■ 鎌倉五山浄智寺 ■
古都鎌倉には武家政権から続く多くのお寺が存在する。 鎌倉時代は北条氏の勢力が極めて強く禅宗が最も栄えた時期でもある。 特に禅宗の中で臨済宗の寺院を格付けする制度があり、正式名称は鎌倉五山第四位金宝山 臨済宗円覚寺派浄智寺です。

鎌倉幕府の五代執権、北条時頼の頃、中国の五山の制に倣って導入され、その時々に応じてお寺の順位が変動。 京都と鎌倉にそれぞれ五山を設け、その上の最高寺格に京都の南禅寺が置かれた。


東慶寺を出て、またしても自転車を引っ張り、鎌倉駅方向に歩くと、すぐ浄智寺の入口を見つける。 うっかりすると見過ごしてしまいそうな景観で、浄智寺が立つ山ノ内地区は山を挟んだ隣が駈込み寺の東慶寺で、谷戸と呼ぶ谷合に伽藍が建立されている。 どの寺院も丘を背負い背後の谷合に深く入り込み、竹や杉の多い境内になっている。 禅刹にふさわしい閑寂な佇まいです。

東慶寺から歩いてすぐ右側に…

水路にかかる太鼓石橋
>…浄智寺が

太鼓石橋の先に高麗門

浄智寺の総門は高麗門のようで扁額には寶所在近の文字が視認できた。 総門までの通り道が左側の舗装路を通る形になるが、昔は太鼓橋を渡る様になっていた。 太鼓橋の周囲は竹垣で仕切られ、昔の水路も確認できる。 その水路へ供給する井戸があり、甘露の井と呼ばれ、鎌倉十井のひとつで石柱が建っている。

 甘露の井

総門(高麗門)をくぐると…


…また石段が続く

総門と石段を道路が横切るように右手に駐車場があり、端に自転車を置いた。 石段の両側にはこの季節のつつじなどの花が咲き乱れ非常に美しい石段です。 石段を上がると右手に受付所があり、ここでは現金200円を支払う。 拝観料を支払いながら今日の浄智寺について聞くと白雲木と山藤が満開ですと教えて貰った。 ここから見ると大木の白雲木に絡みつくように紫の山藤が美しく見える。 望遠を駆使して頃合いの構図で撮影してみた。 浄智寺の裏山の豪華な山藤に満足した。 撮影が終わってさらに石段が続き、その先に最近新しくなった鐘楼門があり、鎌倉で唯一の中国様式の鐘楼門がある。

鐘楼門



望遠で引き寄せて撮影
境内の雰囲気を壊さない受付所

鐘楼門前から山藤を撮影

貰ったパンフレットを見ながら浄智寺の歴史を整理。 鐘楼門をくぐって境内はさらに一直線に続く。 その先には際立って目立つ石塔がある。 説明板は無く、平和の文字や塔婆を確認すると供養塔のよう。

■開基と開山…
中国の名僧 兀庵普寧と仏源禅師 大休正念(請待開山)、および日本僧の真応禅師 南洲宏海(準開山)の三人が名を連ねている。 初め、南洲宏海が大任過ぎると言って身を引き、師の大休正念を請じて入仏供養の儀式をおこない、 すでに世を去った師僧の兀庵普寧を開山にたてたため、複雑な形になった。

総門から一直線の境内先にある石塔

仏殿の曇華殿


石塔の手前右側には仏殿の曇華殿が鎮座。 正面の扉は開放的に開けてある。 ここで般若心経を黙読してから撮影禁止の札が無いのでISO感度を変更して堂宇内の阿弥陀如来、釈迦如来、弥勒如来を撮影。

■木造三世仏坐像…
本尊として仏殿に鎮座してるのは向かって左から阿弥陀如来、釈迦如来、弥勒如来で、過去、現在、未来の時を代表する。 15世紀半ばに再興された像で、鎌倉に多い、衣の裾を台座に長くたらした様式の典型的な像。



茅葺きで趣のある客殿
木造三世仏坐像

角度を変えて何枚か撮影

仏殿の曇華殿を三方向から撮影した後、境内は右方向に曲がり山裾に沿って奥に入っていく。 すぐ右手に庭を通して方丈と客殿は繋がり、客殿は茅葺の趣きのある建物である。 同時に左手に高野槇の大木を仰ぎ見る。 案内板が手作りでわかりやすい心使いだ! 高野槇のそばに子供を抱いた観音像がある。 長い年月で風化してるが、古い年代の石像だ。




子供を抱いた観音像



鎌倉最大の高野槇
ハイキングコースの感じがする境内をさらに奥に進むと、突き当たって右に折れる道が続き、庭園の苔も風情を助長してくれる。 その奥は方丈の裏側に当り、新しい甘露ノ井があった。


このあたりは竹林


方丈裏側の井戸

井戸の所が境内の交差路で奥に墓地がある。 その墓地の右側奥にやぐらと云われる岩壁に幾つかの掘った窪みがあり、石像群が並んでいる。 一番奥に人が入れそうな洞窟があり、説明書きでは「横井戸」と云われ、山から滲み出た水を溜めて用水に使う為、かなり古い時代に掘ったものらしい。 30数年前までは蝙蝠の住みかになっていたと書かれている。 ストロボを使って撮影してみたが、どこまで続く横穴なのかは判らない。

右側の岩壁には幾つもの窪みや洞窟がある





用水に使われた横井戸の洞窟


横井戸の洞窟は奥が見えない
井戸の所に戻ると、子供が面白そうに昔の井戸水の汲み上げを体験していた。 使える井戸は大変珍しくキコキコ音がして子供は興味深く操作して良い体験に思う。 夏の時期にはスイカを冷やした?


岩壁のやぐら群の説明書きを見つけて読んでみると、昔は住まいとしても使われ、その後墓所になり、やがて倉庫としても使われたと記されている。 大正から昭和の初期までは薪や木炭などの倉庫として使われている。 なんとも信じがたい説明でした。
また、栃木県小山市の川で亡くなった一斗、隼人ちゃん兄弟の供養のためのお地蔵様が祀られている。

一斗、隼人ちゃん兄弟の供養のお地蔵様

一番奥の大きなやぐら


横井戸の隣にある一番奥の大きなやぐら

岩壁に沿って戻る形の境内は、方丈裏手に岩壁をくりぬいたトンネルがある。 このトンネルの入口に布袋様の案内があった。 入口は狸の置物があり、何とも微笑ましく思うが、何のためにここにあるかは不明。 竹林からタケノコが1mほど伸びて、収穫時期を過ぎるとこんな形になるんだと納得する。 何の補強も無い、5〜6mほどのトンネルは屈んで通れるが、神秘的にも感じる。 夜間は通りたくない! トンネルを出た所に小さな窪みがあり、目を凝らして奥を覗くと観音像が安置してあ、案内板に「かんのんさま」と記されていた。

成長したタケノコと狸像


トンネルの向うを覗く

かんのんさま
岩壁にトンネルが

トンネルを出た左手の窪みにかんのんさま






境内は山裾に沿って進む

かんのんさまを通り過ぎて山裾を進むと左手に墓地があり、その先に大きい洞窟が見える。 この洞窟に弥勒菩薩の化身とも云われる布袋尊像が祀られている。 お腹の部分が黒く艶々している。 訪れる人々が、そこをなでると元気が湧いてくると記されている。 布袋尊像の後に小さな洞窟がありお墓らしきものが安置され、横にある小さな洞窟にも観音様が安置されている。 浄智寺にも他のお寺と同じように多くの洞窟があり、昔の風習が多く残されている。 これらは鎌倉独自の景観で他では見られない貴重な遺産だ!



2mほどの高さの洞窟

布袋尊像の真後ろに観音像
墓地の後は岩壁が立ちはだかる

布袋尊像

洞窟の端にお墓

■近世の浄智寺…
戦国時代から江戸時代にはいると鎌倉は次第に農漁村になって寂れ、寺院の多くもしだいに繁栄ぶりを失っていく。 江戸時代の後期には多くの伽藍があったが大正の関東大震災でほとんど壊滅した。 現在は山門、鐘楼門、仏殿の曇華殿、方丈、客殿などの伽藍が再建された。

布袋尊像から境内を一回りする形で元に戻った。 ここに御朱印受付のある方丈と茅葺きの客殿の正面にでた。 客殿の玄関に立つと客室を通して庭が美しく見えるので、撮影してみた。 あのテーブルに座って茶を馳走になったら風流だろうと思っていたら受付の人から「大藤は綺麗だったでしょう」と云われ笑顔がこぼれた。



茅葺きで趣のある客殿

客殿、方丈への入口門
御朱印受付のある方丈

客殿から見る庭園

ここ浄智寺の重要文化財の多くは鎌倉国宝館にて出陳中と案内にあり、ここでは拝見することが出来ないが、 鎌倉の国宝や重要文化財が鎌倉国宝館で一堂を会して見学できる事で、古都鎌倉歴訪にはぜひ行ってみたいものと思った。
目指していた鎌倉五山の歴訪も最終回になったが、何回かに分けて歴訪できたのはじっくり見学したかったから。 すべて満足したわけでもないし、鎌倉にはまだまだいっぱいの歴訪箇所があるから今後も続けていきたい。
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