■ 旧JR大社駅 ■
大社駅はJR西日本の山陰本線の支線で大社線の終着駅です。 大社線の廃止で1990年に廃止となった。 1961年までは東京、大社間の直通急行列車出雲が運行されていた。 現在の駅舎は1924年(大正13年)に竣工した二代目の駅舎で出雲大社をイメージした造りです。 当時の活況を残す団体専用の改札口もあり、廃止後もホームや駅の掲示などが当時のまま残されている。


2004年に国重要文化財に指定され、一畑電鉄の出雲大社前駅とともに近代化産業遺産に指定。 出雲にはこのような近代化産業遺産が多い。 撮影するため構内の車両や人影が無くなるまでしばらく時間を要した。 それまでは案内板の説明を読んでその歴史を知る。

駅舎中央正面部



観光案内所
近づくと微妙に駅舎が変化する



乗客待合室

駅舎内に入って気が付いたが駅舎の待合室は一等乗客と二等、三等乗客が区別されていたことでした。 中央の広い待合室は入口を入ると、左手に切符売り場、駅務員の部屋があり奥には応接室がある。 そして正面に観光案内所があり、その間が改札口になっている。 右手には壁にベンチが並び、天井も照明もモダンな造りです。 右手奥には一等乗客の待合室があり、ここから改札口も別になっている。

切符売り場、駅務員の部屋

食堂

精算窓口




駅舎の内部の説明をもう少し付け加えると切符売り場の上には乗車運賃表が当時の料金そのままで表示されていた。 因みに東京出雲間は運賃が11120円、指定席特急料金は2970円でした。 出雲夜行列車で寝台車は10000円前後です。(寝台上下で多少差がある) 切符売り場の中には国鉄職員の当時の制服が展示してあった。 また大社町の観光旅館連盟の案内も当時のままでした。

駅舎から改札口を通りホームに出てみます。 ホームには乗り越し精算窓口や次の駅名などが表示がそのまま残っている。 線路の切り替え専用のバーもあり、当時の状況が手に取るように判る。 保存状態がとても良いです。 向こう側のホームへはホーム踏切を利用するようで現代では地方のローカル線でよく見かける光景です。 大社線が走っていた線路は道路に変貌していた。

ホーム踏切に因幡の白ウサギ模様

こちらは…
この先が線路の終端

…線路が道路に変貌

…D51774号蒸気機関車
旧大社駅ホームの端にD51機関車が展示してある。 日本の代表的な蒸気機関車は通称デコイチの呼称で親しまれ、 日本の機関車の歴史上の最盛期に相応しく、旧国鉄の総合技術の粋を結集し昭和11年に誕生した。 昭和21年までに全国で1115輌製造され、大社線では昭和49年を最後に引退した。 動態保存ではないが手に触れて見学できる。





■ 出雲文化伝承館 ■
出雲地方の伝統や歴史を現代に伝えるために平成3年に開館した。 独特の文化に触れることのできる築地松に囲まれた広い敷地には江角家の母屋と長屋門、庭園を移築し、 ここの周囲に松平不昧公が愛用していた茶室独楽庵と路地、現代数寄屋建築の茶室、松籟亭、数々の文化財や美術品が展示されていた。 文化財や美術品は時間の都合と撮影禁止のため訪問せず、敷地内の散策をメインに訪問した。 隣接地には実際に手に触れて出来る創作工房や縁結び交流館がある。





出雲文化伝承館案内図


立派な長屋門

出雲屋敷入口

長屋門を入り正面に出雲屋敷と呼ばれる大きな屋敷がある。 この屋敷の奥には広い出雲流と呼ばれる庭園があったが園内には有料で入れる。 天気が良くないからパスして、出雲屋敷が公開されているので屋敷の中から庭園を眺めることにする。 すぐ中には入らないで伝承館の全体を見て回る。 敷地内の中央は砂利の敷かれた広いスペースになっている。 団体が訪問しても対応できるような伝承館です。 因みに伝承館の入場は無料ですが、一部文化財や美術品の館内は有料と表示が出ていた。

出雲屋敷

出雲屋敷
研修室

松籟亭

天候が晴れたり、小雪が舞ったりと天候が不安定です。 それほど長居はできそうにもない感じ。 と云う訳で、公開されている出雲屋敷の中に入った。 大戸口を入ると広い土間に欅の大黒柱が印象的です。 それに続くクロマツの梁組が屋敷の大きさを想像させてくれる。 屋敷は三の間、二の間、書院と座敷が続く三間造りで、書院からも出雲流庭園が見渡せる。 さらに反対側にも3部屋が続いていて屋敷の大きさに驚いた。






移築して柱や部屋の装飾が昔のままで、部屋の中に座ってみると落ち着く。 ゴロンと寝転んでみたが縁側の廊下も風情があり私のお気に入り。 部屋から見る庭園も情緒があり、縁側に座ってビールでも飲みたい感じ。 奥にある書斎では木枠の窓から見える庭園が素敵です。





書斎からの眺め

大広間に戻って片隅から庭園を眺めてみた。 木枠の窓ガラスを通して広い庭園が望める。 ここから見た映像を撮影すべく露出を考えて撮影。 それがこんな感じで屋敷の主人になりきってみた。 屋敷内に廊下があると冬は暖かく、夏は涼しい日本家屋の特徴です。 反対の出口に向かうと台所になっていて、大店の屋敷の様に立派な食器が展示してあった。 昔は一人ひとりの食膳が並べられ、家長を中心に座って大家族の食事時間があったのではないか。





台所


台所

屋敷から出ると反対側に第二展示室がある。 外側からは中が見えない。 屋敷の隣は松籟亭があり、その間の奥に蕎麦処があるがこの時間では暖簾が無かった。 松籟亭は茶道の千利休が建てたと伝わる茶室を復元したもので独楽庵と呼ばれ、松江藩主の松平不昧公によって大切に伝えられる。 その茶室を飾るように露地庭と呼ばれる、茶の湯の美意識が反映できるような茶苑がある。 ただ松籟亭は中に入れなかった。

第二展示室

その右奥に…

松籟亭入口

…独楽庵への入口


松籟亭は地域の人々が利用の申し込みをすれば使えるそうです。 今日は未利用で鍵が掛かっていた。 その為、独楽庵へは庭園の方から見学する。 小さな門をくぐるとお洒落な庭園への通り道がある。 しばらく進むとさらに小さな門をくぐり厠の横を通り過ぎて石畳の通路が砂利の敷いた小道になった。









松籟亭の雨戸は閉まっている

松籟亭の庭側に到着したが松籟亭の雨戸は閉まっている。 小雪がチラチラと降りだし風も吹いてきた。 松籟亭と独楽庵の間の庭園は苔の生えた部分がアクセントになり結構気に入った庭園です。 庭園というより石庭とした方が良い。 独楽庵と石庭を構図を変えて撮影。













独楽庵

別の角度から見た独楽庵

独楽庵の中が見学可能で茶室を覗いて見た。 入口は身体をかがめないと入れないように出来ている。 この入口は日本茶室の独特の造りです。 この頃から雪が本格的に降ってきて撮影は中止。 車のカギを渡して妻は早々と駐車場へ向かった。




私も少し遅れて車に戻ろうとしたが、ほんの10分位で雪が小降りになり、残りの庭園の小道を足早に撮影しながら車に戻った。 出雲文化伝承館を出て、向こう側に出雲文化工房があったので、ここに避難する。 工房では出雲の歴史と題して、古代から近世への状況がパネルで紹介されていた。 館内に入ったらカメラのレンズが曇ってきたので撮影は中止。 時間が15時40分を過ぎていたので工房を出ると外は青空に変わっていた。 お化けのような天気だ! 帰りに出雲の山々の景色を撮影して今日は終わりとする。





帰り際は天気が回復




■ ひかわ美人の湯 ■
最後の寄り道は温泉です。 16時に出雲文化伝承館を出発して日帰り温泉ひかわ美人の湯に向かう。 源泉は湯の川温泉で、泉質は硫酸イオンを含むナトリウム、カルシム−硫酸塩、塩化物泉です。 凝灰岩を張った内風呂と広い露天風呂がある。 弱い冬の陽射しを浴びながらぬるめのお湯につかっていると、フウッと心が開放され出雲の旅の終了を感じた。



日帰り温泉ひかわ美人の湯


駐車場から施設内に入ると温泉施設というより、この地域の特産品売り場がある。 ここで温泉料金を支払うが、その後、妻は特産品売り場でいつもの買い物を始める。 あれもこれも気に入ったものを買い足して、私はその都度、車のトランクへと往復。 夕暮れから闇夜に変わった駐車場で一服して、妻の買い物が終わるのを待ちやっと温泉施設へ向かう。 施設は特産品売り場の一番奥にあり、意外としゃれた建物です。





温泉の入口

1階に温泉とレストラン、小さな待合室があり2階に広い休憩所がある。 2階の休憩室で場所を確保して妻は温泉に向かう。 私は畳に寝転んで休憩した。 交代で温泉に入り休憩してからレストランに向かう。 お腹が空いているので、早く食べたいと話をしたら店員が定食を勧めてくれた。 値段も手頃で美味しかった。 混雑している割には店員の接客が丁寧で嬉しかった。 この後、暫く休憩してから何時に出発するか時間の割り振りを考える。 自宅への到着時間を決めて、出発時間を逆算して結局19時過ぎに出雲を出ることになった。



レストランに飾られているお雛様

降雪時の夜間走行
2階休憩室

B定食

90q、1300rpmのペースで走る

出雲から継ぎはぎの高速道を走り米子まで走行。 その後、米子道から中国道までは大山の裾野を夜間走るが降雪が酷くなる。 慎重に走りながら雪道モードで定速走行。中国道に入れば雪は止んで運転が楽になった。 この時間にも拘らず山陽道が出来てから中国道を走る車が少なくなったことを実感する。 自宅には日曜日の早朝に到着した。お風呂に入って朝からビールを楽しみ仮眠した。

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