■ 郡上八幡の散策…いがわの小径から職人町、鍛治屋町へ ■
1652年の大火によって城下町が焼け野原になった郡上八幡は、 1667年に当時の城主遠藤常友によって整備されるが、年を経て1919年の大火で再び町が焼失した。 その後、大正時代から昭和にかけて建てられた家並みが残る柳町や鍛治屋町界隈は郡上八幡の中で最も城下町の風情を残している。 家屋の連なる屋根の軒下を支え家々の延焼を防ぐための袖壁は防犯の役目も果たしている。 家屋の正面は格子が見られ小京都に相応しい景観を見せてくれる。 特に柳町は大正時代に建てられた家屋が多く残り、城下町の面影を色濃く残している。


郡上八幡旧庁舎記念館の川側は遊歩道になっていて裏手に回ると駐車場のそばに「いがわの小径」の案内がある。 まずはここから学校橋まで行き桜町に向かう。 新橋に戻ってから郡上八幡旧庁舎記念館内の喫茶室で大休憩を予定。 その後は柳町、郡上市役所中坪分庁舎経由で上殿町、職人町、鍛治屋町をめぐり城下町プラザに戻る予定です。

寛文年間に出来た用水を見ながら地元の人々によって大切に管理、保全されているのが実感できる。 小径が綺麗で用水路には沢山の種類の魚が手で掴み取れそうな感じで泳いでいる。 また周囲の家屋も裏側にもかかわらず綺麗に化粧している。 第三部はここからスタートします。

いがわの小径の散策




いがわの小径…民家に囲まれた用水沿いに続く長さ約120mの生活道路です。 この用水は島谷用水と呼ばれ、市街地に続いて南側地域の防火用水として重要なものになっている。 水路には周辺の有志の人々によって自主的に管理されている鯉や岩魚、あまご、サツキ鱒、鮎が泳いでいて通る人々に目を楽しませてくれる。 地元の人たちは洗い場組合を作り、今でも洗濯物のすすぎ、芋洗いや季節ごとの葉っぱ洗いなど、生活の一部としてこの水路を利用している。 水路と遊歩道による、この小さな空間は、今でもこうした人々の協力と、先人達の知恵や昔ながらのルールに守られながら愛されている。 この遊歩道の終点で石段を降りると吉田川沿いが散策できる。 吉田川親水遊歩道へ続いている。…(案内板より)









ここまで散策してきて、一番といえる場所に出会いました。 「いがわの小径」は周りの景観と共に水の町、郡上の特長を実感できます。 この時期は観光客とのすれ違いが少なくゆっくりと散策できます。

妻も手の届く流れに手を入れて冷たい清流を実感してます。 遊歩道の終点から一般道に出て、学校橋から周囲の景観を撮影する。 上流側には八幡大橋が見えるが河川敷は石ころがゴロゴロしている。



吉田川の上流方向


吉田川の上流方向を望遠で…

学校橋と新橋の間は川の流れが穏やかで水深が深そうでいい眺めです。 吉田川には長良川の合流点の郡上大橋まで親水遊歩道が続いている。 時間があれば通ってみたいが、今日は一日歩く予定があるので妻の負担を考えると諦めた。 学校橋を渡って桜町を歩きます。 古い建物の他にお洒落なお店を見つけた。 毛糸で編んだいろいろな雑貨や可愛いキャラクターが展示してある。






桜町から新橋に到着し郡上八幡旧庁舎記念館に向かう。 記念館前に湧水が飲めるようにカップがあったので飲んでみた。 冷たく美味しい水は身体の中に染み通る様だ! 反対側に犬啼水神が祀られている。 その由来をみると、1861年この地に猛暑で病に倒れる人が続出した。 村の郷士が犬啼谷の水源が天然氷に適していることを発見し、一般の民に分け与えて困難を乗り切った。 その後、氷田を作り貯蔵庫に保存して病人に与えるようになったという。 氷田工事中に一対の石像を発見し祀ったが明治の豪雨で流失した。 昭和に入り上水道工事中に石像が発見され、ここに祀るとある。



犬啼水神
記念館前の湧水

川の絵に魚のサンプルが…

郡上八幡旧庁舎記念館内に入り食事を、と思ったがまだ10時半だし、軽食程度しかないので昼食は後回しにする。 そのかわり郡上の美味しい湧水で入れたアイスコーヒーを注文。 テーブルに向かうと木彫の落ち着いた部屋でゆっくりできそう。 隣のテーブルにはお婆ちゃん連れが賑やかな話をしている。 テーブル席も自宅と同じようなテーブルだったので撮影したら妻はチャッカリ座ってテコでも動かない様子だった。 足が疲れているのかなと思って黙っていた。






注文したアイスコーヒーがきて一口味見する。 「旨い!」と思わず言葉が出た。 妻もにっこりクリームを入れている。 アイスでもコーヒーの香りが強く、散策してきて、良いタイミングだと思った。 窓に目をやると木の手作りのボンネットバスが飾ってあり、何か自分の家に戻った感じ。

1階のお土産処

30分ほど休憩して1階のお土産処を見て回る。 この後のコースは新橋を渡って柳町、上殿町、職人町、鍛治屋町を回って大手町の城下町プラザに戻る予定です。 橋を渡った所に神農薬師がある。 崖の所にあるお堂で崖から水が滴り落ちている。 ここを左に曲がると柳町になる。 柳町は下柳町と上柳町に分かれているようだ。 下柳町は商店が多く、大正時代の建物や古い街並みが混在している。 2軒の旅館があるT字路を下柳町に向かう。 通行車両が無くなり街並みの散策に丁度良い。

新橋名物の飛び込み場所



ここを右に向かう

まっすく進むと安養寺前に戻った。 城下町プラザの駐車場は大型バスから観光客が賑やかに下車していた。 中国人の団体、早口で喋る言葉は全然判らない! プラザ前を通過して安養寺の側道を歩いていく。 水路があるので覗いて見ると、ここでも鯉が泳いでいる。 こんな風景が街中にあちこち見られるのは郡上ならではの景観だろう。 水路の先に小さな可愛いお地蔵さんと日光と同じ三猿像がある。 安養寺の石垣に寄せて祀られている。 「町並みに瀬音聞えて今日も暮れ」の寄せ書きがあり、湧水が出てた。 町並みの景観を持ち上げる効果がある。

上柳町の街並み

下柳町の街並み
城下町プラザ

お地蔵さんと三猿像

さらに下柳町の街並みを安養寺に沿って歩く…。 水路に鯉が泳いでいる。 そばに安養寺への入口がある。 石垣に沿ってある施設は多分、安養寺が設けたものと思われる。 水路そばにお洒落な落ち着きのあるベンチがあり、観光客が足を止めそうだ。 ここから安養寺の本堂の側面が大きく建っているので下から見上げると巨大な本堂に見える。 実際、この本堂、岐阜県で一番大きいそうだ!

安養寺の入り口

休憩ベンチ
水路に鯉が…

岐阜県一の本堂

安養寺の石垣の終わりの所に水車小屋がある。 小さいが機能は有効のようです。 そこから流れる水音も、目を瞑って聞くと水路と水車の音に癒されます。 水車の流れる処を映像に収める。



上柳町


両側が上柳町の古い街並みになり、車の通行が殆んど無いので見学を十分に楽しめる。 辻の所に和紙店がある。 柳楽庵の看板がお洒落だ! 美濃は和紙でも有名な処で、水の豊富な地域は昔から盛んに生産されているという。 ふと、足元を見ると道端のマンホールがあり、この蓋が郡上を表現する鯉を模ったマンホールだった。 これも豊富な水の地域をアピールしている。 上柳町を突き当たるまで歩くと赤い欄干の石橋に出た。

美濃和紙「柳楽庵」

この地だけのマンホール


惣門橋

この赤い欄干の石橋は惣門橋と記してある。 惣門橋の先は広い道路で水路の手前を左に曲がると市役所の中坪分庁舎前に出る。 ここに惣門橋、惣門坂の由来が記された案内板があった。

惣門橋、惣門坂付近…
この付近は郡上八幡城にとって極めて重要な場所で、その理由は、
1.八幡上の裏鬼門として八坂神社の入口。 (この道を登れば天守台の後方尾根に出ることができる)
2.近くの山の斜面に火薬庫が設置されている。
3.八幡城下への北からの出入口地点である。
この様なわけで江戸時代の早い時期から馬場町(現在の殿町)の北詰めには町口番所が設けられていた。 惣門という字名が今日も残っているのも、それら建造物にかかわるものと考えられる。(案内板から)

私は、この様な案内をみると、当時の様子を、夢を見るように想像してしまう悪い癖がある。 この水路も昔は外堀としてあったのかもしれない。
ここ上殿町には大きな駐車場があり、隣に郡上八幡博物館がある。 ここは郡上踊りを午前と午後に見学できます。 今回はパスして博物館だけ撮影する。 この時間帯になって街中に観光客が目立つようになった。

惣門橋

上殿町の街並み
中坪分庁舎前(細い道が惣門橋へ…)

郡上八幡博物館

郡上八幡博物館の反対側に足を進め長敬寺に向かう。 長敬寺の塀は黒い板を使用しているので、景観が引き締まりよく目立つ。 その黒塀に沿って北町用水の綺麗な水路も目を引きます。



ベンチに座って水の流れを聞くと心が癒される


長敬寺の門に到着! 立派な門構えだが左側に黒塀が無いのでちょっと違和感がある。 門をくぐると正面に本堂が見え、これも立派です。 郡上は街の周囲に数多くのお寺があることを実感する。 長敬寺は慶応4年、江戸開城に際し、郡上藩士45名が凌霜隊を組織し会津藩の救援に向かい、 共に新政府軍と戦ったが会津藩の降伏によって郡上に護送され、長敬寺に移されたというお寺です。 浄土真宗で慶長6年(1868年)に藩主が創建した古刹です。



職人町、鍛治屋町
長敬寺本堂

長敬寺から一本道が続くがここに職人町と鍛治屋町が繋がっている。 袖壁と格子の大正時代の街並みが連なって郡上一番の見所です。 職人町の街並みには一軒ごとに玄関の軒下に赤や地のバケツが吊ってある。 半鐘を見つけた時はさすがに徹底しているなと思った。 町並みを抜けると大手町との交差路に郡上踊りの像がある。 記念撮影して周りを見渡すと小駄良川に架る洞泉寺橋が目についた。

職人町、鍛治屋町

郡上踊り像


洞泉寺橋から小駄良川の下流を眺めると宗祇水のそばの清水橋が見える。 川岸に建つ建物は3、4階建てが多く川岸にピッタリと建てられているから、家の裏から直接川に降りることができます。 夏などは涼しい風が期待できそう。 ここから大手町の城下町プラザに戻ります。 プラザ近くの交差路に郡上八幡上の大手門跡の案内があったが看板だけだった。 この付近が城下町の中心部と思われる。

手打ちそば まつい

洞泉寺橋から小駄良川下流に清水橋が見える

大手門跡

郡上八幡の人々は古くから自然の恵みを受けながら、水のある生活を大切にし独自の文化を築いてきた。 その長い歴史文化の一端を見学できたことを今日は最高の勉強でした。 半日の短時間であったが、他の季節に訪れてみたいものです。 普段は気が付かない水の大切さを教えて貰った。

7時半、お城から始まり11時半まで郡上八幡の街並みの散策も終わった。 お昼の天気予報を確認して午後から飛騨高山に向かいます。 高山ではピンポイントで観光する計画です。 その後は昔行った奥飛騨鍾乳洞、平湯大滝…。 台風から逃れてどこに行くのだろう?

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