■女人高野 室生寺の紅葉 弥勒堂、金堂、本堂、五重塔へ■

室生山の山麓から中程にかけて参詣路が続き、この先石段が多くなる。 仁王門を過ぎて奥に入ると鎧坂という石組の石段が続き、登りきった所が薄暗くてよく見えない。

石段の途中に左に入る参詣路があり立ち寄ると弁財天の社がある。 室町時代の春日造りの小さな社で、手を合わせお詣りしてから撮影して先に進む。

紅葉が最高潮! 紅葉でこの時期は目立たないが、境内全体に石楠花が植えてある。 春になると真紅の蕾が咲き乱れ、開花するにしたがって桃色から白へ変化し、季節ごとの拝観が楽しみになる。






鎧坂の脇道

鎧坂(よろいさか)

弁財天

創建から興福寺の僧がかかわったことで室生寺は長い間、興福寺の法相宗派だった。 時は流れて江戸時代の元禄になると、興福寺から独立して真言宗豊山派の寺院となる。 この頃、高野詣が盛んになったが、高野山は女人禁制のため室生寺が入山を許され、女人高野とも呼ばれた。 また、徳川綱吉の母、桂昌院の寄進で堂宇が修理され、1964年には真言宗豊山派から独立して、真言宗室生寺派の大本山となる。

鎧坂の中程で紅葉を撮影




鎧坂を登った所から恐ろしく古い建物が正面に全貌が現れる。 国宝の金堂です。 大きな二段の石垣上に金堂が迫り出している。 正面が高床式の造りになって、その部分が礼堂と云われ拝観する所です。

…金堂(国宝、平安時代)
屋根は寄棟造、柿葺。 正面5間、側面5間の内陣にその前方に1間の礼堂を付加してある。 石段上は高床式になり懸かり造りという建て方は山岳寺院でよく見る建築技術です。 内陣部分は平安時代に建立されたが鎌倉時代に大修理をしている。 礼堂部分は江戸時代に建て替えられた。 内陣の須弥壇上には左から十一面観音立像(国宝)、文殊菩薩立像(国重文)、本尊 釈迦如来立像(国宝)、 薬師如来立像(国重文)、地蔵菩薩立像(国重文)の五体が横一列に並んでいる。 また五体の像の前には十二神将立像(国重文)が安置。

9時16分 金堂(国宝、平安時代)

金堂の扁額

天神社拝殿

天神社

金堂の左手に弥勒堂があり、撮影には観光客の流れが途切れず待ち時間が長かった。 そのため須弥壇前で般若心経を読経する。 右手奥に天神社拝殿があり、その奥の離れた所、一段高く天神社が建立されている。 拝殿の脇には岩に彫られた明王像が置かれてる。

岩に彫られた明王像

…弥勒堂 (国重要文化財、鎌倉時代)
堂宇は入母屋造柿葺の桁行3間、梁間3間の大きさです。 興福寺の伝法院を受け継いだ、鎌倉時代の前期に建築されているが江戸時代までに数度改築されているという。 堂内中央の四本柱に須弥壇があり厨子入りの本尊弥勒菩薩立像(国重文)が安置され、右手に釈迦如来座像(国宝)が安置されている。

弥勒堂(国重文)

石が置かれて石段に
石段を上がって金堂に向かう

礼堂から下の境内を見下ろす

金堂脇の石段を上って金堂に向かう。 石段の組み方がただ石を並べただけで段を造っている。面白いので撮影してみた。 金堂内に入り般若心経を唱えてから国宝、重要文化財をまじまじと見つめた。 その後、外縁部を回って金堂を一回りしながら撮影してみる。 長い年月で色彩がはがれて退色している。 これが何とも言えない建築美を感じてしまう。 また、右側面の映像から金堂に礼堂が付加されたことが良く判ります。

礼堂から弥勒堂をみる


金堂の右側面

金堂の左側面(入口)から本堂へ続く境内
礼堂の右側面

金堂の後側


本堂横へ向かう石段

金堂から正面に向かう石段を上がって本堂に向かいます。 本堂は室生寺の密教化が進んだ鎌倉時代後期の1308年(延慶元年)に建立された。 紅葉に囲まれた本堂の撮影では三方向から撮影したが、自分で納得した映像は二方向の映像だった。 本堂外陣前で般若心経を読経して気持ちはスッキリした。

本堂(灌頂堂、国宝)

本堂横の供養塔
本堂(灌頂堂、国宝)


本堂の右側面

…本堂 (灌頂堂)(国宝)
梁間5間あるが奥側3間が内陣で、手前側2間が外陣になっている。 ここは真言宗にとって大事な灌頂という密教儀式をおこなう為の堂でもある。 内陣中央に如意輪観音坐像を安置して左右に金剛界曼荼羅と両界曼荼羅を向い合せに掛けてある。(灌頂としての形式を作っている)

本堂屋根の角部分 本堂横の石段

本堂の奥に建立されている五重塔に向かう。 本堂横から五重塔を眺めると樹林に囲まれて山岳寺院らしいひな壇の上に鎮座していた。 檜皮葺きの屋根や堂宇の朱色が鮮やかで塔が大きく見える。 建立は800年代で屋外にある木造五重塔では法隆寺の五重塔に次いで2番目に古く、また国宝や国重要文化財指定の塔として日本最小の塔です。 しかし、ここから仰ぎ見る五重塔は一際大きく見えます。 高さが16m、初重は一辺の長さが2.5mの塔で東寺の五重塔に比べて3割程の塔です。

9時41分 本堂脇から仰ぎ見る

一般の五重塔は、初重から5重目の屋根のハリが次第に小さくなっている。 しかし、室生寺の五重塔は屋根の逓減率が少なく1重目と5重目の大きさがあまり変わっていない。 奥之院口から撮影した映像でもそれが実感できます。 屋根のハリが立派で、厚みと勾配が緩いので小さい割には大きく見えました。 塔の柱も太く、ますや肘木の組み方も同じ大きさのため、上層にいくにしたがって組み物の間隔が狭くなっている。

心柱に1768年(明和5年)の江戸時代に修理された記録が残り、明治でも解体修理された。 部材に鎌倉から明治時代の木材が含まれているという。 屋根は建立当時は板葺きだったが江戸時代で檜皮葺きに変わっている。


日本の仏塔では最上部の水煙と云う飾りが付くが、室生寺の五重塔は宝瓶という壺状のものが付き、その上に傘状の宝蓋が乗せてある。 寺伝では、創建に関わった修円僧侶が、この宝瓶に室生の竜神を封じ込めたと伝わる。 まさに修円僧侶が建物に魂を吹き込んだと云える。

宝瓶の上に宝蓋の飾りが付いている

初重の屋根上に見える欄干
初重の屋根の厚み

1998年台風の影響で強風によってそばの杉の大木が倒れ屋根を直撃した。 西北側の各重の屋根や軒が損傷したが、幸いにして心柱を含めて塔の根幹部は無事で復旧工事がおこなわれた。 その時に、使用木材を年輪年代測定法で調査して、794年頃に伐採された事が判明して塔の建立年代を確定できたという。



奥之院入口
修円僧都の廟

今日は奥之院御影堂特別開帳の期間
五重塔の横に修円僧の廟があり、付近の景観は深山に入り込んだ雰囲気になる。 この先は奥之院の入口の案内があるが、この時期特別開帳してる案内がありこの機会に行ってみることにした。
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