■ 西ゾーンからセンターゾーンへ ■

自宅から自転車で走って園内を歩き回って喉はカラカラ! 四国自転車遍路で使用した愛車(クロスバイク)は、現在、総走行距離が4700kmになった。 スリックタイヤの前輪はまだストレートの紋様が残っているが、後輪は丸坊主に近くなり雨の日に急ブレーキをかけるとスリップが多くなったが、そんな自転車にも愛着がある。


今日は新たに購入した「Team Ukyo Reve」というロードバイクで練習走行です。
昼食後は西ゾーンの最終家屋の見学です。 それまで園内に食事処があるとは思っていなかったが現代的なレストランが営業していた。

デ.ラランデ邸は元は平屋建ての洋館でしたが、明治43年にドイツ建築家の手によって3階建てに増築された。 そして、その建築が現在この場所に移築され、今後も人々の歴史の見学を楽しませてくれる。 東京にもこういう処があるんだなぁ!

デ.ラランデ邸(新宿区)




西ゾーンの「デ.ラランデ邸」では、邸内及びテラスで喫茶と食事が楽しめる。 入口には各種メニュー板が掲示してあった。 メニューを見ると、喫茶から軽食までそろっている。 玄関から入ると、レストランの店員が「召し上がらなくても館内を自由に見学して下さい」と言われた。 そうはいっても広い居間にはテーブルが10以上あり本格的なレストランになっている。
猛暑でもあり、数人がビールと飲んでいる。 思わず喉の渇きを覚えたが、自転車でも飲酒運転が適用されるし、事故の心配をして諦める。 部屋の中では、学生が遊び心で女子の撮影会をしている。 室内は柔らかい光線を受け、女子学生がの臨時モデルで様々なスタイルを披露して友人が撮影しいる。 彼らが去った後から室内のほんのりした映像を撮影。

レストランから見る庭 吹き抜けの階段 カーテンの淡い光が魅力

撮影会場

一番奥の部屋は寝室

次は江戸時代中期の多摩川を望む世田谷の台地にあった農家、綱島邸です。
広間型の間取りを持つ茅葺きの民家で、広間を囲む長方形の断面の大黒柱や押し板という古い形式の板などから建物の歴史が感じられる。 土間の中に入ると中はヒンヤリとした冷風が吹き抜けて、一部学生達が部屋の畳に寝転んで団扇を扇いでいる姿は田舎に帰省した風景を思い出す。

綱島邸(世田谷区)




台所の囲炉裏には火が入って煙が上に…、天井の茅葺が煤で真っ黒に艶光している。 土間の土壁もヒンヤリした感じ、居間では説明員から学生達が建物の話を受けている。 授業というより旅で訪れた時の説明で和やかでした。

綱島邸の内部


綱島邸の前には鹿児島県奄美大島にあった高倉という高床式の倉庫がある。 旧武蔵野郷土館に合ったものが引き継がれている。 高床式のため湿気やネズミの被害から収穫した穀物を守るため建物のイメージがチョット違和感がある。 江戸時代末期の建物で、映像を説明すると屋根の部分に床板があり、屋根の三角の部分が本来の倉庫だそうです。 したがってその下は単なる軒です。 東京都の八丈島にもこのような建物があるそうです。

高倉という高床式の倉庫 屋根の三角の部分が本来の倉庫 倉庫を覗いた

綱島邸の裏手に回ると農家の吉野邸がある。 これも旧武蔵野郷土館のもので江戸時代後期に建築された。 吉野家は江戸時代の野崎村、現在の三鷹市野崎の名主役を務めた名家です。 建物の中に入ると式台付きの玄関や付け書院のある奥座敷にその格式を見ることができる。 台所の上部の屋根の一部にかっこよい造りの排煙用の付け屋根があり、格式の高さを感じる。

吉野邸(三鷹市)

式台付きの玄関






西ゾーンの最後のエリアは少し戻るかたちで園の奥にある。 周囲の建物より少し小さめですが、ここは八王子同心組頭の屋敷です。 八王子は江戸の入口、甲州口の重要拠点があった所で、徳川家臣団の屋敷が多くあった。 小さい屋敷ですが、式台付きの玄関などは、下級武士の格式がある。 江戸時代後期の建物で中に入ると学生達が昼寝していた。(笑い!)

八王子同心組頭屋敷
(八王子)


西ゾーンエリアの見学が終了。 この後、園の奥に向かうと武蔵野の小路がある。 フェンスの外側はよみうり武蔵野ゴルフカントリーを垣間見れる。 武蔵野の小道に沿って園内のセンターゾーンに向かうと、途中に井の頭弁財天道や瀬戸岡1号墳、多摩川台8号墳、片砂遺跡敷石住居跡、御殿山遺跡敷石住居跡が点在している。 東京の大昔の時代の史跡が、ここ武蔵野にも点在していたと云う事です。 それをここで保存していることは、学問にも貴重なことだと思う。

武蔵野の道と史跡 井の頭弁財天道

多摩川台8号墳

御殿山遺跡敷石住居跡
瀬戸岡1号墳

片砂遺跡敷石住居跡

廟所を見つけた

武蔵野の小路の終りはセンターゾーンになる。 ここに一点、豪華な廟所を後側から見つけた。 雑木林の中に立派な廟所が存在感を際立たせている。 撮影しながら正面に回ってみる。

…旧自証院霊屋
江戸幕府三代将軍家光公の側室のお振の方を祀った霊廟で、1652年に市ヶ谷の自証寺の中に建立された。 禅宗と和様の折衷様式で建築され、随所に極彩色の木彫や細かな金具が施された壮厳な建物です。 施主は尾張二代藩主徳川光友の正室であった千代姫です。 建築には幕府作事方棟梁甲良氏が係わっていた。 甲良家は江戸時代の有力な大工で、江戸城や日光東照宮のほか、江戸時代を代表する建築に係わっていた。 徳川将軍家を代表とした霊廟の多くは戦災等で失われてしまったが、その為、旧自証院霊屋は貴重な東京都有形文化財となっている。

旧自証院霊屋



寛永寺灯籠

旧自証院霊屋を一回りして園内の奥に進むと寛永寺の石燈籠が並んでいる。 一際大きな石灯籠がある。 これは寛永寺灯籠で、八代将軍徳川吉宗公没後に献上されたものです。 大きなものから小さなものまで一列に並べられ、覗き込むように見学していく。

センターゾーンに立派な屋敷が見えてきた。 雑木林の中に自然に佇むように建っている。 周囲を回ると建物は2軒あり、最初の建物の外観を撮影。 この建物は高橋是清邸で明治から昭和の初めにかけて日本の政治を担った高橋是清の住居の主屋です。 総栂普請で洋間の床は寄木張りになっている。 2階は是清の書斎や寝室があり、昭和11年の2.26事件の現場です。 明治35年に建築され、港区赤坂から移築された。

高橋是清邸(港区)

1階の和室


玄関から入ると1階は重厚感ある洋間があり中に入れず廊下から拝見した。 廊下も一間の幅で赤い絨毯が敷かれミシリとも音がしない。 各部屋の和室も天襖があり、日本住宅の本物の和室を見ることが出来る。 これに比べれば、自宅の和室なんて…。



2階の和室


2階に上がると隣接している西川邸がよく見える。 早速、その西川邸に向かう。 玄関を出て反対側の入口に向かった。 ここから入ると高橋是清邸と西川邸の庭園が一緒になって、屋敷全体が美しく映える。 西川邸は北多摩屈指の製糸会社の実業家西川伊左衛門が隠居所として建てたもので、大正11年の建築です。 建物の中から見る庭園の映像が良かったので切り取ってみた。 部屋から見る映像はストロボを使用した時と、ノーマルで撮影したものを掲載したが、どちらが自然に見えるかな?



西川邸(北多摩)

高感度撮影




ストロボ撮影

西川邸に隣接して会水庵の茶人、山岸宗住が建てた茶室がある。 庭の方から入って行くと三畳の茶室と台目畳一畳の小間のある茶室があった。 大正期に建てられたもので、杉並区にあったものを劇作家の宇野信夫氏が買い取り、西荻窪に移築した。 それが今回、江戸東京たてもの園に移築したものです。 中には入れないが、外からよく観察できる。

山岸宗住の茶室



   


センターゾーンの最後は入園する前に見た伊達家の門です。 旧武蔵野郷土館の収集したものですが、江戸時代の宇和島藩伊達家が大正時代に建てた屋敷の門です。 起り屋根(むくりやね)の片番所を付けた大名屋敷の門を再現し、立派な形をしている。 総欅造りで門柱の上に架けられた冠木には宇和島藩伊達家の家紋が彫られている。 港区白金にあったものを移築した。

宇和島藩伊達家の門
(港区)


ここまで西ゾーンからセンターゾーンを見学して思う事は、江戸時代後期から昭和にかけての建築物が整備されて移築してあった。 これだけの貴重な建築物が公園内に建てられ、現代の建築物と比較して素晴らしい建物だと感じた。 現代より丁寧な造りで、人が手掛けた温もりのある建築物だと思う。 現代の建物は精練されすぎて、無機質に感じてしまう。 2020年の日本でおこなわれるオリンピックで、各種の競技場が建築や改築がされると思うが、どのような進化、進歩を遂げているか今から楽しみでもある。

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