■ 平城宮跡 ■
観光客で人気の平等院で、思わぬ誤算が生じて意気消沈した。 しかし残りの時間を有意義に利用しようと三重の義妹宅に向かう方向で臨時の観光地を探すことになった。 奈良には春日大社、東大寺、興福寺と歴訪した所があるので、その近くに平城宮跡があるので、そこに向かう事になった。

平城宮跡を観光するには奈良市役所も駐車場を提供してくれている。 混雑防止のためだが、奈良市役所に到着したのが2時半だった。 奈良の地理感は概要を知っているから平等院から難なく移動できた。 駐車場の係員に夕方4時までに戻って下さいと言われ、残り1時間半の観光となる。

市中心部から一転して広い地域に

近鉄奈良線


冬の時期だから陽光も西に傾き空が夕日に染まりつつある。 市役所から歩いているうちに平城宮跡が意外に広大なエリアであることに気が付いた。 30分程歩くが、見渡すは広い平原で横を近鉄奈良線が走っている。 所々に遺跡が残り説明板があるが、訪問前のイメージとだいぶ違っていた。



側溝跡

式部省跡

民家のエリアと平城宮跡エリアの境の一本道は風も出て来て肌寒くなってきた。 この道は二条大路と呼ぶらしいが、私から見れば車も通る普通の道。 妻も黙ってついてくるが、自分自身焦りが出てきている。 今日は朝から歩いているからこれ以上長い距離を歩かせたくない。



壬生門跡は案内だけだった
二条大路

棚田嘉十郎像

やっと見えてきたのが運動場にある?朱雀門だった。 その付近は殺風景で子供たちがボール遊びしている。 どう見ても観光客でなく近所の人達だった。 今回は平等院で誤算が生じ、平城宮跡で情報を調べて置かなかったことが反省になった。 これも弘法大師様の試練か! 次頑張ろうと思う事にする。

…平城京の入口、羅城門をくぐると75m幅の朱雀大路が北に向かって伸びている。 その4q先に朱雀門がある。 朱雀門では外国使節の送迎や大勢の歌垣なども行われ、時として天皇が門に来てお祝いすることもあったという。 門の左右には高さ6mの築地塀があり広大な広さの宮城を囲んでいた。 朱雀門は衛士で守備され宮の正門としてその権威を象徴していたという。

朱雀大路

朱雀門
朱雀門

朱雀門の復元について発掘調査で基壇の基礎と柱の位置、出土した瓦で復元研究が始まり、1/10模型を製作して本格的に復元された。 従って大極殿と同様に資料や絵によるものでなくあくまで想像の域を出ない。

朱雀門をくぐると目の前は平原があり、近鉄奈良線が良く見えた。 そのはるか先に大極殿が豆粒のように見えた。 あそこまで妻を歩かせたくない思いがある。 レンズで確認していると近鉄特急が通過した。

車両の通行路がある

近鉄特急が通過


左右は野原

せっかくここまで来たんだから妻には大極殿の入口まで行って帰ってくると話し一人で先を急いだ! 踏切を渡って振り返ると朱雀門がシルエットになってきた。 豆粒のように大極殿が見え、前は運動場!

妻には申し訳ない気持ちで…

広大な運動場の先に…
踏切を越え…

大極殿を横切る小路
遺跡の礎石の所で大極殿を拝見する。 ここにも絵図と説明があるだけで映像では運動場の向うに大きな宮殿があるだけの景観です。 ズームして左右の景観を撮影するが何か空しい感じがする。
門の礎石?

観光客より近所の人が多い
礎石の先の絵図は立派

運動場では近所の子供達や親子連れが遊具で遊んでいる。 望遠レンズを最大にして大極殿を撮影。
朱雀門から北へ約800m先にある大極殿は正面44m、奥行20m、高さ27mで復元されている。 平城宮最大の宮殿で奈良時代中期に山城国の国分寺に移築され、天皇の即位式や外国の使節、重要な儀式に使われたという。 大極殿の復元に際して当時の絵や設計図が残っていなかった。 このため基壇の発掘調査と国分寺の礎石の状態から推定で復元された。





望遠で撮影した大極殿

平城宮跡を訪問して感じたことは、いずれ各種の建物が復元されて広大な空き地も整備されるだろうが、 あくまで復元の域を出ないから歴史的な価値は少ないと思った。 要は奈良時代に存在した平城宮を模した建築物群と考えることにした。 国も国営公園としてこの平城宮跡を位置づけているようだ。



朱雀門の脇門


駐車場に戻る足取りは重く妻は大分疲れたようだ。 奈良市役所の駐車場に戻ったのが3時50分で、ここから三重の義妹宅まで走ります。

奈良市街は混雑するから最短距離で天理ICまで走行する。 ここから東名阪道の上野東IC経由で義妹宅に向かった。

日没前に到着でき荷物を下して一段落した時、妻の顔には笑顔が溢れていた。 妹に会えたのが余程嬉しいようだ!

明日の予定を再構築しながら何はともあれビールで喉を潤した。
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