■ 宝登山神社 ■
長瀞駅前から宝登山に向かう一直線の道路を歩むと宝登山神社がある。 秩父神社、三峯神社と共に秩父三社の一社です。 宝登山頂には奥宮が鎮座している。 社伝では111年(景行天皇41年)、天皇の皇子、日本武尊による東征の際、 尊が遥拝のため山頂に向かうとき猛火に遭った。 その時巨犬が現れ、その道案内で無事山頂に登り遥拝できたという。 このことから『火止山』の名が起き、後に宝登山となったという。 その巨犬が大山祇神の神犬であり防火守護のため火産霊神を拝し、社殿が建立された。


■ 長瀞駅から宝登山神社へ ■

長瀞駅舎…
今時珍しい木造駅舎で関東の駅100選に選ばれている。 明治の開業時の駅名は宝登山駅だったが、大正13年に長瀞が国指定名勝、天然記念物に指定されてる事になり、前年に長瀞駅と改称したそうです。

長瀞の駅前に出ると、ロータリーは閑散としていた。 時刻は午前8時半で、撮影には人が少なく丁度良い。 案内所やお店も開店準備中で忙しそうです。 長瀞駅で集めたパンフレットで最初に宝登山神社に向かう。 駅前の閑散とした風景が、帰りの時間帯は多くの人垣が集まるとは思ってもみなかった。

長瀞駅 長瀞駅ホーム

長瀞町観光案内所

長瀞ライン下りの係員が準備していたので聞いてみた。 乗船券は町内のアチコチで販売してるとのこと、運行時間は随時運行で出航まで5〜20分待つと云った。 要するに、お客が定員になったら出発すると云う事。
駅前から宝登山に向かって一直線の道路が向かっている。 140号線との交差点際に大きな大鳥居が迎えてくれます。 緩やかに登る道を歩いて行く。 沿道のお店もお洒落だ! たどり着いた道路はロータリーになっていて、右手が宝登山神社への入口、左手が宝登山ロープウェーに向かう道です。

長瀞ライン下りの係員

140号線と駅からの交差点に大鳥居

お洒落なレストラン
長瀞駅舎

駅前ロータリーの景観



駅前商店街



ロータリー交差点

車両も通行できる参詣道と歩行者用の参詣道があり、広い道を朝日を受けて参詣道を歩んだ! 最初に見えてくるのが斎館です。 皇紀2600年を記念し昭和15年に着工し、戦時下の中、昭和17年に竣工した記念館で、現在は斎館として利用されている。 樹木に囲われて優美な建築物です。 手前の池も手入れが行き届いて水も綺麗だった。 このような池を幾つも見てきたが汚れているとガッカリする。 第二の鳥居の金色の装飾が際立つ。 境内に入ると大きな樹木に囲まれて周囲が暗くなる。

車両用参詣道

歩行者用参詣道

斎館

神域に入った実感とはこう云う事か!そんな事を思いながら進むと左手に手水舎があり、付近を神社の人が清掃している。 ゴミではないが落ち葉の清掃で丁寧に除去している。 石段の撮影をしようとしたら、これが長い石段で清掃にも大分時間が掛かると思ったので、石段の撮影は後回しにした。

第二の鳥居前は車のお祓い場所

手水舎(神前では二拝二拍手一拝で他は同じ)
第二の鳥居

高い石段(帰りに撮影)

1847年(弘化4年)社殿の再建が始まり1874年(明治7年)完成というから結構長い期間の再建工事だった。 社殿は本殿、幣殿、拝殿の権現造りで随所に多くの彫刻が施されている。 拝殿を見た時、一番最初に菊花紋が目につき、煌びやかな装飾に驚く。 日光の東照宮のような装飾が周囲まで続いていた。 朝早いせいか観光客はいなく日差しも良く最良の撮影タイムとなった。 社殿を正面と斜めから撮影し参拝する。 その後、授受所や神楽殿を回ってみた。

社殿

斜めから見た社殿
授受所

神楽殿

境内を清掃する人と擦れ違いながら社殿の細部を望遠で撮る。 望遠で見える左右の龍の違いや装飾の細部をレンズを通して観察する楽しみがある。 想像の動物や女性の乳をしゃぶる姿の男の装飾など建立された時代の風俗を垣間見た。 このような彫刻は昔から日本人の特技としてきた文化といえる。 それは国土の大方が森林であることに由来している。

拝殿の装飾部 向拝を飾る五頭の龍

向拝を飾る五頭の龍は拝殿の柱に跨り神を守護している。 また、中国の神話に登場する青竜、白虎、朱雀、玄武の四神も彫られている。 二十四孝は中国に伝わる24の孝行話を集めたもの。 これは当時、儒教の教えで孝行が重要視されていた。 それにしても今の中国は昔の欠けらも無いほど変貌した。 別人種のようだ!

拝殿の装飾部 向拝を飾る五頭の龍

二羽の朱雀

授受所と社殿の間に透塀があり、ここをくぐって奥の神域に入ります。 社殿の透塀までが拝殿で、幣殿を介して本殿に繋がっている。 本殿の周囲は透塀で囲まれていた。 社殿を後方から見ると拝殿、本殿があり、その間が幣殿で繋がり、社殿の権現造りが良くわかります。



透塀



本殿を真横から撮影

拝殿を真横から撮影
後方から本殿を撮影

一回りしようと思ったが、その後ろにも神社があり行ってみた。 本殿の真後ろに天満天神社(学問の神様の菅原道真公を祀った社)があり、 鳥居をくぐって小さな赤い欄干橋を渡ると宝玉稲荷神社(伏見稲荷社から勧請した倉稲魂命を祀った社)がある。 林の中にあり、差し込む陽光でうまく撮影できなかった。 それぞれ年中行事の書初め等の祭や五穀豊穣、商売繁盛、家内安全のお炊きあげ祭があるという。


天満天神社


宝玉稲荷神社の鳥居



宝玉稲荷神社

社殿の周囲を回ると、日本武尊社、藤谷淵神社が祀られていた。 日本武尊社はゆかりの深い日本武尊の御神霊が祀られ八十八夜の奥宮祭の時に、中の社ごと御輿に乗せて奥宮へ向かうという。 藤谷淵神社は長瀞町が明治までは藤谷淵村であり、各所にあった八社の神社をまとめ、この地に遷座し祀ったものです。

宝玉稲荷神社

日本武尊社(この社が御輿で奥宮へ)
日本武尊社

藤谷淵神社

社殿を一回りして神楽殿まで戻る頃、神社の係員たちが網を広げていた。 境内、いっぱいに広げて作業している。 踏まないように避けて通り一枚だけ撮影した。 拝殿前で向拝の部分を望遠で撮影して、石段を撮影しに下に降りる。

網を広げて作業中

向拝の直下の彫刻
向拝の一番上

そのさらに下の龍

斎館まで戻って、その奥に玉泉寺がある。 1113年(永久元年)の開基で地蔵菩薩が安置されている。 神仏分離の後は別当を廃し真言宗智山派に属して神社と共に現在に至る。 不動明王が安置された護摩堂があり、山門に向かいたい処だが時間が気になり、宝登山頂へ向かった。
時間が気になったのは、蒸気機関車パレオエクスプレス号の撮影する為。

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