■ 日光杉並木、JR東日本日光駅舎、開山堂巡り ■

今市の道の駅で早朝5時半に起床したら名古屋から来た山登りの人はすでに出発していた。 ワイパーに「寝ていたので先に出発します」のメモが残されていた。 私も6時過ぎを目標に出発の準備をする。 洗顔してトイレを済ましてコンビニのコーヒードリンクでいつもの朝食の代わりです。


今日の予定は天候が快晴ならば戦場ヶ原まで足を伸ばしたい。 帰路に吹き割りの滝の映像を取り戻しに行く。 まず最初に世界遺産に含まれる日光杉並木の映像を取り戻す。 今市市から日光市に向かう途中で撮影したのが下記の映像です。

日光杉並木は旧日光神領内にあたる今市〜日光間の約16kmの総称で、世界最長の杉並木としてギネスに登録されている。 家康、秀忠、家光に支えた松平正綱が東照宮の参道に仕儀を植樹した。 明治以降は伐採の危機にも瀕したが官民双方の有識者の努力で大規模な伐採を免れた。 植樹から400年近く経つが現在でも12500本の杉が生い茂り寄進碑や一里塚も現存する。

生活道路として利用されてるが、街道を通る車の排ガスや沿線の開発による根の切断などで樹勢の衰えが進行し毎年100本以上が姿を消してる。 二荒山神社、東照宮などとともに世界遺産登録されている。





今市瀧尾神社

杉並木沿いに今市瀧尾神社を見つける。 瀧尾神社は勝道上人が日光二荒山上男体山に二荒山大神を祀る時に、同時に瀧尾神社にもこれを祀ったことに始まる。 その後、明治になり今市の郷社に列した。 杉並木沿いの街道にあり宇都宮方面から来るとすぐわかる大きな鳥居が目立つ。 車を駐車場に入れ大鳥居まで戻り明るくなった入口から撮影していきます。






叶願橋は瀧尾神社の商売繁盛、恋愛成就、子授けの御神徳があり、橋を渡る前に願い事を五回唱える。 神前にて参拝後に再度橋の手前で願い事を五回唱える。と案内板が記されていたが、私は帰りは忘れた。
社務所

手水舎

本殿

社務所前に「かざぐるま祈願」の案内がある。 それによると、かざぐるまを祀る神社ということで、かざぐるま祈願の説明がある。 黄色のかざぐるまは金運、商売繁盛、合格。桃色は方位除け、縁結び。 赤色は厄除け、健康と説明がある。 祈願して境内に奉納すると良いそうだ。

本殿

天皇陛下御即位記念碑


日光に東照宮が造営され五街道の一つになった日光街道に多くの旅人が行き来し、今市は宿場町として栄えてきた。 旅人の喉を潤し飲み水として重宝された水がここにある。 旅人の間からいつしか厄たつ水、やくめい水と呼ばれ、時代の移り変わりに伴い、今では人々の伝承にすぎなくなった。 そこで後世に伝えるためやくめい水として由来を伝えている。

境内奥には瀧尾神社の御神体の主祭神の社が祀られていた。 主祭神は田心姫、大黒様、恵比寿様で林の奥の静かな場所に祀られている。 撮影しに林の中に入ったが、いつの間にか蚊に刺されてアチコチが痒くなった。 一度車に戻って、かゆみ止めのムヒを塗った。










撮影も終わって駐車場に戻り、再出発する。 次の目的地は国重要文化財のJR日光駅舎です。 数分の移動で駅舎前に到着する。 この時間帯なら人々や車の往来がほとんど無く、車を道路脇に駐車した。 早朝の時間帯で丁度、駅舎の後方から陽光が出てきたので撮影には苦労した。

JR東日本日光駅は宇都宮から伸びる日光線の終着駅です。 東北本線を開発した私鉄の日本鉄道が支線の終着駅として明治23年に皇室を招き開業した。 当時から日光東照宮や中禅寺湖など景観が恵まれた観光地で皇族や外国人観光客などが多く訪れ、明治39年に国有化され日光線と名づけられた。

 東武日光駅舎




現在の建物は二代目で、初代の建物は質素な平屋建てだったという。 1912年(大正元年)にネオルネサンス様式の木造洋風2階建ての現在の駅舎が落成した。 しかし昭和4年になると、東武鉄道が東武日光駅まで開通して国鉄と東武の競争が始まる。 昭和34年には日光線が電化しデラックスな列車の運転を開始して東武鉄道に対抗したが、 運賃、所要時間ともに東武の方が勝り、国鉄は上野からの直通列車を廃止になった。 現在ではJRと東武で直通の特急乗り入れが実現した。

 東武日光駅舎 撮影中に陽光が…

皇紀2600年、日光駅開業50周年記念碑
駅長室

駅長室出入口

駅舎の幅は約56m、奥行20mで、駅舎の2階は当時一等利用者の待合室だったが、現在は駅ギャラリーとして一般公開している。 今日は早朝と云う事もありオープンはしていない。 駅舎の右手に屋根のある団体待合室があるが現在はほとんど使われていない。 駅舎の右手に貴賓室も普段は公開していないという。

 東武日光駅舎

改札口

駅前交番も景観に調和




重要文化財の駅舎の撮影も終わり一段落した。 昔撮影したが当時バックアップしてなかったのでパソコンの故障でホームページの映像しか残っていない。 一服してから最初に向かったのが開山堂です。 その奥に瀧尾神社があるが、車のナビに瀧尾神社が表示されてるから目的地の変更で再設定する。 神橋のT字路交差点を右折して道なりに進むと稲荷川を渡る橋があるが、手前を右折して細い道に入る。 擦れ違いが困難な所が多く、0.5qほど進むと道沿いに3台くらいの駐車スペースがある。

道に沿って石畳の道があるが東照宮社務所から続く道です。 観音堂の前に石鳥居があるが、これも神仏混淆の名残かも知れない。 本尊は聖観世音菩薩で正面の扉から手前までひな壇の様に多くの将棋の駒の「香車」が並んでいる。 案内を読むと、将棋の駒の香車が戻らずに直進する駒のため、妊婦がこの駒を持ち帰り、自宅の神棚に祀ると無事出産できるという安産信仰だと記されている。 無事に出産したら新しい駒をつけて返納する仕組みで、駒は増え続けることになる。

観音堂、開山堂の入口

観音堂

観音堂と開山堂(右)

観音堂

開山堂

観音堂の隣に、開山堂が鎮座している。 開山堂の本尊は運慶作の木造地蔵菩薩坐像で、勝道上人とその10大弟子の像も祀られている。 年一回、4月1日に開山祭がおこなわれ、その時内部が公開される。 開山堂の奥に回ると、勝道上人の墓の五輪塔があり、このあたりは大きな杉に囲まれて陽光は少なく静寂が漂う。 幾つかの五輪塔は周囲を石柱で囲まれ、全体が苔むしている。 日光の長い歴史を感じさせてくれる。

勝道上人の墓の五輪塔












開山堂の奥に岩窟がある。 高い岩が迫っていて、そこには日光を開山した勝道上人が817年に入寂し荼毘に付された後、この地に埋葬したと伝わる。 岩窟には六部天と呼ばれる六体の石像が並んでいた。 それぞれの石仏は長い年月で風化しかけている。


石像の上には仏の姿をした岩が並んでいたというが崩壊して消失した。 なんとももったいない事かと考えさせられる。 しかし現在でも、この岩壁を仏岩と呼ぶそうだ! その石仏は墓所にあったものを移設したものです。

中央に陰陽石

観音堂に戻る形の所に、陰陽石なるものが石で囲まれている。 これは産の宮で、安産と子宝の祈願をするところです。 静寂な岩壁のそばに佇むと、頼みごとが叶いそうな気がしてくる。 三男の嫁さんの安産を祈願する!

石畳の道から先に進むか、車に乗り先に進むか迷ったが、暫く歩いてみた。 石畳は歩きにくいが何か新鮮な気持ちにさせてくれる。 撮影しながら暫く歩き、車に戻って瀧尾神社に向かった。 相変わらず道は狭く、擦れ違いが困難な所がある。 この時間だから車両は少ないが、バスが来たら困ってしまう。 早朝来て正解です!

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