■ 常陸国一之宮鹿島神宮 ■ 初めての茨城の旅、というより今まで茨城に行った事が無いわけではありません。 茨城の思い出はゴルフやリトルシニアリーグの合宿等でいつも行っていたので、いざ旅を企画するといつも後回しになってしまう。 奈良の春日大社に歴訪した時、大社の祭神が常陸国鹿島神宮から遷して祀り春日神と称したと知りいつかは歴訪したいリストに上がっていた。 |
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車のそばから撮影した日の出! 4時56分の日の出 |
| 表参道 |
翌朝、妻が日の出だょ!
の言葉でガバッと起きた!
カメラバックから慌ただしくデジカメを取り出し車のそばから撮影した日の出!
そして田んぼまで走った。
年寄が慌ただしく走りゼイゼイしながら田んぼのあぜ道まで走った。
田んぼの水面にも日の出が映り、ダブル日の出になるかな?
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神宮入口 |
倒壊した鳥居跡に新たに… |
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| 陽光が差し込む楼門 |
手水舎 | |
神宮入口には大鳥居が再建されます。
大震災で倒壊した為、新しい大鳥居が平成26年6月には完成します。
御用材は境内の杉が使われます。
その隣に立札があり、そこには「大鳥居 身替りになり倒れしと会う人ごとに無事を喜ぶ」と書かれていた。
手水舎で清め、改めて楼門を見上げると右上から陽光が差し込んで満足する構図になった。 |
楼門にたたずむ |
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社務所、授与所 | 摂社 高房社 |
楼門は左右に広がる袖塀も立派でした。 ここをくぐって静寂な境内に入ると森の奥に広がる境内に驚きます。 左手に社務所、授与所、宝物殿が並び、右手におみくじ所、拝殿と本殿が鎮座している。 東西に伸びる参道に対して、本殿は北方の蝦夷に睨みを利かせるため北向きになっているため、参道の右横に拝殿があるという形になっている。 境内中央で三脚を使って撮影をはじめます。 暫くすると少年野球チームが参拝に来ました。 サッカー、剣道、野球と朝から子供達の参拝が続き、拝見することが出来た。 武術の道場に「鹿島大明神」の額が中央に掛けてあるのを思い出した。 鹿島神宮はスポーツ関係者に崇敬されている。 |
拝殿 | |
| 本殿と御神木 |
拝殿を撮影した後、撮影を中断して参拝します。 この後、本殿を見ると全体にシートが掛かっていた。 昔は伊勢神宮と同様に20年ごとに造営がおこなわれていたが、現在は定期的な遷宮はしていないようです。 社殿は1619年(元和5年)2代将軍徳川秀忠公により奉納されたとのことです。 まさに戦国時代直後に造営された社殿です。 本殿の後背にある杉の大木は御神木だそうです。 そして本殿を修復する時に遷座するための仮殿が拝殿に相対して建てられている。 これも本殿と一緒に建立された建物で国重要文化財です。 |
仮殿 朝の神事 |
内側から見た美しい楼門 望遠で失礼します! |
朝6時を過ぎて宮史が朝のお祈りに出逢いました。 挨拶して見ていると拝殿に入ってお祈り。 その一部を撮影させてもらった。 社殿の左手には宝庫があり、右側に回ると社殿全体がみえたので撮影する。 |
宝庫 奥参道の入口 |
拝殿と本殿と御神木 | |
さてこれから鹿島神宮の森に向かう。 神宮の森はこの地の人々の散策やジョギングコースになっているようで、駐車場は空なのに多くの人々がまるで自分の庭の様に行きかっている。 なるべく映像に入らないように撮影しながら向かった。 最初に見学したのが森の入口左手にある石燈籠です。 これも社殿と同じ時期に、この地の安藤対馬守が奉納したもの。 正面の奥に続く参道は半分がロープで仕切られている。 右側に鹿島神宮流鏑馬の馬場が造られている。 5月1日に流鏑馬の行事があるようです。 馬の蹄が怪我をしないように柔らかい土が盛られている。 |
1619年の石燈籠 流鏑馬の馬場 |
| 流鏑馬の的 |
参道を奥に進んで行くと左手に鎌足桜、さざれ石の看板を見つけた。
さざれ石とは石灰質、角礫岩で長い年月で凝結したもので、これが国家の君が代とどのような関係があるのか! |
| 国旗について |
さざれ石 鹿園 |
常陸国出身の中臣氏は大化の改新以降、藤原の姓を賜り常陸国は藤原氏の発祥の地でもある。
藤原氏は氏神である鹿島御祭神の分霊を奈良に迎え春日大社を創建し、藤原氏の氏神(春日神)の1柱として祀っている。
また鹿島神宮のお使いは鹿の神霊とされているから境内左手に鹿園がある。
春日大社創建時に御分霊を神鹿の背に乗せて多くの鹿を連れて1年がかりで奈良まで行ったという。 |
日本鹿 鹿が日向ぼっこ |
| 奥参道 |
再び参道に戻り奥宮へ向かいます。 途中、流鏑馬の馬場の向こう側に社を発見! よく見ると末社の熱田社で御祭神は素戔嗚命(すさのおのみこと)、稲田姫命(いなだひめのみこと)と記されていた。 境内の至る所に末社や摂社が点在しています。 |
末社 熱田社 | 奥宮 |
やがて参道が行き止まりになり、右手に奥宮が鎮座しています。 早速参拝を済ませ三脚を使って撮影してみました。 光量が少ないのでISO感度を上げて撮影してみました。 神宮の森に囲まれた奥宮の御祭神は武甕槌大神荒御魂(たけ みか づちの おおかみ あらみたま)です。 舌を噛みそうな名前で振り仮名に半角のスペースを入れた。 現在の社殿は、徳川家康公が関ヶ原合戦の戦勝御礼に奉納されたもので国重要文化財です。 元々本殿として使われたが1619年に秀忠公が現在の本殿を造営したことで奥宮と呼ばれるようになった。 簡素な白木造りで鮮やかな色彩を見るより私の好みのイメージです。 |
奥宮 | |
| 鹿島要石 |
奥宮から参道は左右に分かれます。 まずは右手の方向に森の小道を進んで行くと標識のある五差路に出ました。 標識を見ると奥参道は森林の中をハイキングコースの様になっていて、ここでは多くの近隣の方々に出逢いました。 自転車に乗った高校生の他はすべてジョギングの人々でした。 話しを聞いてみるとほとんどが日課で森林浴しながらのジョギング、もしくは散策といった。何とも羨ましい限りです。 |
塚原ト伝最終話時のロケ場所 |
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古参道を直進すると途中にBS時代劇塚原卜伝の撮影ロケ地の案内板がありました。
鹿島神宮の境内や森林で、6ヶ所でロケがおこなわれたそうです。
そしてここが最終話でト伝の強さを確認する場面が撮影されたそうです。
その要石はもう少し奥へ向かいます。
森の中に少しだけ開けた場所があり中央に石塔があり鳥居の奥には柵で囲まれた要石が祀ってあります。
要石は頭頂部だけが僅かに露出している。
要石は鹿島神宮の大神が降臨した御座とも、大鯰の頭と尾を抑える杭とも云われ、
見た目は小さいが地中部分は大きく、掘り出すことが出来ない鎮石と云われている。
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要石が祀られている 安政5年銘の石塔 |
要石 芭蕉句碑 |
要石から今度は反対側の奥にある御手洗池に移動します。 近隣の人々に挨拶しながら下り坂を降りてゆくと正面に小さな御手洗池が現れます。 周囲を囲ってある池の中央に鳥居がありその奥には小さな石で仕切られた所があり、これが祀られている。 この御手洗池は誰が入っても胸の高さしかないという不思議な池で…(ほんとうかなぁ!)謎が深まります。 干ばつでも堪えることのない霊泉といわれている。 |
| 中央に霊泉口 |
御手洗池 | |
大きな椎の樹のそばに末社の大国社があります。 御祭神は大国主命です。藤棚のある茶店があるが早朝のためオープンはしていない。 お店が開いていないと寂しい感じがする。 |
末社 大国社 神苑入口 |
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神苑を一回りしてみようと散策路に沿って歩いてみました。 人が居ないので思い思いの構図を探って撮影してみました。 ここにも神宮裏手の出入口があり、ここから神宮境内に出入りできます。 駐車場もあり、近隣の人達の出入に利用されているようです。 ここから境内と森林の中を散策できます。 出入口の所の鳥居も大震災で倒壊した様で再建のための準備がしてありました。 |
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| | 拝殿 |
奥宮 仮殿(国重要文化財) 判らなかった楼門の飾り |
楼門の両内側にあるこの映像は結局最後まで判らなかった。 楼門の外側に、丁度手水舎の横に鳥居があり、案内板があり覗いてみた。 摂社の沼尾神社と坂戸神社、末社の須賀社、熊野社、津東西社、祝詞社の6社が祀られています。 入って行くと掃除をしている人が居たので摂社について聞いてみたが判らないとの返事で少しがっかり。 |
| 末社 須賀社 末社 稲荷社 |
末社 熊野社 末社 祝詞社(左)と末社 津東西社(右) 親子鹿像「むつみ」 |
末社 稲荷社では車両の交通安全のお祓いができる。
駐車場に戻って帰り支度をしながら一服。
朝の喫煙は美味しい!
駐車場は9時以降は有料になるが、少し得した気分!
それでもアチコチでお賽銭したから…。 |
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