■ 下田開国博物館と郷土資料館 ■ |
日米修好通商条約の締結によって、開港場の役割が横浜や神戸に移り、ペリー来航から明治維新までわずか15年だったが、 下田の役割は鎖国政策が転機を迎えたことで大きな役割を担った。 |
下田開国博物館 |
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下田太鼓祭 | 色気たっぷり | 威勢がよい |
1号館の1階は下田の生い立ちと下田太鼓祭が再現されている。 江戸時代の風待港下田は海の関所が置かれ、江戸へ出入するすべての廻船は必ず下田港に寄港しなければならなかった。 港が整備されていたため、これが下田開港になったという。 再現している太鼓橋はそれぞれの陣太鼓を乗せた太鼓台を連ねて太鼓橋を形成している。 そのアーチ状の形は祭りを盛り上げるのに最高で、これに陣太鼓が響き渡る下田の江戸時代を象徴する祭りと思った。 |
|太鼓台を連ねて太鼓橋のアーチ | 陣太鼓群| | || |
2号館1階には吉田松陰の踏海の企てについてのコーナーがある。 松陰は下田からペリーの黒船で海外へ渡航を図り、多くの若者に強い影響を与えた人物で、 その松陰の伝記を最初に著したのは英国の文豪のスティーヴンスンで、さらに童謡の詩人金子みすゞはこの二人に影響を受けて育ったという。 その3人の縁が展示されている。 |
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江戸城二重橋の映像 |
下岡蓮杖 |
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旗艦ポーハタンの模型 |
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遣米使節 |
米国使節から大名に献上された望遠鏡 |
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お吉ペリーとお吉の人形 | お吉の肖像画お吉の遺品、ふくさ | お吉の遺品、櫛とかんざし| |
コーナーを移動するとロシアからの黒船の意外と知られていない事を知った。
ロシアとの交流は下田から始まり、
ロシアの黒船ディアナ号の模型や多くの遺品や資料を見聞でき、日露交流の一端を知る事ができる。
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日露和親条約の資料 | ロシア旗艦ディアナ号の模型 |
ディアナ号はロシア艦隊の中では、現在のフリゲート艦に相当する。
ディアナ号の士官モジャイスキーのカメラは我が国で写真撮影にしようした銀板写真のカメラと作品が展示してある。
銀板写真は焼き増しができないから絵にして残されたという。
展示のカメラはレンズだけ戸田に残されていたものを暗箱部分を復元されたものです。
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|ディアナ号の遺品のラッパ | 復元された銀板写真器プチャーチンの革カバン | ヘダ号進水式の様子ロシア皇帝からのグラス |
2号館の吹き抜けの部分に大きな千石舟の模型が展示してある。 西欧の船と大きく異なるのが甲板である。 遣唐使の時代にも外国船と日本の船の違いは竜骨と呼ばれる芯柱であった。 日本の船は桶のように芯柱がないから外洋を航行するには無理があった。 時代を経て明治を迎えた頃は甲板によって船の大型化や外洋航行能力が向上していることがわかる。 |
下田の郷土のお雛様 |
郷土の和箪笥 |
郷土品を見学して博物館のお土産コーナーでトイレ休憩して、お土産コーナーでお茶をごちそうになった。 他のコーナーを回って幾つかのお土産を購入した妻は口をモグモグしながらお茶を飲んでいた。 |
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