■ 国特別史跡 五稜郭跡の歴訪と函館市街の夜景 ■

五稜郭展望タワーから五稜郭に向かう。 その後、一旦、宿泊するホテルに向かい、荷物を降ろしてから函館山のロープウェーで市街の夜景観光の予定です。 夕食は外食で海鮮丼を食する予定。宿泊するホテルはJR函館駅近くの函館パークホテル。


五稜郭には2度、橋を渡る。 馬出しの様相の外郭部に渡る橋前で記念撮影してスタート。 外郭部の石垣の最上部には突き出た石垣がもう一段あり、防御力がアップしている。 内側一辺は一部がなだらかになっていて外側に向かって守備できるような土盛りでした。 この時間は観光客もまばらで撮影もしやすかった。

北海道の歴訪の旅一弾 三角形の外郭への橋

外郭石垣の最上に外側に突き出た石垣がある
外郭と五稜郭に架かる橋

外郭から五稜郭への橋
函館奉行所の看板を見ながら本郭に期待感いっぱいで入った。 青森は晴れていたが函館に来たら曇りがちで夜半には雨の予報になっている。 市街地の夜景観光が終わるまでは降らないでほしい。
橋上から表門方向

表門を入った正面は藤棚のトンネルに…
表門

藤棚の両側から星形の石垣が続く

藤棚を見てその太さに驚く。 明治時代に植樹したような太い幹が棚全体に枝を伸ばしている。 その時期には素晴らしい藤棚のトンネルを見ることができるだろう。 表門から直進して藤棚のトンネルを抜けると石垣があり通路は左に折れる。 石垣に沿って進むが、五稜郭内の守りの状況がわかってくる。

内郭に辿り着くまで両側が高石垣だ!

年輪を重ねた藤の幹

この先を右に進むと…

通路を進むと右手に大きな広場が見えて、その中央に函館奉行所の館が鎮座している。 奉行所の発掘調査によって館は一部分だけが復元してあり全部が復元されたら二条城の様な大きな館になるだろう。 まず定番の位置から撮影して観光客の流れを見ながら数枚撮影した。 人が一番少ない映像を掲載。

函館奉行所の復元工事は20年におよぶ構想で完成した。 古写真、文献資料、発掘調査などによって当時の姿が再現されたという。 表玄関の屋根や支柱、梁は日本の伝統建築で、備後畳が敷き詰められた大広間から始まる。 和紙張りの襖や床の間の違い棚は欅の一枚板。 天井の梁も立派です。

函館奉行所 パンフレットにもある定番の撮影場所

使者之間
表玄関の間

大広間の両側にある畳廊下

この後、館の内部の見学をする。 受付で復元するにあたって苦労した話や五稜郭の誕生からの歴史を説明してくれた。 こちらの人は親切さがにじみ出ている。 幕末動乱の後、五稜郭は明治政府陸軍省が管理し、蝦夷地に開拓使が置かれた。 新政府は箱舘から函館に、蝦夷地は北海道に名前が変わった。 北海道の拠点が札幌に移り、奉行所は完成から7年で解体された。

四之間脇から見た大広間

表玄関裏の畳廊下から太鼓楼への階段がある
四之間前の入口も畳廊下

大広間の中庭側の畳廊下

表玄関から見学コースに沿って畳廊下を進むと大広間に出る。 開け放せば72畳の広さになる大広間は4つの部屋に仕切られ、 さらに奥の表座敷は格式の高い部屋が復元されている。 この部屋で幕府から明治政府への引継ぎがおこなわれた。 直線に並んだ大広間の両側には畳廊下が設けられ、最奥に奉行の役宅が続く。

三之間

三之間から見た外の景観
壹之間から見た大広間

外側の畳廊下は外光があり明るい

大広間と中庭を挟んで足軽、同心などの身分の低い武士たちの詰所があり、各部屋では五稜郭や函館奉行所の歴史が紹介されている。 また奉行の次席クラスの役人の執務室があり、 ここでは奉行所の役割、動乱の推移、五稜郭の築造経緯や構造などがパネルで展示され、 また動乱に関わった人物達も紹介している。

壹之間の奥にある武器置場

壹之間
武器置場の奥にある表座敷

壹之間から四之間を見ると観光客が…

復元工事にあたり実際に使用されていた当時の瓦、釘隠し、竹釘、木材なども展示してあった。 日本古来の伝統的な木材の継ぎの手法等も興味深い。 中庭の窓から奉行所のシンボル的な太鼓楼が見えたが案内人に聞くと、階段があり昇降できるが危険防止で中には入れないと聞く。

中庭を囲む廊下窓から太鼓楼を見る

エンフィールド銃と銃弾
天井の一部が開放され建物の構造が見学可能

玄関の土中から発見された壺

内玄関から外に出ると夕陽が迫っている。 11月になって、午後3時半を過ぎると夕方が早くなる。 シンボルの太鼓楼も良く見え何枚か撮影する。 観光客の数がまばらになり、改めて反対の位置から撮影する。 映像に人影が無くなり絶好の撮影チャンスです。 角度を変えて撮影して大満足する。

なお、太鼓楼は動乱時、函館港に入港した政府軍の軍艦「甲鉄」の艦砲射撃で命中して破壊された。 甲鉄の大砲の射程距離は4q以上あり、港から3qの位置にあった五稜郭に十分に砲弾が届いた。 元々、奉行所が五稜郭に移転したのは、外国船からの艦砲射撃を避けるために移転したが、築造から10年で大砲の性能は格段に進歩していた。

五稜郭を角度を変えて撮影 太鼓楼

あっという間に日陰に
夕日に映えたが…

五稜郭の出入口の門は3ヶ所あり、どの出入口も正面に土塁があり直接内郭に入れないようになっている。 反対側に門があり、もう1ヶ所は横側はあるが、そちらは橋が架かっていなかった。 文献資料や発掘調査などから五稜郭内には奉行所を中心に、20数棟の付属建物があったことが敷石によって区分されている。 今、この場に立つと奉行所等数棟があるだけで郭内は広く感じるが、資料によると結構手狭の様で数多くの建物があったようだ。

敷石は建物跡

板蔵
板蔵

門の出入口前に土塁があるため、土塁に昇ってみた。 通路ではないが観光客が頻繁に通るから内側から土盛りに道筋がついている。 滑りそうになりながら土塁の上に上がると結構見晴らしが良かった。 遠くから見ると土塁に遮られて五稜郭内の建物の配置が判らないと思った。 それでも遠方から距離さえ判れば艦砲射撃で内郭を破壊できるだろう。

もう一方の門方向は車両が通行できそう

裏門

五稜郭内の内石垣

撮影位置
建物跡

裏門



石垣上から見える奉行所

奉行所の向かいに3棟の建物があるが、手前2棟の黒い建物が復元された土蔵(兵糧庫)です。 手前に2基の大砲が展示されている。

大砲1はブラッケリー砲(前装填式施条砲)で長さ2.55m、重量2500s、射程距離1000m、1865年にイギリスオードナンス社で製造され、 昭和36年(1961年)に、市内豊川町で発見された。
…旧幕府軍が湾内攻撃のため、築島台場に設置したもの。

大砲2はクルップ砲(前装填式施条砲)で長さ2.85m、重量1000s、射程距離3000m、1860年代にドイツクルップ社で製造され、 昭和7年(1932年)に、七重浜埋め立て工事の際に発見された。
…旧幕府軍軍艦「蟠竜」に撃沈された政府軍軍艦「朝陽」の艦載砲と思われる。



大砲1 ブラッケリー砲(前装填式施条砲)
土蔵(兵糧庫)

大砲2 クルップ砲(前装填式施条砲)

午後4時前にはタワーもシルエットになり夕闇が迫り駐車場に戻ることにした。 予め、パソコンからWEB上に登録しておき、車両のナビでダウンロードしてるから、北海道の訪問地30数ヶ所が登録順にナビから函館パークホテルを呼び出せる。 安全運転して10分ほどでホテル着、駐車場に入れ、チェックインする。 素泊まりだから必要なものだけ持参して部屋に置き大休憩した。 ホテルの映像は翌朝に撮影したものです。

タワーもシルエットになり夕闇が迫る 函館パークホテル

ホテルで1時間弱休憩して車で函館ロープウェーに向かう。 17時にロープウェー駐車場に到着すると、「本日からロープウェーは定期点検で運休します。代替えバス運転をしてます。」の案内板が目の前に現れた。 突然のハプニング、おまけに今日から…?気を取り直して車を指定場所に移動しバス乗り場に急ぐ。 貴重品とデジカメ、三脚だけでフードの付いたジャンパーを着用する。 バス案内所で往復切符を購入して停留所に一番で並んだ。

函館山山頂への道路は夜9時までは一般車両は通行できず、バスだけの通行になる。 運行バスが観光バスより優先で走り暗闇の山頂に向かった。 登る途中で夜景の一番スポットで10秒ほど停止して再出発する。 混雑してるから乗車時に出口前の座席に座ったおかげで見晴らしは良かった。 首都圏の電車の様な混雑で、バス中で帰りも工夫しなければと思った。

山頂に着くと展望台横にバス便は横付けした。 他の駐車エリアは観光バスの行列で満車だった。 登る途中で観光バスが列をなして待機していた理由がわかる。 観光バスの乗降客は5割方あの国だった。 マナーの悪さがアチコチで…。 乗務員が30分間隔で運行する予定ですと話したが約束は守られなかった。

下車して空っ風の中、展望台上部にゆっくりと上がり撮影場所を妻と確保した。 三脚をたて高さを確保してデジカメをセットして撮影を開始した。 周りの観光客の言葉が判らない言葉が混じって日本語が少なかった。 撮影条件を変えながら同じ構図を撮影、さらに条件を加味して撮影して16枚、妻は10枚撮影できた。 後半から小雨が降り出し雨脚がだんだん強くなり撮影はここでやめた。 半分満足の状態で帰りのバス停に向かう。

バス会社の手際の悪さがひどく、函館駅行とロープウェー駐車場行と混在してるから怒号が飛び交う。 一列に並んでいるバス待機の人々に、バス会社の係員が行き先別に並ぶよう指示している。 私達もそれに従って5,6番めに並んだ! これで妻も疲れなくてすむと安堵する。 と、思ったらバスが来ない! 雨の中、30分以上待ってやっと到着したバス乗降口に向かうと割り込みが始まった。 あの国の観光客が横から乗車しようとしたら前に並んでいた婦人客が指図して乗務員に告げる。 乗務員が言葉が通じないから両手を広げて並ぶように指示している。 何とも情けない光景だった。

…乗車してからも乗務員とお客と一問答あった。 満員近いが発車しないためお客が怒り出した。 乗務員は外に出てしまい運転席は空状態。 15分ほどしてバスは麓に向かって走り出した。 何とも情けないバス会社だと思った。 これが函館を走る路線バス会社です。

函館港方面 函館市街地方面
函館山の夜景観光はホテルから1時間以上かかり、展望台は20分滞在、ホテルに戻るまで1時間半かかった。 ア〜疲れた!フード付きのジャンパーを着用して正解でした。
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