■ 二条城の二の丸 ■

二の丸は二の丸御殿と一つですが、実際に歩いてみると、二の丸御殿内のエリアと本丸御殿を囲む形の二の丸の域がある。 西橋を渡ると正面に休憩処があり、トイレや喫煙をした。 早朝の7時過ぎから丁度1時間半ぐらい歩き通しだから妻にも休憩が必要。 休憩後歩いた経路から映像をつなげていきます。


二条城は本来、家康が二の丸御殿を本丸として造営した単郭式の城だったが、その横に拡張する形で、 家光が本丸を造り、二の丸御殿のエリアを拡張して輪郭式二重濠とした。 しかし家光以降は大政奉還まで使われなかったので、二の丸の拡張エリアに遺構は少ない。





西南土蔵と通路


井戸跡

落ち葉も背景の一役
土蔵群は4棟あるが何れも国重要文化財で、当時は米倉として使用されていた。 その入口や壁を拝見したが江戸時代の様子を知ることができる。
西南土蔵

西南土蔵


西南隅櫓から見る本丸天守台は一際大きく見える。 ここに五重五階の高さ28mの天守閣を想像すると、当時としては広大なエリアを見通せたと思う。 同じ所から西橋も見えて池面に紅葉が反射していたので撮影したが失敗。 通路の濠側には梅林が植樹され反対側には大樹があり、所々にモミジが紅葉している。 石垣と濠が見えなければ普通の公園の感じ。



西南土蔵脇から見る西橋
梅林越しに見る天守台


井戸跡

梅林の端に大きな石組が見えてきた。 これは南中仕切門で二の丸を東西に仕切る門で、計5棟あり、いずれも国重文です。 この仕切門、反対側の北側にもあり、石垣とほぼ同じ高さの門で目立たない存在になっている。 そして門をくぐると同じ門でも見え方が違う事に気が付いた。

面白い仕掛けを見破り、その先に進むと広いエリアに多くの樹が植樹されている。 大きな銀杏木は青空に向かって伸びている大樹だ。 そして本丸の石垣が良く見通せる場所に出る。

高い石垣が見えると思ったら…

南中仕切門(一重屋根 石垣と同じ高さ)

南中仕切門の屋根の形が異なる
…南中仕切門(国重文)

南中仕切門(二重屋根 石垣より一段高い)

本丸櫓門(国重文)

濠に沿って進むと桃山門と築地塀がある。 この築地塀は二の丸御殿の周囲を囲っている。 この付近から見える内濠と本丸櫓門を撮影を重ね、桃山門で本丸の石垣が良く見える所がある。 ここから天守台の石垣も含めて撮影してみた。 一際高い石垣が印象的だ!

本丸櫓門と東橋

天守台石垣

土塁と東橋の脇にある石柱は読めなかった
南側の本丸石垣


桃山門(国重文)


鳴子門(国重文)


本丸櫓門と二の丸御殿のエリアを直接繋ぐ為、通路上に二階廊下があったことを帰宅して知る。 本丸櫓門前の通路が南北に走るが、南に鳴子門、北側には鳴子門がある。 その先は二の丸の清流園があり、1965年(昭和40年)に造られた和洋折衷の庭園がある。


■ 二の丸 清流園から東大手門へ ■

…創建時代から江戸末期までの状況は 家康の時代のこの場所は城内通路と天守閣の一部があったという。 その後、家光の時代になり天守閣は淀城に移築されて空き地となり、幕府の役人の住居が建てられたが天明の大火災で焼失した。
鳴子門をくぐると右手に小さな庭園があり陽光が良く撮影してみた。 正面に香雲亭が見え、香雲亭の背後は高い樹林で覆われている。 園の樹林と石垣上の樹林で二段重ねのように高い背景を作っている。


しかもこの時期だから緑と紅葉のミックスで非常に美しい背景を演出している。 ここから北中仕切門の方向へ足を進めると折れた燈籠を修復した姿も美しい。 その先には小さな石庭があった。
鳴子門

樹木と石垣上の樹木と二段重ね

修復した燈籠
本丸北側の石垣

香雲亭

手前から奥へ八瀬真黒石、鞍馬石、畑石

小さな石庭には『加茂七石』と記された案内があり、加茂七石について調べてみた。

…加茂七石
京都鴨川の上流や高野川の水系で採石された銘石を云うらしい。 七つの銘石は八瀬真黒石、鞍馬石、畑石、糸掛石、紅加茂石、柴貴船石、畚下石の七種類の石を云う。 七石が一堂に揃っているのは清流園と七条大路角にしかない。 その中で特に特徴は紅加茂石で赤、白、黒の石目模様を持ち水に濡れると赤みが一層引き立つという。 柴貴船石は加茂川上流の斧生から貴船口で多く産出されたが現在では採石不可能に近いようです。 鞍馬石は近年採石が禁止された銘石で他の銘石も由縁がある。

加茂七石

左から畚下石、柴貴船石、紅加茂石、糸掛石

北中仕切門

北中仕切門は南中仕切門と同じでくぐると北西土蔵が見えた。 通路の突当りは西門があり、埋門と呼ばれ寛永期に造られたという。 他の門と違って折れ曲がった通路で東側に高い石塁を築き北側に出入口がある。 要するに非常口の役割を持つ門です。 埋門は大きな城郭に必ず造られている。 妻が疲れているようで、ここで引き返すことにした。

門扉に造られた人専用の戸 和楽庵の門

…明治の清流園
緑地に整備され、大正天皇即位式の会場として利用され各施設が建築された。 その後、復興工事が始まり造園家によって疎林式庭園となる。

…戦後の清流園
進駐軍のテニスコートに転用されたが、1965年(昭和40年)に現在の清流園が造営された。 全国から集めた銘石や屋敷の寄贈などで完成できたという。 東側が芝生を敷きつめた洋風庭園、西側は二棟の建物を利用した池泉回遊式山水園となり、和洋折衷庭園になった。 回遊式とは庭園の中心に池を配し周囲を園路にして各方向から鑑賞できることをいう。 また、鑑賞だけでなく実用的な和洋折衷庭園です。

和楽庵

戻る途中に清流園の和楽庵の風情ある門前を通り、妻の好きな庭園に来た。 通路から清流園内の通路に入る。 小砂利を踏みながら和楽庵の屋敷と回遊式庭園を鑑賞。 池の小道を進むと先に香雲亭が見える。 手前に回遊式池を入れ香雲亭を映すと見事な景観になる。 構図を変えて数枚撮影しながら少しずつ先に進む。 池を眺めながら背景の紅葉が変化していくのが楽しいです。

香雲亭

香雲亭


回遊式池が終わると徐々に洋風庭園に変化していくのが見事です。 さらに紅葉が増した背景に芝生の庭園がかすんでしまう。 その芝生の広い場所に結婚式の準備が整っていた。 神式の形が出来上がって、これから始まるのかと思うが、人、一人いなかった。





結婚式の場が用意されている

清流園を出る時に清流園の入口の石がある。 石にはしっかりと『清流園』と彫られていた。 この頃から四方は明るく青空が見えるが、真上に黒い雲がかかってきた。 鳴子門横の休憩所を通過し二の丸御殿の方向に向かう。 紅葉した樹木があり地面は落ち葉が綺麗な絨毯のように見える。 北大手門前を撮影して通過する。

清流園の石

落ち葉が赤い絨毯の様だ!

北大手門

北大手門の反対側に二の丸東側にある米倉の門があった。 米倉を見ようと回り込んで内側に向かった。 内側には二つの出入口がある。 その先に国重要文化財の台所と御清所がある。 御殿ばかり目立つが、ここも重要な施設です。 左側には大きな遠侍の屋根が少しだけ映った。



米倉を回り込んで…

台所への入口門
二の丸東側にある米倉の門

…内側に出入口がある

台所と御清所(両方共国重文)

東大手門に向かう方向の左側に築城400年記念展示収蔵館があり、館内を見学したが撮影は禁止だった。 お土産店が築地塀沿いにオープンしていた。 妻は3品を2ヶずつ購入。 お土産店の先は遠侍を囲む築地塀が再び続き、関所門の様な門から二の丸御殿内の入口に向かった。



関所門の様な門

台所と御清所側の土蔵


側面から見た遠侍と団体専用出口

団体用入口

二の丸御殿内の見学は武家書院風の代表的な御殿建築で遠侍から式台、 大広間、蘇鉄の間、黒書院、白書院の6棟が東南から西北にかけて雁行のように並んで建てられ、 それぞれが繋がっている。 各部屋の障壁画は部屋の目的に応じて造られ、装飾や彫刻も豪華を極めていた。 歩く廊下もワザと音の出る工夫があり防御にも知恵を絞っている。 400年前の建物を息を飲むような雰囲気で見学した。 外に出て、車寄の前に出ると多くの観光客で賑わっている。



築地塀の美しさが…


巨大な催しの袋碑(記念撮影場所)
帰り際に東南隅櫓の内側を撮影し、さらに番所の内部も撮影した。 東大手門の石垣際の内部を撮影、門扉の小さな扉も映像に残して二条城の歴訪を終えました。
東南隅櫓の内側

東大手門
東大手門横の番所の人形

東大手門
11時前に駐車場に戻り休憩してから次の目的地、教王護国寺東寺に向かう。 距離的には近くすぐ到着するはずだ! 安全運転で出発。
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