■ 飛騨高山民俗村 飛騨の里 ■

「八月一日」と書いて、何と読むか? 説明板を見ると、読みは、「ほづみ」と読む。 旧八月一日家は高山市の西方にある荘川村にあった西願寺の庫裡として建築された建物で、茅葺き入母屋造りです。 家屋内では飛騨地方で使われていた橇(そり)が展示してある。 この地で橇は積雪の多い冬の時期に最適な運搬手段として使われてきた。 運ぶものは用途に応じて様々な形の橇がありその一部が展示してある。




旧八月一日家の内部 休憩もできる

旧八月一日家

橇の一部が展示

旧八月一日家の横に鐘撞堂があった。 この鐘撞堂には「ご自由にお撞きください」と記されている。 堂は揣岸寺から寄付されたもので、鐘は飛騨の近辺の人からの寄付で制作したものです。 普段、地元や観光客に開放してる。 撮影している時、若い男性が西洋系の女性と観光に来ていた。 彼女は興味深く堂内に入り鐘を撞くが、あまりにも連続しているので耳鳴りがしてきた。

鐘撞堂 後方から見た旧八月一日家

セイロ小屋は飛騨地方の古い形の穀物倉で、角材をセイロのように積み上げて建ててあり校倉様式に似ている。 木材の性質をうまく利用した建築物で1階には穀物を入れて2階には道具類が保管され使われた。

旧田口家は飛騨、美濃地方の国境の集落にあった農家で部屋数も多く、囲炉裏も長方形など複数ある。 農家が名主のため、多くの人々が集まり集会した場所だと思う。 飛騨地方と異なるのは建物の入口の他に雨戸があり濡れ縁があることです。 榑葺き農家ですがその地域に適した建て方がうかがえる。

炭焼き小屋は薪とともに山間部では大きな収入源で、江戸時代には高山陣屋などに御用炭を納めるため炭窯が多くなり、さらに幕末には高山の町家の発展で炭窯が発達した。 明治になり炭の生産が盛んになり飛騨地方全体で炭窯が多くなり戦後初期には最盛期になったという。 ここでは山中の炭焼き小屋を再現し、その周りにも当時の便所や原木を運ぶのに使われた木馬などが再現されている。

セイロ倉

炭焼き小屋

炭焼き小屋の裏手にある当時の便所
旧田口家

炭焼き窯

木馬
飛騨の里の一番奥の小高い場所から後ろを振り返ると、今まで見てきた家屋が見える。 上から見ると木立に囲まれた家屋が別の姿を見れて、茅葺き、榑葺きの特徴がよくわかる。
旧前田家 旧西岡家

坂を下り車田の反対側に到着。 こうしていろいろな方向から撮影すると、後から飛騨の里の情景がすぐ浮かぶ。 安政5年、飛騨、越後地方を襲った角川地震があり、この地方でも集落が壊滅的な被害を受けた。 旧吉真家はこの地震にも耐えたいわくつきの建物で、豪雪地帯特有の土台や柱、梁が組まれている。 茅葺き入母屋造りの上部は定九郎という破風があり、2階の養蚕場所の明かり取りになっている。 内部は囲炉裏を囲む板張りの大広間が家族の暮らしの中心だった。 畳敷きは居間として、土間には炊事場や作業場、厩がある。

山中和紙は飛騨地方では山中和紙と呼ばれる生産もあった。 作り始めは平安時代にさかのぼり、飛騨産の和紙は寒さ厳しい中、自然漂白して作られたので非常に強く、皇室、公家、幕府から重宝がられた。 郡上八幡でも飛騨の和紙の商店を見かけたが、どこの地方にもその地独特の和紙がある。

旧吉真家

その奥に旧吉真家
和紙漉き小屋

ここから見る旧前田家も自然の中に溶け込んで生活感がうかがえる。 ここ飛騨の里の中に鳥居が目についた。 結構歩いたので妻は休みたいと云い、とりあえず撮影だけする。 鳥居、石段から望遠で神社を撮影。 この神社は匠神社といわれ、飛騨地方の各地から神社の一部を取り寄せ、一つの神社として祀ってある。

旧前田家

匠神社の鳥居
旧富田家

匠神社拝殿
この辺は段丘になり、下から旧富田家、旧吉真家、旧道上家と並ぶ。 一番上の旧道上家から茅葺き屋根を見ると自然な村の風景だ。 小道の反対側は雑木林になって、一見、何にもないと思われたが面白いものを発見。
和紙漉き小屋

旧吉真家
旧吉真家の奥に旧道上家

木のこぶアートは雑木林一帯に、自然の織り成す樹木のいろいろな形のアートが展示してある。 展示というより並べてあるといったほうが自然で、よくまぁ、こんな形の木が形成されたもんだと驚いた。 見方によっては彫刻、工芸の一種かもしれない。 見学してきて、ちょっと一休み。








一番上の旧道上家から茅葺き家屋の撮影をする。 いろいろな角度で映像を集める。 同じ旧道上家でも茅葺き屋根の色彩が異なる。 正面入口側には茅葺きに苔が生えているが、反対側は茅葺きが映える。 小道の反対側に如意輪観音像の祠がある。 数多くの祠や石仏が点在しているが、これは高山の街中の道路整備などの理由で移されたものです。

旧道上家は飛騨の最北端部、富山県との県境の集落にあったものを移築。 茅葺き屋根のすそが丸みを帯びている。 後ろ側の茅葺きは下部が無く、障子窓をつけて中2階の明かりとりにしている。 中2階や2階の養蚕をするのに適した構造です。

旧道上家

これも旧道上家
旧道上家を上から撮影

如意輪観音像

旧富田家は飛騨と富山を結ぶ越中街道沿いにあった。 飛騨北部には神岡鉱山、茂住鉱山があり鉱山の仕送り人として荷物や牛馬の中継を営んでいた。 建物の周囲に荷車や車輪が置かれているが、経緯から飛騨各地で使われた車輪を飾ってある。 農家のようだが仕送り人という商売上、玄関横には立ち寄る人を迎えるような縁側がある。

縁側で見れる飛騨の工芸品…
旧富田家の縁側で飛騨の工芸品を製作販売している。 この地の特産品の木材を加工してスプーンを手作り工芸品を製作しているところが見れます。 反対側の縁側では布製品を手縫いで製作しているところを見れた。 二人のお年寄りに撮影の許可をもらい撮影。

旧富田家

飛騨の工芸品製作の映像
旧富田家

旧富田家の反対側には休憩所があり妻は休憩所にまっしぐら…。 休憩所の入口の頭上に「杉玉」が飾ってある。 杉玉とは新酒の出来上がりを飾るもので、杉の葉が緑から茶色に変化するにつれ、酒も熟成する。
紅葉を入れた旧西岡家

水車が回るわらび粉小屋と五阿弥池の白鳥
ススキを入れた旧西岡家

休憩所の杉玉

妻が休憩所で一休みしている時、五阿弥池周辺のバッタリ小屋とわらび小屋、五阿弥池の対岸には六地蔵があり望遠で撮影。 旧富田家を横から見ると壁に各種の車輪が展示してあり、どれも木製で当時の加工技術の高さを知ることができる。 休憩所の隣には移転された秋葉社が鎮座している。 秋葉社は火災、火除けの神社で全国の街角に数多く祀られている。

バッタリ小屋とわらび粉小屋

旧富田家は昔の車輪を見れる
五阿弥池の対岸に六地蔵

秋葉社

私も休憩所でここでしかできない喫煙を楽しむ。 最後に工芸集落群のエリアに向かう。 工芸集落群に向かう途中で茅葺き小屋を見つけて撮影したが帰ってから調べても判らず唯一不明の家屋になってしまった。 旧苅安家は中をのぞくと長いテーブルが並び、団体客の休憩所のようだった。 食事もできるようです。

唯一不明の家屋 旧苅安家
次に向かう旧小林家は一位一刀彫りの工芸品を実演販売している。 玄関から作業場に入り撮影許可をもらう。 作業場の全景を撮影後、一位一刀彫りの作品をいくつか撮影。
旧小林家

一位一刀彫りの作品
一位一刀彫りの作業場

素晴らしい工芸品を拝見して感謝の言葉を話して、隣の旧直井家に向かう。 旧直井家は旧大野郡、現在の高山市本母町にあった江戸中期の農家を移築した。 ここでは飛騨塗りを復活し技術の保存研究をおこなっている。 窓の明かりは点いてないから誰も居なかった。
ここを出ると飛騨の里の出入口前に到着。 このあたりから初秋を感じる五阿弥池の景色がいい!

荷車や背負子、唐箕





五阿弥池を中心に建ち並ぶ茅葺き集落群の見学を終了。 時間は午後3時過ぎで曇天です。 この分なら明日も天候が持つかも知れない。 台風はどこ行った! 普通ならここで宿の確保をするが、今日は貪欲に映像を求める。 乗鞍岳の麓にある平湯大滝の映像を確保したい。

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