■ 教王護国寺 東寺 ■
『身は高野、心は東寺に、おさめをく、大師の誓い、新たなりけり』 794年(延暦13年)桓武天皇は動乱が続く世の時代に、奈良から長岡京を経て平安京に都を遷し、 羅城門の東西にそれぞれ平安京鎮護のための官寺として建立が始まる。 現在の京都は御所も含めて大部分が東方へずれているが、東寺は元の場所にそのまま残り特別史跡に指定。 東寺は左寺とも呼ばれていたが本格的に活動を始めたのは嵯峨天皇から空海(後の弘法大師)に 下腸され真言密教の根本道場として開かれ栄えることになる。


■ 教王護国寺 東寺に歴訪 ■

元離宮二条城からナビに導かれて30分ほど走る。 右手に東寺の慶賀門が見えあまりにも小さいので少なからず驚く。 しかし、ここは駐車場への入口でもあり脇門と考えた。 信号の変わり目に道路を右に横断して駐車場に入り誘導を受けて指定場所に止める。 四国遍路して高野山に、そして東寺に辿り着いた。 感慨深いものが心に生まれた。 『ここが東寺か!』
そして気が付いた!遍路用具一式持参してなかった。 弘法大師がもう一度おいで、と言っているようだ! 東門の正面の撮影を、信号が赤の時に撮影成功。 内側も撮影して目の前にある堀で囲まれた宝蔵を撮影。

慶賀門

堀に囲まれた宝蔵


慶賀門(内側から撮影)

慶賀門から境内を見渡すとこのエリアが車両通行可能で大型バスも駐車。 ここから五重塔が堀越しに逆光だがいい感じで見えるので撮影に挑戦。 五重塔をシルエットにして紅葉と柳が風流に感じる景観。

慶賀門からの景観

駐車した所から五重塔を撮影

■ WEB編集について
東寺のWEB編集では、境内の各伽藍を歴訪したが、自由奔放に歴史見学した為、映像が繋がっていません。 そのため境内の各伽藍ごとに編集します。 各伽藍の撮影では各方向から撮影したので映像の背景も大きく変わり、合わせてお楽しみください。

境内北側は洛南会館があり、その先に北大門がある。 その先には東寺に属す洛南高校と付属中学校がある。 一度外に出て北大門を撮影してから再度境内に入り正面の食堂(じきどう)を撮影する。 手水舎で清めてから宝物館を撮影。

北大門と中塀

手水舎
食堂

中塀の先に宝物館

まず大師堂に向かう。 中門をくぐり右手に大日堂、左手に大師堂(西院御影堂)を拝見できる。 礼堂は入母屋造、中門は切妻造、大師堂は緩やかな勾配の総檜皮葺の屋根が美しさを際立たせている。

…大師堂(西院御影堂)(国宝)
大師堂は伽藍の西北部分にあり、弘法大師の住房で大師の念持仏、不動明王像が安置され不動堂とも呼ばれた。 1379年に焼失したが、翌年に再建。 1390年(明徳元年)に北側に弘法大師像を安置するための大日堂と中門を建立して現在に至る。 大師堂内には不動明王と弘法大師像が祀られ、弘法大師信仰の中心です。

西院御影堂への中門

大日堂

大師堂(西院御影堂)南側から撮影
大日堂

大師堂(西院御影堂)北側から撮影

…毘沙門堂
大師堂(西院御影堂)の南側にあり大師堂の中門と同じ中門がある。 このため一度、毘沙門堂の中門を撮影してから毘沙門堂に向かう。 平安京の羅城門の上層にあった兜跋毘沙門天像を安置するために建立された。 堂宇は小規模だが、京都の七福神(毘沙門天)です。 兜跋毘沙門天像は国宝で宝物館に収蔵されている。

大師堂(西院御影堂)

毘沙門堂
毘沙門堂の中門

毘沙門堂
大師堂(西院御影堂)と毘沙門堂の一画は塀に沿って多くの供養塔が並んでいる。 各年代に建てられたもので長い歴史によって現在があり、若いカップルが真剣に見学してるのを見て微笑ましく思った。
供養塔群

供養塔群
不明な堂宇

三面大黒天と不動明王の堂宇

大師堂の脇を通り抜けて中門を出た所の広い境内に石柱によって囲われた場所がある。 中央に観音菩薩像とみられる像があり周囲に墓石や寄進した石柱がある。 隣には食堂(じきどう)がある。

…食堂(じきどう)
食堂は空海が没後に完成したが1596年(文禄5年)の地震で倒壊した。 1800年(寛政12年)に再建されたが、またしても1930年(昭和5年)に火災で焼失した。 現在の食堂は1934年(昭和9年)に再建されたものです。 旧本尊の千手観音立像はこの時の火災で焼損したが1965年(昭和40年)から修理し、現在は宝物館に安置している。 現在の食堂にある千手観音像は新たに製作されたものです。 それでも実際、目の前に立ち止まり仰ぎ見ると立派な像でした。

食堂から講堂を撮影する。 その中間に二つの夜叉神堂がある。 講堂側から夜叉神堂、食堂を見ると下記の3枚並べた映像になる。 この映像実際に3枚撮影して合成しようとしたが、撮影距離が近すぎて失敗した。 そのため各映像を3枚並べた。



食堂(じきどう)



講堂側から夜叉神堂、食堂を見ると下記の3枚並べた映像

これまでの境内は無料で見学できる部分です。 この先、拝観受付で入場券を購入すれば、券を見せれば出入り自由となる仕組みです。 入場して左手に瓢箪池を中心とした庭園があり、反対側に南大門から続く金堂、講堂が並び、食堂は納経所の役目もしている。 入口のそばに冬支度をした不二桜が聳えている。 大きな石で囲まれ高い土盛りした所に背の高い不二桜が植えてあるから、どこからでも見えます。 ここから園路を歩きながら紅葉を撮影してみました。

拝観受付

南北に繋がる堂宇群

不二桜



…講堂 (国重文)
講堂は825年(天長2年)空海によって着工され835年(承和2年)頃に完成した。 その後、台風や地震で大破し度々修理を重ねてきたが、1486年(文明18年)の土一揆で焼失。 現在の講堂は1491年(延徳3年)に再建された堂宇で旧基壇上に建築された。 建築様式は単層入母屋造で純和風です。 金堂が顕教系の薬師如来が本尊だが、講堂には大日如来を中心とする密教尊が安置してある。 曼荼羅という言葉を高野山で知ったが、ここにはその曼荼羅が立体曼荼羅で安置してある。 大日如来を中心とした五智如来、五菩薩、五大明王、梵天、帝釈天の二十一体の仏像が曼荼羅の配置で安置してある。 これが空海の密教の教えを表現する立体曼荼羅で密厳浄土の世界になる。 須弥壇中央の如来部は国重文だが、それ以外はすべて国宝だと知り大変驚き鑑賞した。

講堂入口

食堂側から撮影
講堂出口

食堂側から撮影

…金堂 (国宝)
南大門から北へ向かい金堂、講堂、食堂(じきどう)と直線的に並ぶ伽藍配置や各建物の規模は平安時代の創建のままです。 その中で中心の堂宇が金堂で最も早く完成した。 しかし1486年(文明18年)の土一揆で惜しくも焼失。 現在の堂宇は1603年(慶長8年)、豊臣秀頼の寄進により再建したものです。 建築様式は入母屋造本瓦葺で外観は二重に見える。 和様と唐様の併用で、貫や肘木を多用して高い天井を支えている。

瓢箪池から撮影

金堂正面
瓢箪池から撮影

五重塔側から撮影

内部は広い空間の中に、本尊の薬師如来像と脇侍の日光菩薩像、月光菩薩像の三体(いずれも国重文)が安置されている。 中尊の像の高さは2.88m、台座と光背を含めると10mに達する大きな像です。 また中尊の光背には七仏薬師像が配され、台座の下には薬師如来の眷属の十二神将像が配されている。

金堂入口

金堂を講堂側から撮影
金堂出口

金堂を講堂側から撮影
金堂の拝観が終わって五重塔方向に向かう。 その後、八島社、八幡宮、灌頂院、本坊と全体を見学する予定です。
inserted by FC2 system