柱門



講堂
西室院山門

西室院寺坊

広い美しい庭園
西室院と波切不動尊の脇道から奥へ道があり、金剛峯寺徳川家霊台(世界遺産)に向かう。 江戸時代の高野山には、興山寺東照宮と大徳院東照宮の二社があった。

興山寺東照宮は行人方で維持され、金剛峯寺奥殿の最奥にあったが火災で類焼し敷地のみがある。
大徳院東照宮は聖方の寺院によって管理され、今は徳川家霊台の名称で家康と秀忠を祀る御宮と霊屋が建立されて、国の重要文化財に指定されている。

徳川家霊台は高台にあり、受付で料金を支払い石段を登って行くと小さな門をくぐります。 右に折れると石垣に囲まれた廟所の雰囲気です。 さらに石段を登った高台に透かし塀に囲まれた瓜二つの廟所がある。

徳川家霊台受付所

徳川家霊台

さらに奥へ進むと…
石段を登って…

また石段があり、ここを登ると…

■ 徳川家霊台 ■
1643年(寛永20年)に三代将軍家光によって建立された。 瓜二つの一重宝形造りの建物が二つ並び、右が東照宮家康公廟所、左が台徳院秀忠公廟所です。 その違いは家康公廟所前には鳥居がある。 一辺の長さが6〜7mと小さいが彫刻、彩色、蒔絵、飾金具などが素晴らしいものと実感した。 建物は唐様式(禅宗)の手法です。 全景を撮影した場所は境内の東端で、ここには三代将軍と御三家の尊牌堂があったが、明治に焼失して敷石だけが残っていた。

家康公廟所、秀忠公の両廟所の透かし塀は一部破損している。 文化財の格子状の一部が破損してるのを見て悲しい気持ちがする。 一眼レフでは撮影は難しいので小型のデジカメで撮影。

☆彡 徳川家霊台(世界遺産) の拡大映像 ☆彡

手前が三代将軍と御三家の尊牌堂の敷石

秀忠公の廟所

家康公廟所

秀忠公廟所
家康公の廟所

家康公廟所

小型のデジカメで家康公廟所を撮影

小型のデジカメで秀忠公廟所を撮影

徳川家霊台から道路に戻り、向かい側に、南無妙法蓮華経の文字を発見。 真言宗の高野山には珍しいと思う寂静院がある。 そこには日蓮上人遊學之遺跡と書かれてある。 日蓮が仏の真髄を求め遊学した地のひとつが高野山。 真言密教、高野山に異宗派もある事に…何か嬉しいような気がする。



寂静院

寂静院の金輪塔

■ 寂静院…日蓮関連の五坊寂静院 ■
「妙法蓮華経」の五字を頭に配した妙智坊、法智坊、蓮智坊、華智坊、経智坊と五つの坊があったが五坊をまとめて寂静院になった。
寂静院から南院に向かう。

■ 高野山 別格本山 南院 ■
   本 尊: 波切不動明王
   開 山: 子島真興僧都
南院は東大寺の南院に住していた子島真興僧都によって建立され、 本尊は弘法大師作の波切不動明王です。
浪切不動尊は空海が唐から帰国の際、荒波を鎮めたという伝承があり、 正式名称は高野山別格本山南院ですが、浪切不動と親しまれ、 スリランカから贈られた仏舎利を奉納する仏舎利塔がある。

南院 浪切不動尊入口の石柱門

南院の石柱門

仏舎利を奉納する仏舎利塔
南院の山門

本堂

■ 高野山 別格本山 福智院 ■
   本 尊: 愛染明王
   開 山: 覚印阿闍梨
   創 建: 1200年頃
開基は800余年前に覚印阿闍梨により開かれ、本尊は愛染明王という福徳円満所願成就のご利益のある仏様です。 柵で仕切られていて中には入りにくかった。 お寺の人に撮影にきましたと断って建物だけを撮影。 格式の高いお寺の雰囲気があり、もう少しゆっくり見学したかった。 宿坊には天然温泉があり、三種類の日本庭園がある。

別格本山福智院山門




愛染の庭



巽櫓

■ 高野山真言宗 龍泉院 ■
   本 尊: 薬師如来
   開 山: 真慶律師
   創 建: 延長、承久の年間
龍泉院は弘法大師が善女龍王を勧請し雨請祈願をおこなった霊跡によって、延長、承久の年間に真慶律師によって開基された。 寺名は、かつて弘法大師が祈雨の修法を行った善女竜王の池が、ここにあったことから名付けられたそうです。 本尊は薬師如来で藤原時代末期の作です。 この他にも寺宝としている弘仁時代の弘法大師像や猛菩薩像があるが、これらは毛利元就が寄贈したものです。 本堂、大師堂で黙読で般若心経を読経し、六体のわらべ地蔵の表情の愛らしさに見とれ映像に残した。

龍泉院、光臺院(光台院)入口門

本堂

表情豊かな六体のお地蔵様

境内中央にある御神木

龍泉院のそばにある供養石像群
龍泉院山門

大師堂





橋本警察署高野幹部交番

高野山町役場傍の交番に到着。 木の看板には橋本警察署高野幹部交番とある。 景観に配慮した一般の交番の規模を大きくした幹部交番です。 不動坂口の女人堂から下り坂で疲れはないが、空腹感で手頃の食堂があればと思うが、暫く我慢。

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