■ 古都鎌倉の歴史散歩 ■ |
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鎌倉駅ターミナル 段葛 |
二の鳥居から始まる段葛 鳩サブレービル |
段葛には人通りが少なく、桜も葉が少ないから若宮大路の店舗が良く見える。 鎌倉鶴ヶ丘会館が目についた。 入口を見ると人力車が待機している。 出入口をのぞくと花嫁衣装が目につき、もしかしたら人力車で八幡宮の式場に向かうかも! シャッターチャンスを待っていると、やがて花嫁衣装の姿が陽光を浴びて白い衣装が鮮明になった。 桜並木の間からその様子を撮影。今日は良い事がありそうだ! |
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三の鳥居前 金沢街道 |
| 宝戒寺前 |
■ 宝戒寺の歴史 |
宝戒寺門 本堂 大聖歓喜天堂 梵鐘 |
聖徳太子堂 徳崇大権現堂 本堂 萩の大樹 |
宝戒寺から金沢街道を進み、滑川に沿って脇道に入る。 大御堂橋を渡り、釈迦堂口切通に向かうと通行禁止だった。 大御堂橋で幼児と母親が滑川を覗いて何かを投げ入れている。 近寄ると滑川に住む錦鯉が泳いでいる。 『キャー、キャー』喜びながら幼児のはしゃぐ姿が微笑ましかった。 所々に案内の指標があり距離まで記してあるので嬉しい限りだ。散歩ものんびりできる。 |
金沢街道 錦鯉 小路 |
大御堂橋 滑川 嬉しい案内板 |
釈迦堂切通の路地に小路の案内があった。 小路の名称は「田楽辻子のみち」とあり、車は少なく観光客やこの地の人との擦れ違いがある。 田楽辻子のみちは鎌倉時代から続くそうで、釈迦堂前に田楽師が住んでいたのが由来。 吾妻鑑などの田楽にまつわる記録で筋替橋から釈迦堂を通り六浦間での小路をいうらしい。 また、上杉邸址の石碑があった。 さらに進むと小路は細くなり林に囲まれるようになる。 |
上杉邸址の石碑 田楽辻子のみち |
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観光案内地図では田楽辻子のみちは報国寺前に出る! 散策マップには「竹の寺 報国寺」とあり、竹林の撮影が楽しみになった。 陽光も降り注ぎ木漏れ日が美しい! |
■ 鎌倉雑学…鎌倉幕府はどこにあったか? ■ |
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田楽辻子みち 山門の先に石庭 |
報国寺山門 | |
■ 報国寺の歴史 |
本堂 |
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拝観して納経所に向かうと茅葺の鐘楼がある。 お寺に来て鐘楼堂の撮影は必須だ! 四国自転車遍路した第42番札所の仏木寺の茅葺鐘楼と同じだ! その後ろに竹の庭の入口があり、くぐると本堂の横を通って緑濃い枯山水を見る事ができる。 何枚か構図を変えて撮影、情緒豊かな映像が撮れた。 |
茅葺の鐘楼堂 本堂の裏に緑濃い枯山水 |
竹の庭の入口 | |
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茶屋 | 茶屋前から見た映像 |
一通り撮影した後、構図を大胆に変化させてみた。 そしてこんな映像が撮れました。 石畳に寝転んで撮影してたら、他の人も真似をしていて思わず笑ってしまった。 私もそんな姿勢だったのか! |
報国寺から陽光の日差しが強い金沢街道に出て、向う側に浄妙寺の駐車場がある。 バスが2台駐車し大勢の観光客が降りてきた。 擦れ違って浄妙寺の参道に向かうと数グループと同じでタイミングをずらし一服休憩! |
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浄妙寺山門 | |
| 本堂 |
臨済宗の格付け制度は、鎌倉幕府の第五代執権北条時頼の頃、中国の五山制度に倣って導入され、時代に合わせて寺院や順位が変動したという。
幕府が任命して寺院をコントロールしようという策だ。
最高寺格に京都の南禅寺が位置し、その下に京都と鎌倉のそれぞれ五山がある。
1386年室町幕府三代将軍、足利義満の時に現在の五山の順位が決まった。
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本堂 | 足利貞氏の宝篋印塔 |
最後の石段を上がると臨済宗らしい格調高い本堂の全景を見れる。 境内には喜泉庵があり、有料だが杉苔を主とした枯山水を見学できる。 周囲が樹木で囲まれた庭園で、歩いて行くと数ヶ所で撮る事ができた。 喜泉庵を入れて撮影していたら庵の縁側から枯山水を撮影していた人と目が合った。 |
本堂から喜泉庵へ… 喜泉庵 |
枯山水 枯山水 |
鎌倉五山は建長寺(第一位)、円覚寺(第二位)、寿福寺(第三位)、浄智寺(第四位)、浄妙寺(第五位)とあり、 これまで3回の鎌倉の歴史散歩を重ね、残りは第四位の浄智寺だけになり五山拝観を達成したい。 | ||