■ 古代出雲歴史博物館 ■

■テーマ別展示室(青銅器と金色の太刀)
遺跡から大量に発見された弥生時代の青銅器や古墳時代の太刀は現代に何を物語っているのか、ここのコーナーではそれを知ることができる。 また、これらの青銅器や太刀に何を託したのか知ることもできる。 駐車場から戻り、休憩していた妻と合流してカメラも複数になり撮り直ししながら青銅器と金色の太刀のテーマ別展示室入口にきた。


展示室に入った正面にいきなり国宝の銅鐸が展示してある。 弥生人の至宝と記された説明には島根県加茂岩倉遺跡から出土したもので紀元前2世紀から1世紀のものだそうです。 シカとイノシシと想像される四足動物、双頭渦文で飾られた絵画銅鐸です。 近畿地方の銅鐸には無い紋様で、出雲地域周辺で造られた可能性があると記されてる。 また、荒神谷青銅器(国宝)と加茂岩倉銅鐸(国宝)は本物のみが持つ迫力をぜひお楽しみくださいと案内がある。


テーマ別展示室(青銅器と金色の太刀)

商品のように展示されている銅剣群

弥生時代の銅鐸(国宝)

加茂岩倉遺跡から出土した銅鐸群

展示してある青銅器は国宝のものから複製したもので、本物でも国重要文化財、県重要文化財と選別されている。 文化財の種類に一喜一憂しながら見学していきます。

東アジアの青銅器文化と日本の青銅器
今から4000年前、古代中国で青銅器文化が開花した。 武器や農耕具のほかに貨幣や装身具、祭祀用まで様々な種類の青銅器が高度な技術で発展した。 やがて青銅器文化は中国大陸の周辺に広がり、東アジアの各地でも個性豊かな青銅器が造られた。 そして今から2500年前、朝鮮半島経由で青銅器文化が日本に伝わった。

…弥生人が選んだ青銅器
朝鮮半島で使われたすべての青銅器が日本で広まったわけでない。 日本では弥生人の好みや社会的ニーズで祭器には青銅を使い、実用的な道具には鉄が使われた。 祭器では銅剣、銅戈、銅鉾、銅矛は独自の発達をした。

青銅器の神秘性
銅鐸や銅剣などの青銅器が使われたのは今から2000年前の弥生時代です。 稲作が始まった、この時代の道具の中で、青銅器は燦然と輝く異色の存在です。 中国や朝鮮半島産の原料を入手し、日本列島で造られたものと考えられている。 高度な鋳造技術によって造られた青銅器は、誰にでも手に入れることができるものではない。 弥生時代の人々にとって、それは特別な存在でした。…博物館案内より

加茂岩倉遺跡から出土した銅鐸群

加茂岩倉遺跡から出土した銅鐸群
加茂岩倉遺跡から出土した銅鐸群

加茂岩倉遺跡から出土した銅鐸群

島根には膨大な量の弥生青銅器が残されている。 約2000年前に光り輝いたこれら青銅器は、どのような目的で造られどのように人々に見られたか。 弥生文化に燦然と輝きながら、地中へ埋葬される運命をたどった青銅器の謎に時間をかけて見学した。

左から1号銅鐸から6号銅鐸までの銅鐸は、朝鮮半島で使われていた小型のベルをもとに弥生時代の日本で考え出された祭りの道具だと云われている。 荒神谷遺跡の銅鐸は銅矛16本と共に埋められていた。 古い特徴を持つ、これらの銅鐸は村の祭りで神聖な音色を響かせたのではないか。

加茂岩倉遺跡から出土した銅鐸群

左から1号銅鐸から6号銅鐸までの銅鐸
加茂岩倉遺跡から出土した銅鐸の再現模型

左端は上条遺跡から出土

加茂岩倉10号銅鐸
加茂岩倉遺跡からは出土した銅鐸で吊り手中央にウミガメが刻まれている。 遠い海から産卵の度にやってくるウミガメに当時の人々の思いが刻まれているのではないか。

一括埋納の銅剣(志谷奥遺跡、弥生時代)

1は青木遺跡出土の銅鐸片(耳飾り部分)
2は水田ノ上遺跡出土の銅戈
一括埋納の銅剣(志谷奥遺跡、弥生時代)


加茂岩倉10号銅鐸

加茂岩倉35号銅鐸は角が生えた鹿や猪の風貌の四足獣、羽を広げたトンボなどが装飾されている。 2つの銅鐸は左は近畿地域の銅鐸で西浦遺跡から出土したもので、右は静岡地域の銅鐸で西の谷遺跡から出土したもの。 両方とも複製文化財です。


加茂岩倉35号銅鐸

日本各地から出土した平型銅剣
左は近畿地域の銅鐸で西浦遺跡から、右は静岡地域の銅鐸で西の谷遺跡から出土




銅鼓

1 安来市造山3号墳から出土した斜縁神獣鏡(左)と松江市八日山古墳から出土した三角縁四神二獣鏡(右)
2 飾り金具 中国大陸北方の青銅器 商〜春秋時代紀元前17〜5世紀
3 有蓋鼎(中国大陸中原の青銅器 戦国時代紀元前5〜3世紀)
4 銅甬鐘(中国大陸中原の青銅器 春秋時代紀元前8〜5世紀)
5 前列左端は有蓋方壺(中国大陸中原の青銅器 前漢時代紀元前3〜紀元1世紀)
6 安来市造山1号墳から出土した方格規矩鏡

1 斜縁神獣鏡(左)と三角縁四神二獣鏡(右)

3 有蓋鼎

5 前列左端が有蓋方壺
2 飾り金具

4 銅甬鐘

6 方格規矩鏡

三角縁神獣鏡(重要文化財)
安来市造山1号墳から出土。 神仙と霊獣の図像の外縁に景初三年(西暦239年)を含む銘文41文字がある。

三角縁神獣鏡(重要文化財)


額田部臣の4文字を含む12文字が残る太刀
馬上の大首長像(上塩冶築山古墳、復元品)

ヘラ書き文字が刻まれた須恵器
(出雲市上塩冶横穴墓群出土)

(注)須恵器には太刀と同じ「各」の文字が刻まれ出雲地方の部民制や文字の広がりを伝えている。 左の太刀と合わせて出土したもので、古墳に眠る人物が大和の豪族から貰ったものと思われる。

古墳時代は首長個人の力量を誇示するために集団の組織化が進み規則が作られた。 その為に首長の持ち物が集団の象徴として発展した。 その代表的なものが装飾付太刀です。
額田部臣と刻まれた太刀を所有した人物は、地方を組織化するために若者は出雲から近畿の権力者の元で働く時期がある。 この模型は近畿での仕事の一つで、外交使節を迎える式典に参列した場面を日本書紀や出土品等を元に再現したものです。

額田部臣飾り馬 群像復元模型
(模型縮尺1/3、5人と馬1匹)
神原神社古墳出土の鉄製品

手前は柄頭がわざと切られた太刀で安来市宮山4号墳から出土したもの、 中央は素環頭太刀で雲南市神原神社古墳から出土したもの、 最奥は柄頭に黒漆の装飾が残る鉄剣で松江市上野1号墳から出土しました。

手前は柄頭がわざと切られた太刀
中央は素環頭太刀
最奥は柄頭に黒漆の装飾が残る鉄剣
鉄剣(広島県 国司池の内遺跡出土品)

豪華に飾られた馬具は出雲市上島古墳から出土した。 ここは6世紀の有力豪族の古墳で副葬品は黄金で飾られた豪華なものです。 馬具は中央政権から下賜されたものと思われる。

豪華に飾られた馬具

古墳時代前期の王の証
(復元された素環頭太刀 安来市大成古墳)
豪華に飾られた馬具

舶戴系(海外の影響が強い)の太刀

…単鳳環頭大刀(倭風の太刀)
6世紀後半、出雲東部の古墳では柄の先端に環をもち、その中に龍や鳳凰等の浮彫がある環頭太刀が多量に出土した。 環頭太刀は当初朝鮮半島から持ち込まれ、やがてそれを元に国産された。 それゆえ舶載系太刀と呼ばれている。 因みに舶載とは海外の影響が強いという意味です。

…かわらけ谷横穴墓出土大刀の模型
からわけ谷横穴墓から出土した双龍環頭太刀を構造がわかるように一部を切り取りカットした模型です。 それぞれの部品が精巧に造られ組み合わせてある。 鞘木や柄木の木取り(木目に対する板材の取り方)まで復元出来たのは、実物が非常によく残っていた太刀だった。

単鳳環頭大刀(倭風の太刀)

金銅装双龍環頭大刀と銀装大刀
かわらけ谷横穴墓出土大刀の模型

ここでは実際に太刀に触れることができる
放れ山古墳から出土した金銅装双圭頭太刀を復元…実際に持ってみると非常に重い太刀

…岩屋後古墳の石棺式石室
松江市大草町にある岩屋後古墳は6世紀後半に出雲東部を中心に活躍した豪族が葬られた古墳です。 石室は加工した一枚石を用いて壁や天井を造ったもので、石棺式石室と呼ばれている。 出雲東部の有力者の古墳では石棺式石室が採用され、これを真似た石室や横穴墓が数多く造られた。 他にも土器(子持壺)や形象埴輪も共通する特徴を持っている。

…上塩冶築山古墳の横穴式石室
出雲市上塩冶町にある上塩冶築山古墳の石室は細長い天面形で切石を丁寧に積み上げた横穴式石室です。 これは今市大念寺古墳の石室の形態を引き継いで、切石を用いてより精美なものになっている。 出雲西部では今市大念寺古墳や上塩冶築山古墳の石室を真似た、小規模な横穴式石室が多く造られた。

古墳を飾る土器には葬送用の不思議な土器(子持壺)や円筒埴輪、形象埴輪が発見されている。

岩屋後古墳の石棺式石室

左手前の2つは子持壺と円筒埴輪で奥側に大きな2つの形象埴輪
上塩冶築山古墳の横穴式石室

島根の人々の生活と交流

■総合展示室(島根の人々の生活と交流)
ここでは古代から現代にいたるまで島根の人々の生活と交流が紹介されている。 島根の歴史と文化は四隅突出型墳丘墓、玉、石見銀山、たたら製鉄が展示してあった。 体験コーナーもありました。

…島根の夜明けでは県内に旧石器時代の原田遺跡があり、人類の痕跡を紹介している。

…島根の旧石器時代から縄文時代では気候の変動による海面の上昇や動植物の変化によって、人々の生活が大きく変わった。 移動生活から定住生活に変わり土偶や下山遺跡、三瓶山埋没林、三田谷遺跡の丸木舟など先人の痕跡が紹介されています。

…邪馬台国時代は紀元前3世紀の弥生時代に変わります。 邪馬台国は現在日本の何処かが論争されているので、現代に発見されている証拠だけでは決着がつかないと思う。 ただ、遺跡の出土品は先人の残してくれた宝物として見学します。 弥生時代は大陸から稲作と一緒に様々な技術や文化が入ってきます。 島根の遺跡に稲作文化や鉄器が伝わったルートを想像しながら見学するのも楽しいでしょう。 この時期の出土品に西川津遺跡の人面付十器や四隅突出型墳丘墓の模型があります。

…古墳時代から奈良時代にかけて、大和朝廷から出雲、隠岐へ近畿地方の文化が入ってくる。 古代国家の中心地と島根に中央と地方の関係が生まれ、 この時期は国家形成と一地域との大きな役割が形成される。 この時期の出土品は隠岐の木簡や輝きを放つ出雲の玉作りなどがあり、島根の人々の生活の変化を見学します。

…平安時代から安土桃山時代は律令制社会から荘園社会へ移行しつつ、尼子氏や益田氏が台頭してくる。 律令の制度から発展して新しい制度が出来てくる時期は石見銀山も開発され、人や物の往来も盛んになり都市が形成されてくる。 交易を通じて中国や朝鮮から海外の物資が流入して文化が栄えました。 この時期の出土品は石見銀山の貨幣や外国から来た人物が作成したティセラ日本図が発見されている。

…戦国の世も終わり江戸時代になると島根独特の技術、たたら製鉄や地域独自の風土と原料を生かして新しい産業が発展します。 青銅器から鉄文化が大きく発展した時期でした。

…明治維新を迎えて、新しい日本文化が島根でも発展し、 小泉八雲の目に映った近代の島根県の様子が紹介されている。 小泉八雲については次の旅の機会に譲り、一畑電鉄や北松江駅を知ることが出来る。

島根県各地から発見された出土品

奥は栽培道具(蔵小j路西遺跡)
手前は磨石と石皿(下山遺跡)
原田遺跡(旧石器時代の出土品)

37は用途が判らない線刻礫(浜子遺跡)
32は北原本郷遺跡、34は下山遺跡

縄文人はアクセサリーで身を飾り、石や土で耳飾りやペンダントが作られた。 祭祀、信仰の道具としては土偶が有名ですが小型のものが多い。 乳房があり女性を表現した物や男性のシンボルをかたどった石棒や人の姿を表現した石器も発見された。 西川津遺跡で出土した人面付土器は縄文時代の土偶と異なり面長の顔で、頭頂部の鶏冠状はシャーマンのようです。 小中高の社会科の教科書を思い出した。

縄文時代初めの頃の土器(下山遺跡)

西川津遺跡で出土した人面付土器
丸木舟(三田谷遺跡)

出雲地方の弥生時代に使われた土器

…弩の使い方
弩は私たちが一般にイメージしている弓とは異なり引き金が付いているものです。 古代中国で使われた機械式の弓で引き金を引いて矢を放つ。 展示してあるのは弩の本体で日本で最初の出土品です。 造りが細く漆が塗られていて、奈良時代から平安時代まで祭祀用に使われていたという。

鉄の刃先を付けた農具

弩と呼ばれる機械式の弓
農具に付けられた刃先

山陰地方特有の様々な土器

…出雲特有の台所用具
土製支脚とは煮炊きの際に鍋や釜の架台として使われた。 様々な形があり、かつては犬埴輪とも呼ばれた。 飛鳥〜奈良時代に土製支脚を用いて炊事をするのは全国でも出雲を中心とした山陰海岸部のみです。

出雲特有の台所用具 右側中央は都に送られた木製の荷札で、 品物に付けられ納税者と年月が記されている
左上の2点はのこぎり

…中世後半の陶磁器類
月山富田城の周囲に広がる中世の遺跡群からは、国内産や中国や南海産の陶磁器類が多数出土し、当時の消費生活の豊かさや物資流通の広がりがうかがえる。

中世後半の陶磁器類 中世後半の陶磁器類

…松平治郷像
松江藩の財政改革を軌道に乗せた7代藩主松平治郷は、 雷電ら上位力士の大半を少ない年棒で召し抱えたり、 高価な茶器も限られた自分の小遣いから月賦で買うなどお金の使い方を工夫したという。 石見の善太郎の自画像は晩年70歳の時に書いたもので、老いた自分を振り返り、人間が犯す様々な罪に例えながら罪を嘆いている姿が浮かびます

…ティセラ日本図
16世紀後半にヨーロッパ人が描いた日本の地図。 日本列島の形が概ね正しく認識されている。 石見付近には日本唯一、銀山の記載が見えるからヨーロッパでは石見銀山が日本を代表する鉱山と認識されていた。

戦国大名 尼子晴久画像

石見の善太郎の自画像
松平治郷像

ティセラ日本図

…御取納丁銀
室町から戦国時代の銀貨で1560年(永禄3年)の正親町天皇の即位式に伴い、毛利氏から天皇家に献上された銀貨の控えとされた一枚。 石見銀山産と考えられていて表面に御取納の刻印がある。同じ御取納丁銀だが光源が違うと別の御取納丁銀に見える。

…御公用丁銀
16〜17世紀に度々貢納された石見銀、朝廷の日記に石見銀山からの運上銀や毛利氏から朝廷や幕府への貢納銀が献上された。

御取納丁銀(手に取り重さを体感できる)

御公用丁銀

銀生産の流れ(採掘から製錬まで)
御取納丁銀

文禄石州丁銀(文禄の役で造られた石見銀)

銀生産の初期の頃の小屋の様子

…たたら製鉄
出雲で盛んだったたたら製鉄は古代から近世まで、各時代の製鉄炉の仕組みを模型で解説している。 また一部は体験もできる。 天秤ふいごは炉の中へ空気を送り込む道具です。 左右の踏み台を交互に踏むと嶋板が上下し、空気が送り込まれる。 少ない人数でより大きな風量が得ることが出来、出雲地方のたたらでは17世紀末に使われはじめ、高殿たたらが盛んになった。 天秤ふいごを踏む作業は重労働で、番子と呼ばれる人が交代で務めた。 「かわりばんこ」という言葉は、ここからきていると知り大きな収穫だった。

小規模な炉の模型

天秤ふいごの体験コーナー
天秤ふいごが使われた炉の模型

…旧北松江駅改札口と一畑電車
最後のコーナーでは旧北松江駅改札口は昭和2年、電車は昭和3年のものでいずれも解体、廃棄の時に一部を保管展示してある。 電車の外側には走っているスクリーンが映し出され乗車している気分を味わえる。

旧北松江駅改札口 一畑電車

■常設展 神話回廊
出雲地方の神話シアターが上映されている。 ここではビデオや撮影は禁止。 したがって入口だけの撮影です。シアターの時間は約20分程のビデオが流れています。 今まで見学してきたところの総集編という感じでした。 館内を結構行ったり来たりしながら見学で歩いた距離はそれなりにあると思う。 心地よい疲労感がしてベンチで休憩した。 他にも見学できる処は数多くあったが日程の関係で終了! ここの古代出雲歴史博物館は出雲観光で訪問をお勧めするところです。 順番的には出雲大社の後に行くと理解しやすい。

神話回廊入口 神楽殿そばの第一駐車場

古代出雲歴史博物館の見学も終了して時間は12時半を過ぎた。 昼食をするのに車を移動し大社の神楽殿そばの第一駐車場に移動した。 昔ながらの出雲そばを味わう。 手打ちされた色黒のそばで、適度な歯ごたえのある3段の割子そばは3種類の薬味が加わります。 薬味はとろろ海苔、紅葉おろし、もみのり、ネギがありカラフルな感じ! 何処のお店にするか2、3件回って決めたところは最初に行った所でした。

神楽殿そばの第一駐車場

右側のお店に入る

3段の割子そば

半分ほどのお客がいたが注文して暫くするとお蕎麦が出された。 頃合いを見計らって撮影。 食後の予定は神話の舞台 稲佐の浜に向かう。 そして日御碕岬の方へ足を伸ばしてゆく。

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