■ 二条城の二の丸御殿に突入! ■

二条城は城跡が国の史跡に指定され、二の丸御殿のすべての建物が国宝に指定されている。  そのほかに城跡内の22棟の建物が重要文化財に指定されている。  建物内の多くの障壁画も重要文化財に指定され、二の丸御殿の庭園も特別名勝に指定され日本の宝がここにある。  1994年(平成6年)に世界遺産に登録された。

…東大手門
国重要文化財の櫓門で本瓦葺きの屋根を持ち、棟には鯱が飾られている。  その下の妻は木連格子があり、石垣と石垣の間に渡櫓を渡した形式です。
8時45分に開城して先頭から人々がなだれ込んでいく。  私も少し遅れて陽光を浴びる二の丸御殿に向かった。

 
東大手門


二の丸御殿を囲む高い築地塀

 
番所


内側から見る東大手門

…番所
二条城の警備をおこなう為に江戸から派遣された武士が常駐した所で、毎年、2組100名が交代して警備した。  番所としては細長い建物で正面は十間、奥行き三間あります。  江戸城の番所と同様の建物で貴重な遺構と云える。

二の丸御殿を囲む築地塀と入口の唐門は国重要文化財で、切妻造桧皮葺きの四脚門は唐破風造りで荘厳さと煌びやかさで威風堂々としていた。  観光客が唐門前で記念撮影してる内に唐門の正面撮影と斜め撮影を終えて、二の丸御殿内に入った。  多くの人が離れて全景を撮影してるから周りに人はいるが誰もいない景観を撮影できた。

両脇に観光客が離れて並び撮影してる。
斜めからの唐門


正面からの唐門

 
二の丸御殿(国宝)


遠侍と車寄(国宝)

二条城の概要について勉強した。  それによると、建物は江戸時代の武家風書院造りで正面の一番目立つ車寄に続いて 遠侍、式台、大広間、蘇鉄の間、黒書院、白書院の六棟が連なるように建てられている。  全ての建物の面積は3300平米(u)もあり、最後に建物内を見学した時も相当長く歩いたと感じた。  さらに部屋数も33室あり、畳で勘定すると800畳もあります。

…車寄の彫刻
欄間彫刻は表裏、デザインが異なる。  表側は5羽の鸞鳥(らんちょう)、松、牡丹が、上方に雲、下方に笹を配している。  屋根は桧皮葺きで床は牛車で中に入れるようになっている。

…二つの釣鐘
この釣鐘は幕末の政変時、二条城と北側にある京都所司代との連絡に使われた。  両方に設置して幕末の混乱の中、朝廷側の動向に備え、鳥羽伏見の戦いなど非常時の連絡に使われた。  明治後も京都府が置かれた時期も非常時に備えて置かれていた。 (案内板から引用)

 



二つの釣鐘

 
南門そばの仕切り塀


仕切り塀の奥は桜の園が続く。

一通り撮影に満足して見回し妻はどこ?  またやっちゃった!  またしても妻とはぐれてしまった。  唐門を出て暫く探して妻と合流する。  どうも撮影対象が異なるようで、今のうちに記念撮影をしようと御殿内に入り、そばにいた家族に撮影を頼んだ!  2、3枚シャッターを押して貰って、今度はその家族を撮影してあげる。  両者とも嬉しい!

 
唐門に繋がる築地塀の装飾塀


唐門の切妻造檜皮葺き唐破風造り

 
切妻造檜皮葺きの菊花紋


唐破風造りの菊花紋

唐門の装飾部や車寄の装飾部を撮影して今度は一緒に見学にはいる。  車寄前の広場は多くの観光客で賑わっている。  今のうちに二の丸御殿の庭園に向かう事にする。  ここまで要した時間は20分です。

 
唐門の内側


車寄の屋根飾り

 
遠侍の屋根飾り


二の丸庭園へ

二の丸庭園に入り、この先は庭園と連なった二の丸御殿の外観を鑑賞します。  最初に手入れされた庭園から始まり先に進むと、二の丸御殿大広間が優雅な姿を見せてくれます。  左に庭園を見て、右に国宝の二の丸御殿を鑑賞する形になる。  大広間は諸大名が将軍と対面した屋敷で二の丸御殿の中で格式の高いところだそうです。
また、1867年(慶応3年)に15代将軍慶喜が各藩の重臣を集め、大政奉還を伝えた場所だという。  実際に大広間を歩いたが歴史の転換の伝達がおこなわれた場所を自分の足で立っていることが来て良かったと実感した。

 





 



二の丸御殿大広間

庭園を先に進むと正面に見た遠侍の御殿が見えてきます。  二の丸御殿の車寄から続く遠侍は一番高く見える建物で、棟は南北に向かい入母屋造り、瓦葺きの建物で登城した大名や家臣の控えの場となっている。  遠侍に続く御殿は式台と呼ばれ参上した大名が老中と挨拶を交わした場所で、献上品などもここで取次されたという。

 



遠侍の御殿(右側)

 
式台の間(中央)


大広間

各御殿が廊下で繋がれ、その先に黒書院と呼ばれる御殿が見えてきました。  いずれも御殿に沿って庭園がどこからも鑑賞できるように造園されているようだ。  初期の庭園は家康時代に造園され書院造りに調和させて神仙蓬莱の世界を表現したと伝わる。  三代将軍家光の時代から十四代将軍家茂が上洛するまでは将軍不在となった。  最後の慶喜が上洛した時は樹木が無く池は枯渇して荒廃していたそうです。  大政奉還後、所管が変わり今は京都市に下腸されて二の丸庭園は生まれ変わり国の特別名勝に指定され、 現在では多くの観光客を楽しませている。

 
黒書院




 



庭園の横、黒書院のそばに蘇鉄の養生が見られた。  蘇鉄は寒さに弱く、例年この時期になると稲わらで化粧まわしがつけられる。  冬の風物詩を感じる景観でその姿も美しい。

 
この景観が気に入った。


蘇鉄の養生

 
庭園を通り過ぎて…


…二の丸御殿の最奥にある白書院が見えてきた。

庭園を通り過ぎて二の丸御殿の最奥にある白書院が見えてきた。  ここは将軍の居間、寝室で内部の装飾も他の御殿と趣向が異なるという。  他の御殿と比較して小さい屋敷に見えたが内部を見学したら、やはり豪華だった。  これ、庶民のひがみです。  ここに住んだら人間社会からかけ離れているようだった。
二の丸御殿から次の見学コースは竹垣に誘われて、家光時代に造営された本丸に向かいます。

 
白書院




 



竹垣を出ると視界が開けて本丸御殿の正面に出る。  本丸櫓殿前で撮影するには観光客が多すぎて暫く時間が掛かった。  取りあえずの撮影をして、本丸内の場内マップと睨めっこする。  観光客が列をなしているわけでないからチャンスはあるはずだ!

 



本丸の内濠は外濠と同じ規模で、伯父の家康を深く尊敬した三代将軍家光の時代に拡張された。  それにより外濠の南北側の石垣が直線でない。  しかし何故、縄張が鉤型になっているかは判らない。

…三代将軍家光について
徳川三代将軍家光は家康を深く尊敬したといわれ、日光にある自分の大猷院霊廟は東照宮の方向を向いて建立した。  また、家光の母は戦国武将の浅井長政の娘で織田信長の姪にもあたる江であり、家光誕生後は福が乳母となった。  福は後の春日局で一時期、大奥を仕切りました。  まだ存命の家康とも懇意で三代将軍への布石にも動いたという歴史のつながりを見ることになる。


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