■ 古代出雲歴史博物館 ■
撮影漏れはないか訪問漏れがないか確認しながら正門鳥居まで戻った。 ここから大通りを避けて裏路地を通りながら駐車場へ戻ると7割方駐車場は車がある。 ここから古代出雲歴史博物館へ向かうが、数分の所に博物館の駐車場がある。 広い駐車場は数台駐車しているだけで空っぽの状態。 あまりにも駐車する車が少ないので閉館しているのかと思ったがそうではなく一安心。


ロビーで入館料を聞くと入館料は600円企画展の観覧料は700円でセット券は1000円です。 セット券で入館した。受付でロビーの撮影をしようとカメラを起動して気が付いたらカメラのレンズが目一杯曇っていた。 小型デジカメは温めて暫くすると使用可能になったが一眼レフは内部まで曇ってしまいなかなかとれない。 それまでは自然に曇りが取れるまで待つしかない! と云う訳で仕方ないので小型デジカメで撮影をすることになった。 撮影はフラッシュは禁止のためISO感度を変更

小雪が舞う駐車場

向こう側が正面入口

ロビーフロント
企画展テーマ「匠の技」



総合展示室入口

■総合展示室
総合展示室の中央ロビーには大社境内遺跡出土の宇豆柱がガラスケースに収められて展示してある。 この宇豆柱は平成12年からの大遷宮で大社境内遺跡から大木3本を1組にし直径が約3mにもなる巨大な柱が発見された。 これは棟を支える柱、すなわち棟持柱で宇豆柱と呼ばれてきたものです。 科学的分析や文献記録などによって鎌倉時代前半に造営された本殿を支えていた宇豆柱と云う事です。 案内の人が最初にこれだけは最初に見て下さいと強調していた。

大社境内遺跡出土の宇豆柱 宇豆柱

■テーマ別展示室(出雲大社と神々の国のまつり)
最初のテーマ別展示室は「出雲大社と神々の国のまつり」で、 巨大神殿だったとされる出雲大社の謎を中心として、島根に生きる人々の歴史を様々な角度から紹介。 平安時代の出雲大社本殿模型は10世紀の頃に高い巨大な本殿があったという学説に基づいて縮尺1/10の模型です。 実物は柱は直径が3.6mあり、階段の長さは100m以上あり見上げると雲のある大空に同化した本殿を想像しそう。

出雲大社と神々の国のまつりの入口 平成12年からの大社境内遺跡発堀状況の模型

平安時代に雲太とも呼ばれる高さ約48mという日本一高い本殿があったという学説に基づき、 縮尺1/10の模型が館内天井すれすれまで伸びている。 天井の照明も青空をイメージしている。 中心の柱の直径は約3.6m、階段の長さは約109mという。

巨大な模型の横に5つの本殿が並び、鎌倉時代13世紀の頃の出雲大社本殿をそれぞれの学者が1/50の縮尺で復元した模型です。 権威ある博士達が復元したものが、これだけ差異があるとチョット考えてしまいます。果たして…? どの本殿も特徴は縦の太い木によって支えてるが、 重量には耐える事ができそうだが、横の力に対しては弱点がありそう。 地震に限らず大雨や強風には弱い構造です。

本殿

鎌倉時代の出雲大社本殿模型
平安時代の出雲大社本殿模型

これらの模型の横に小さいが日本各地の精密に造られた出雲大社本殿 豊受大神宮正殿(伊勢神宮外宮) 住吉大社本殿 宇佐神宮本殿 賀茂別雷神社本殿 春日大社本殿が一列に並んでいた。
それを上方と正面から撮影。人形があるので社殿の大きさがある程度分かると思う。

出雲大社本殿

豊受大神宮正殿 (伊勢神宮外宮)

住吉大社本殿

宇佐神宮本殿

賀茂別雷神社本殿

春日大社本殿










出土した組木や大社の屋根にあった千木(ちぎ)と勝男木は、1881年明治時期におこなわれた遷宮の用材で、 1953年の昭和時期の遷宮時に撤下されたものを複製したもの。 千木(ちぎ)と勝男木は遠くから見るとそれほどではないが、実際に傍で見ると巨大なことが実感できる。 バツ印の千木(ちぎ)は長さ830cm、幅67cm、厚さ24cmで重さが500kg。 勝男木は横棒で長さ545cm、最大径67cm、重さ700kgだそうです。そして木材の種類は杉の木です。

出土した組木




大社の屋根にあった千木と勝男木


千木勝男木の取り付け場所

出雲風土記、能楽図絵、慶長時期や寛文時期の出雲大社境内模型も視覚的に鑑賞の価値がありました。 慶長時期の出雲大社境内模型は江戸時代の1609年で、一見しただけで今の出雲大社の景観と違う。 この時期は杵築大社絵図を参考にしたが、当時は戦国大名の尼子氏の意向で、三重塔や鐘楼が建立され、仏教色の強い景観だった。 神と仏の宮という感じで本殿は高さが19.6mで仏教建築の影響を受けているが全体的には大社造りの様式が保たれている。

寛文時期の出雲大社境内模型は江戸時代の1667年で現在の本殿や境内の様子がよく似ています。 1667年の造り替えの本殿と境内の様子が当時の設計図を元に模型として造られている。 徳川幕府から銀2000貫というから重量にして約7.5トンの援助を受け約7年の年月をかけて大規模に建て替えられた。 これによって従来の仏教色を取り払い簡素で壮大な神宮が完成した。 本殿は高さが約24mで現在とほぼ同じです。

出雲風土記

慶長時期の出雲大社境内模型
能楽図絵

寛文時期の出雲大社境内模型

…島根の獅子頭
獅子頭は言うまでもなく獅子舞などに使用されたもので比較的軽い材料で作られている。 口や舌、耳などが動くように工夫されていた。 古くなった獅子頭は破棄されず、神社の社殿に納められることもあり多くの神社に古い獅子頭が残っている。 展示されている中からいくつか選んでみた。

横田八幡宮の獅子頭(13〜14世紀)

日御碕神社の獅子頭(14〜15世紀)

益田市の笹倉八幡宮の獅子頭(18世紀)
日御碕神社の獅子頭(14〜15世紀)

安来市の安田八幡宮の獅子頭(16世紀)

益田市の笹倉八幡宮の獅子頭(18世紀)

■テーマ別展示室(出雲国風土記の世界)
次のコーナーは出雲国風土記の世界の常設展で古代の地域の様子が記された出雲国風土記を手掛かりに、 当時の自然や景観の中で暮らしを様々な角度から紹介している。また現代の暮らしに息づく古代文化が紹介されている。 特に島根県全図の地図は現在の埋め立てが進んだ地図と比較して大きく変わり、半島部が本土と距離があることが良く判る。 地図の下には8世紀の古代寺院の軒先を飾った瓦が展示してあった。

出雲国風土記の世界の入口

古代寺院の瓦 松江市四王寺軒丸瓦

松江市四王寺軒平瓦

様々な用途の土器 文字の書かれた土器
古代の島根の地図と古代寺院の瓦

松江市四王寺軒丸瓦

松江市来美廃寺軒丸瓦と平瓦

液体や食べ物を入れる器と蓋も存在した

朝酌渡し場と市の一画復元模型では市と渡しに集う人々を等身大で表現している大掛かりなものです。 さまざまな人々が往来し物が行き交います。 そのような社会の縮図とでもいうべき場所に焦点を当て当時の生業やくらしの一端に迫っている。 奥が絵で手前が模型の組み合わせ模型も自然な映像になるよう工夫して撮影。


朝酌渡し場と市の一画復元模型

日常生活道具

奥が絵で、手前が模型の組み合わせた模型で、 出雲風土記には筌(ひび)漁復元模型は朝酌促戸の東西に筌(ひび)と呼ばれる漁具を渡して、大小の魚を採ったと書かれている。 朝酌促戸に設置された筌(ひび)は水中に束ねた竹木を柵のように刺したもので、 夜のうちに水中に刺して置き、日中に船で行き引き上げて引っかかっている魚を振り落とし、 たも網で獲ったと想像されます。 古代においては魚を採る原始的な道具でした。 この解説を読んで、四万十川の柴漬漁を思い出した。

筌(ひび)漁復元模型 そりこ舟と漁具

島根の真名井遺跡から出土した弥生時代の銅戈(どうか)と勾玉(まがたま)は複製ではあったが迫力がある。 古代本殿の設計書は用紙が新しいが当時の文字で書かれ、書体に興味を持った。 古代の暮らしぶりを伝える土器や神祭り、信仰に係わりのある出土品は、いつの時代であれ当時の状況を知る上で大切なものです。

弥生時代の銅戈

古代本殿の設計書

暮らしぶりの出土品と青木遺跡発掘の模型
弥生時代の勾玉

古墳、飛鳥、奈良時代における神祭りの道具

青木遺跡の信仰に係わりのある神像や絵馬

出土したものは食べ物もあり奈良時代(8世紀)の炭化したお米や食材を入れる木の器、貝に及んで展示されている。 貝の種類も豊富で6はナガガキ、7はマガキ、8はタマクガイ、9はバイガイ、10はアカニシでした。

奈良時代(8世紀)の炭化したお米

古代出雲は食材の宝庫
奈良時代の食材を入れる木の器

木簡

この時期から登り窯があったと知り驚きました。 しかし高温で焼きすぎて歪んだ土器も発見されているから、当時は火力の調整が困難だったことが窺える。 そして出来上がった品は日常生活品から冠婚葬祭、神事まで多岐にわたっていることが判った。

奈良時代に大井窯で焼かれた須恵器(下段)
と高温で焼け歪んだ須恵器(上段)
須恵器の棺桶に描かれた絵、右下が硯具
右上に大井窯の特産品、右中央は寺院の瓦

現代と比べて古代では多くの人が集団で行動することが多かった。 若者たちは男女別、年齢別に行動したという。 結婚適齢期を迎えた男女は集団で決まった日時に歌垣や野遊びにでかけパートナーを探したという。 若者に男女の交際を手ほどきする年長者の存在も重要でした。 現代の集団お見合いのようです。

歌垣と男女の出会い…宴の場面を再現したもので、愛を語り合っている男女のそばで、 食べ物や器を持ち寄り、料理している人や楽器を持っている人もいる。 髪型は放髪(はなちがみ)です。 お年寄りが男女の仲を取り持つため道化を演じている場面です。…説明書きより

歌垣と男女の出会いの模型 古代の代表的な楽器(細腰鼓…さいようこ)

この模型は約1300年前、奈良時代の須恵器の登り窯を再現したもので、 現在の松江市東部に位置する朝酌郷大井地区では、 古墳時代から平安時代まで約400年に渡り須恵器が生産されていた。 ここでは瓦や硯をはじめ土馬などの神祭りの道具も作られていた。

奈良時代の須恵器の登り窯の再現模型 道具や青銅器、剣、土器

景観や地域の自然環境と海を通して文化の伝達があった風土記時代が、 出雲というより島根県を含めた山陰地域の生活の中に現代でも息づく古代文化が残っている。 そんな歴史をかいま見る事ができる。 後半は青銅器や太刀のコーナーに向かいます。 曇っていたレンズも解消し小型デジカメのバッテリーの予備を車に取りに戻り一服休憩をします。

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