■ 札幌大通公園 ■
小樽から札幌道を戻る形で札幌中心部に到着。 高速道を下りて市街地に入り、目指すは札幌市の中心部を東西に横切る大通公園です。 丸山公園前を通過し北海道文化放送の近くに駐車場を見つけ駐車。 大通区域は1950年(昭和25年)にアメリカから返還され公園としての整備事業が再開。 以後、造園関係者に区域を割り当て多くの花壇が造られた。 そのため花壇前に会社名を記したプレートがあり、季節ごとに様々な趣向で花壇造りの競演がある。 ここから歩いて観光します。


札幌は町中が碁盤の目の様に道路が整備されていると聞いたが、実際には区域ごとに碁盤の目状に道路が整備されている。 要するに碁盤の目状の区域が幾つも寄せ合って札幌市域となっている。 これは札幌の開拓時に幾つもの開拓団が入り、それぞれが碁盤の目状に都市整備してきたが、区域と区域が合わさる部分が微妙にずれている。 札幌が100万都市になった現在、それを考慮すれば地図を見て納得する。

ゴミが無い綺麗な市街 大通公園へ…

歴史を感じる建物
札幌資料館の裏手から入る

妻の映像

11時前に駐車場から大通公園に向かう。 地図では公園から外れているが延長されたように端に古い建物がある。 13丁目にある札幌資料館だ! 資料館の裏から入ると幼児たちと一緒になった。 お遊びの時間か、保育士たちと一緒に同じ方向に向かう。 札幌資料館は1926年(大正15年)に建てられ、煉瓦、札幌軟石、鉄筋で造られたという。 1997年に国登録有形文化財に指定された。

幼児たちと一緒に同行したから、撮影しようと構図を決めると、お遊びの幼児たちの姿が入る。 まぁいいかぁ!後で妻の映像を確認したらいい映像を見つけた。北海道の旅では随分助かった。 いつの旅でも自然に助太刀してくれる。

私の映像 サンク・ガーデン区域から撮影

■大通公園の概要1
大通公園は札幌市の中心部、中央区大通西1丁目から12丁目まで、約1.5qの区域が連なり札幌都市計画の基線となっている。 札幌中心部は碁盤目状の区域で東西南北に条丁目で表されている。 南北の基準は大通で両側に一方通行の道路があり、云わば中央分離帯だ! それも道路幅105m、分離帯だけで65mの幅がある。

東西の基準は創成川で、本流は定山渓から続く豊平川か? この創成川は昔、湿地帯だった札幌の地下水を集めて地盤改良とした人工河川ではないか? 札幌資料館から道路を隔てて12丁目になる。 ここはサンク・ガーデン区域と呼ばれ、30種類のバラが植生している。 今の季節は秋バラが色とりどり咲かせているが、バラの大きさは小さいほうだ。

ここから細長い大通公園が見渡せる

裸婦像と札幌資料館
バラの時期も終わりかけている

ビジネス街にあり背広姿も多く見かける。 11丁目区域では木の形を模した、高さ25mのマイバウムが中央に建っていた。 マイバウムはドイツの民俗の一種で木を飾り付けたもので、1976年に姉妹都市ミュンヘンから贈られた。 それが古くなったため2000年に復元し建て直されたそうで、色彩鮮やかで民俗色豊かです。

11丁目区域 広い芝生広場 季節によって会場になる?

民俗色豊かなマイバウム
民俗色豊かなマイバウム

民俗色豊かなマイバウム

10丁目区域に入ると、芝生広場の中央に黒田清隆像とホーレス・ケプロン像が建立されていた。 この両像は遠くからでもよく目立つ。 黒田清隆は幕末に薩摩藩士として活躍し、戊辰戦争では北陸戦線と函館戦争で参謀として指揮を執る。 その後、北海道の開拓長官として指揮した。

ホーレス・ケプロンは開拓使顧問として札幌の発展に寄与した。 芝生広場には保育士が幼児たちと陽光を浴びて遊んでいた。 日本何処でも、若夫婦のために幼児施設がある。 それを支える保育士たちが頑張っている姿を見ると微笑ましく思う。 頑張れニッポン!

後から見える両像

幼児たちの憩いの場
ホーレス・ケプロン像(左)と黒田清隆像(右)

9丁目区域に向かう

9丁目区域は木々を抜けるとなだらかな山型の芝生広場があった。 公園清掃の係員が落葉を回収している。 山の名前はクジラ山と云われ芝生の反対側は白い滑り台になっていて幼児の格好の遊び場でした。

そのクジラ山の先は奇妙な黒い筒状のものがあった。 ブラック スライド マントラと呼ばれ、よく見るとよじれた形の滑り台だった。 イサム ノグチ氏作の作品で、ヴェネツィア ビエンナーレで発表されたマイアミにあるスライド マントラの姉妹版だそうです。 1988年に札幌市とノグチ氏の合意で設置された。 遊具とか芸術作品だとの論議はあったがノグチ氏は、この作品は子供たちのお尻によって磨かれると述べたという。 私には微妙な言い回しと思った。

休憩タイム(やっと見つけた喫煙場所)

クジラ山滑り台とブラック スライド マントラ

広い芝生広場

9丁目区域と8丁目区域は、間に道路が無く広いスペースが広がる。 しかし芝生の両端に競い合うように季節の花壇が連なり、どこを歩いても陽光と鮮やかな色彩感で気持ちいいです。

■大通公園の概要2
1869年(明治2年)、北海道の中心都市建設のため札幌に来た開拓判官、島 義勇は札幌を南北に分け、 北を官庁区域、南を人民区域とした計画を立てたが、その位置は現在の大通公園とは異なった。

島氏の後に指揮を執ったのが岩村 通俊で計画を作り直し、官民を分ける火防線が現在の大通公園の位置になった。 この火防線(空地)が度々の大火災の延焼を食い止めたという。 当時の日本の常識を超えた空地は利用度が少なく、ゴミ捨て場や残雪処理地になっていた時期がある。 これが問題化し、1876年(明治9年)に、大通公園の中心に花壇が造られ、1909年(明治42年)には造園家の手によって整備が始まり、 1911年に完成したのが大通公園の始まりだという。

最高の天気です!

花壇が競い合うように工夫されている



鹿とフクロウの像

日時計(周囲の植木は小学校の児童が植樹)

5丁目区域には数多くの花壇があり、 その花壇が傾斜やモニュメントを利用して出展者の意図が良く判る。 高さ16mの石塔がある。 これは聖恩碑で1936年(昭和11年)の昭和天皇の行幸の感謝と翌年に札幌市の水道施設が創設され記念して造られた。 石塔には「聖恩無疆(むきょう)」の題字は閑院宮載仁親王の揮毫による。

5丁目区域 カラマツの木管を使ったモニュメント

傾斜によって花壇全体が良く見える


聖恩碑

4丁目区域に入るとさっぽろテレビ塔がいいアクセントになって市の中心に近づいた気がする。 また幼児施設のグループがアチコチで見られ、幼児たちの会話が聞こえ市街の中心地で見られる微笑ましい光景だ。 3丁目に到着すると、大きな噴水広場に出てきた。 噴水そばに幼児が小さな手を入れて幼児同士で遊んでいる光景を撮影する。 最後に噴水だけの映像もゲットした。

4丁目区域 市の中心部に近づく

3丁目区域 噴水広場
幼児たちの遊び…

花壇と3人の裸婦像

さらに進むと、目の前に大通公園の文字と3人の裸婦像が花壇に囲まれてる。 案内には「笑顔になれる町」と記してある。 喫煙できる処を見つけ小休憩。 妻はベンチだが私は公園内にある喫煙ルームに入った。 「ゲッボ!ゲッボ!」ルーム内に入ったら喫煙者が多く中が煙にまみれてた。 2、3服して耐えられなくなり喫煙ルームから出た。 服にまで匂いが付きそう! 喫煙は諦め清涼飲料水を飲んで清めた?

さっぽろテレビ塔を背景に記念撮影。 背景もピントが合うようにデジカメの位置は少し離れた位置にセットし、タイマー撮影をしたら自転車のおじいさんが一心不乱にペダルをこいで通過した。 映像を見るとおじいさんの顔が綺麗に映っていた。 アチャ〜!再度撮影。

花壇と3人の裸婦像

1丁目区域 さっぽろテレビ塔
2丁目区域

さっぽろテレビ塔

私達が訪問する前にさっぽろオータムフェストの行事があったという。 2008年から始まった行事は秋の訪れを告げる行事の様だ。 今は秋色の真っ最中で、公園に落ち葉が積もる頃、樹木は冬囲いが始まり花壇やベンチは撤去され大通公園は冬前の静寂を迎える。

冬を迎えると11月から街路樹に電飾が灯されさっぽろホワイトイルミネーションが始まり、公園は再び活気を取り戻し、多くの市民や観光客で賑わう。 年を越して2月になるとさっぽろ雪まつりが開催され、日本各地、外国からの観光客が訪れ、大通公園の最大の活気を迎える。

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