■ 飛騨高山民俗村 飛騨の里 ■
過去2度訪問したが、撮影して帰宅まもなく画像保存したがパソコンのクラッシュで映像を無くした。 高山の古い街並みと木材の工房、下呂温泉、奥飛騨鍾乳洞、穂高、乗鞍岳、 平湯大滝のすべての映像も一緒にパソコンのクラッシュと共に消え失せた。
深い失望から自棄になりそうだったが、再訪を期待して待ち続けた今回の訪問です。 後半の旅は再訪問する場所が多いが、消失した映像を取り戻しにいく!


郡上八幡市からせせらぎ街道を走って飛騨高山に向かう。 途中、道の駅明宝に立ち寄り昼食。お店に入るといきなり元気の良い挨拶に迎えられた。 店員にお勧めを聞いたら2種類の食事を勧められたので妻と別々に注文。 ほどなく運ばれた食事は明宝を代表する美味しいハムの料理で、二人で分け合って食事し、2度美味しい思いをする。 帰りがけに店員の応対が元気よく親切だったことを会計の女将に話したら喜んでいた。


せせらぎ街道は田舎の風景の中、一本道を走る感じでのんびり走行。 郡上の城下町プラザで、お爺ちゃんから途中の田園で実った稲穂が見れるかもしれないと聞いてたが、すでに刈り取った後。(残念!)
清見町に入ると見たことのある風景になった。 以前、下呂温泉から飛騨高山に向かう時に通った道です。 高山市内に入ったら記憶通りの道を飛騨の里に入る。 駐車場も昔来た時に止めた所に駐車。 午後の旅は飛騨高山民俗村飛騨の里から始まる。

入口の建物は以前と同じ建物で古民家を利用し初めての人でも入りやすい雰囲気がある。 中に入り大きな池から見える茅葺の家屋が懐かしさを覚える。 入館した処に赤い和傘の記念撮影ポイントは新しく考案されたものです。 係りの人が記念撮影してくれ、私のカメラでも撮影してくれた。 その場で構図を考えて撮影していると出来た記念写真を見せてくれた。 一部1000円だったが丁重に断った。

妻が入館料を支払う

管理事務所
懐かしさが…

記念撮影ポイント

大きな池は五阿弥池という。 五阿弥池は農業用水にも現役で使われている。 昔は冬場に池に張った氷を製氷して氷室に蓄え、製材の際に出るおが屑を利用して保存したという。 五阿弥池を右に見ながらコースを歩いてゆくと、左側に小屋がある。 以前は閉鎖された小屋だったが、今は木材を加工したおもちゃが展示してあった。 だるまさん落し、けん玉、がりがりとんぼ、サイコロパズル、竹馬まであり日本文化の温かみのある遊具である。 西洋人が竹馬に挑戦してたが、中々うまく乗れず、それでも喜ぶ姿は微笑ましい。

がりがりとんぼ サイコロパズル だるまさん落しとけん玉竹馬に悪戦苦闘
五阿弥池を入れて茅葺き民家を撮影。 石灯篭や幟旗を入れて撮影を楽しむ。 所々に紅葉した樹木があるが、もう少しで全体が紅葉した景観になるだろう。  観光客が多くも少なくもなく撮影には丁度よい。





昔の消防用の器具が置いてあり、ここを過ぎると本格的な見学コースになる。 最初は旧新井家で機織りの実演を見せている。 外観を撮影して裏口から部屋の中に入って機織り機を見た。 撮影の許可を貰い、機織り機とお婆ちゃんを撮影。 家屋の一部に厩もあり、馬にひかせて農地を耕す器具が展示してある。 妻の実家で農地を鍬で耕したことを思い出す。 台所の方には囲炉裏があり、火は入ってないが暖かそう。

昔の消防器具

旧新井家
旧新井家

機織り機

全国で姿を消した榑葺(くれふき)屋根は茅葺屋根と比較して注目度は低い。 裂いた榑板を重ねて屋根を葺いていく工法は物のない時代の知恵と技術で無駄もなかったという。 さらに葺いた上に石を載せておくという。 旧新井家は飛騨地方の中央部に位置する清見地区から移築したもので積雪にも強い構造を持つ。

お婆ちゃんと機織り機

旧新井家の厩(馬にひかせて農地を耕す器具)

松倉城大手第三門土塁跡

旧新井家から旧中藪家に向かう間に松倉城大手第三門土塁跡がある。 土塁は敵や動物の侵入を防ぐため地面を掘って、その土を盛り上げて造られる。 松倉城の大手口の第三門土塁は上の幅が90p、長さ200mあったが、五阿弥池などを造る時に壊された。 目の前の土塁は残りの一部分で50mある。(…案内板から)

松倉城について調べた。 かつて高山を支配した三木自綱が松倉山に城を築き、この地周辺に屋敷や市場を作り城下町となった。 しかし天下統一に向けた豊臣秀吉に抵抗して武将の金森長近に攻め滅ぼされた。 のちに高山城築城に伴い、現在の高山市の中心部が移動した形になる。 江戸時代には市場の商人たちは独自の文化を作り上げ現在に至るという歴史がある。

土塁跡を越えて旧中藪家に向かい外観から撮影。 土間から入り、厩や台所を見学し部屋に向かう。 中ではクレヘギが実演と記されていたが、部屋の電気は点灯していたが誰もいなかった。 休憩中かもしれない。 この民家も榑葺屋根で旧新井家と同じ建物です。 中は土間の部分が多く、この土間で日常の作業が行われていた感じです。 団らんの囲炉裏というより、作業場の囲炉裏という感じです。

松倉城大手第三門土塁跡

旧中藪家
旧中藪家

広い土間

当時、馬は大切な家畜で家族同然で、盗難を防ぐためにも人間と同じ家屋で飼っていた。 農家にとっては死活問題である。 厩入口の右手に草鞋があるが、これは馬用で冬場に履かせて使われた。 こうしてみると、いかに馬が大切な労働力か理解できる。

旧中藪家

土間
かまど

板の間

旧中藪家の隣に立保神社がある。 鳥居から入ると恐ろしく古めかしい建物があり横から見ると建物の水平が不均衡です。 旧河合村から移築した神社で鈿女、白山、国作大神社の三社を合祀している。 左の神饌殿を楽屋にして花道でつなぎ拝殿は手前が舞台で奥に拝殿がある。 飛騨地方では神社の一角に舞台を設けて地歌舞伎や獅子芝居などが奉納され、こうした行事は神事であると同時に数少ない村人の娯楽の一つだった。 現在は毎年夏に高山市子供伝承芸能保存会が芝居を奉納しているという。

妻が撮影した映像

立保神社拝殿


立保神社拝殿の内部

立保神社の次は国重要文化財の旧若山家です。 昭和33年に御母衣ダムの建設で水没するため翌年高山市に移築され一般公開した。 これが飛騨の里のスタートだった。 その後飛騨の古い民家や農産器具などの保存も始まり現在の規模まで拡大した。 旧若山家は白川郷と同じ茅葺屋根造りで、その構造や建築技術を十分に見学できる。 また周辺にある小屋や社も合わせて移築したので当時の歴史文化も知ることができる。

旧若山家 国重文

囲炉裏 仕事場所?
囲炉裏 寛ぐ場所?

2階

2階は広い空間があり、半分ほど公開されている。 広い空間は養蚕に使われ、合掌造りの構造を裏側からじっくり見学できる。 屋根を支えている梁が目の前で見ることができ、釘を使わず萱縄がしっかり巻かれてる。 これが豪雪地帯の先人の知恵と工夫だ、何度見ても感服する。 窓の外を見ると、隣の家屋の屋根が榑葺きで石を重しにしているのが見えた。

合掌造りの構造 榑葺屋根

旧若山家から旧田中家に向かう。 途中の坂から榑小屋が見えた。 榑板が半分ほど保存されている。 これは飛騨の里の補修用のものだろう。 旧田中家に入る前に周囲を回ってみる。

釣瓶井戸は容器で水をくみ上げる井戸の一つで、ポンプが出来るまで日本の井戸はこの方法で井戸の水を汲み上げていた。 つるべは普通は木製ですが古いものはかわら製もあったという。

榑小屋 旧田中家の右手にある 釣瓶井戸 旧田中家の前にある

旧田中家も国重文で江戸時代に国文学者田中大秀を輩出した。 建物は榑葺屋根で中に入ると土間を中心とした家屋です。 当時、大きな畑を有して小作人やコメの収穫の管理をこの家屋でしていた。 後には作業所、休憩処の性格の建物として使われた。 天井は無く榑葺屋根がそのまま剥き出しになっている。

旧田中家 国重文


旧田中家から五阿弥池の畔まで降りる。 ここに水車のあるわらび粉小屋がある。 小屋内の水車の部分は扉があり見ることはできないが、独特のフネを見ることができる。
わらび粉小屋は水車を利用した粉ひき小屋で、旧高根村から移築したもの。 わらび粉は蕨の根から採集できる澱粉で採集、製造時は小屋に住み込んで作業する。 乾燥した根を水に浸して柔らかくし水車の力で砕き、 これを小屋内にある太い木材をくりぬいたフネと呼ばれる器に入れて底の沈殿物を乾燥して澱粉を作った。 わらび粉小屋では米や麦、蕎麦などの穀物も精米や製粉をしていた。

わらび粉小屋 太い木材をくりぬいたフネと作業場(右手)

大きな旧西岡家に向かう前にわらび粉小屋の隣にハサ小屋がある。 一見何でもない建物に見えるが、この地方にとっては大切な役割を持つ建物です。
ハサ小屋は合掌造りのように1階は吹きっ晒しで2階に作業場がある。 飛騨地方特有の日照時間が少ないため収穫物の乾燥用の小屋です。 刈り取った農作物をハサ小屋の1階で乾燥させていた。 この地方独特の役割を持つ小屋です。 ハサ小屋から五阿弥池の縁に沿って歩き旧西岡家を見ながらバッタリ小屋に到着。

ハサ小屋

旧西岡家
旧西岡家

わらび粉小屋の水車

車田という田圃は飛騨地方独特の田植の方法です。 高山市松之木町に現存しているとても珍しい稲の植え方で、車輪の形に稲を植えることから車田と呼ばれている。 神事に関した農作業の仕方で、この地方独特のものだそうです。

バッタリ小屋とは鹿威しのような原理で水量の少ない谷筋では、鹿威しの動いた音がバッタリと音が出るためバッタリ小屋と呼ばれている。 水量の多い谷川では水車を利用したが、谷筋ではのんびりと突いていた。 郡上八幡の柳町の安養院の石垣そばに小さなバッタリ小屋があったのを思い出した。 角材をスコップのように削り、ここに水が溜まると重みで下がり、水が流れ落ちて軽くなると一気に上に上がる。 この時反対側に杵があるので、この杵で臼の中の穀物を精米や製粉にしたという。 郡上の街中ではよく聞こえなかったが、山間部の静寂な所なら、のどかな音を響かせたに違いない。

車田という田圃

旧西岡家
五阿弥池の畔にあるバッタリ小屋

バッタリ小屋と車田から五阿弥池の上方に旧西岡家がある。 茅葺の合掌造りとしては比較的大きく4階建ての大きさです。 元は白川村の北の外れにあって、峠を越えると富山県の五箇山になる 豪雪地帯の家屋ですが、この地区の蓮受寺の庫裡として建築され、中に入るとお寺の特徴を見ることができる。

旧西岡家内部




部屋の板には漆が塗られちょっとした高級感のイメージの造りです。 1階の各部屋を回ったが、今まで見学してきた家屋には、家の中ほどに必ず仏壇があったが見当たらない! よく考えたら、ここはお寺の庫裡だから納得。 黒光りする厚い板の階段を上がると、2階以上は広い空間がある。 庫裡でも多くの合掌造りと同じで養蚕がおこなわれ、家族は1階で生活していたという。 特に、合掌造り家屋の屋根裏を近くで見ることができて自分なりに勉強できた。 帰りがけに、家屋で実演中の「わらぞうり作り」を見学して旧西岡家を出る。

旧西岡家内部

旧西岡家の横にある車田前で周囲の景観を撮影。 この場所だけ林がなく広々した空間がある。 向う側に旧富山家の家屋が見え望遠でのぞいてみた。 散策コースは後半に向かう。

旧西岡家の山側にもう一つの家屋があり、そこに向かう。 旧前田家は奥飛騨の北アルプス山麓にあった民家で、明治時代に建築された町家風の建物です。 榑葺切妻造りで、軒も高く飾り付きの腕木など部屋の数も多く囲炉裏を囲む畳が印象的です。
旧前田家

家屋の反対に回ると縁側の前に恵比寿堂がある。 多分この家にあったものを一緒に移築したと思う。 玄関前には昔使っていた唐箕が置いてある。 唐箕はコメの籾殻や豆の莢を取り除く機械で、江戸時代の元禄の頃中国から伝わり最近まで広く使われていた。 最後に家屋の横に肥壺がある。 肥壺は人糞を溜める壺で畑の肥料として使われる。 この施設も国重文に指定されていると知りさらに驚いた。

旧前田家

唐箕
恵比寿堂

肥壺(国重文)
このあたりで飛騨の里の半分くらいを見学。 後半も見所が満載です。 岐阜県の山間の歴史や文化、生活の仕方がわかり、触れる博物館を楽しむことができる。
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