■ 知恵の文殊 智恩寺参拝と天橋立をサイクリング ■ |
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山門 | | |
山門から多宝塔を |
境内右手に「力石」の立札があった。
この石は古くから文殊に伝わる力石と案内されている。
お祭りや集会の余興でこの石を持ち上げ、青年たちが力自慢を競ったという。
石の重さは大が130s、中が100s、小が70sあり、今では当文殊時に奉納され、この石に触ると不思議に力と知恵が授かると伝わる。
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多宝塔 |
力石 本堂(文殊堂) |
■多宝塔… |
ぽん!としか鳴らないので… 南北朝時代の奉納絵馬 |
五台山の扁額 | |
文殊堂の外縁四方から境内を良く見渡せる。 ここから見る鐘楼は良い映像が撮れた。 鐘楼は明治期に建立され3.6mの正四角形です。 鐘楼門に天文年間のに鋳造された梵鐘が吊在してたが、嘉永年間に改鋳され現所に移転、さらに昭和になり再改鋳された。 高い位置からの映像は無相堂、地蔵などほど良く撮影できた。 |
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無相堂 鐘楼 |
鐘楼門は宮津の商家によって1722年(享保7年)に建立された。
商家では二人の子女を相次いで亡くし、菩提を弔う為、二人の法名から暁雲閣とも呼ばれている。
龍宮門形式で寄棟造りで上層に銘額「暁雲閣記」が掲げられている。
鐘楼門の奥の庫裡は寛政11年に再建され丹後では珍しい禅宗様庫裡建築でこの地方では最大の規模の大きさです。
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鐘楼門と奥に庫裡 鎮守堂 |
方丈 鉄湯船 |
文殊堂本陣前に座り、文殊菩薩像前で般若心経を唱え、境内に戻ると気持ちが清々する。
帰りがけに文殊堂を振り返ると、なんと人がいない!
チャンス到来とHP用の映像をゲットした。
多くの観光客がいるのに一瞬だけ文殊菩薩様がご褒美をくれた。
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鐘楼門と奥に庫裡 「智恵の輪」燈籠 |
一瞬だけ文殊菩薩様がご褒美… モーターボート乗船場 |
文殊菩薩様から御褒美を戴き、次は天橋立観光です。
どの様に観光するかは現地で判断する。
「智恵の輪」燈籠付近は天橋立観光の手段が隠されていた。
ここのモーターボートの乗船場で良いコースを見つけた。
漠然と散策して終了と考えていたが、レンタサイクルを活用した観光を思いついた。
天橋立を往路は自転車を利用し、帰路は内海から眺望を楽しむモーターボートの利用です。
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廻旋橋と景観 | 廻旋橋 内海の阿蘇海方向 |
宮津湾方向 「智恵の輪」燈籠とモーターボート乗船場 |
天橋立は宮津市の宮津湾と内海の阿蘇海を南北に隔てる全長3.6qに及ぶ湾口砂州で、宮島、松島と合わせて日本三景のひとつです。
その形成は2万年前に宮津湾が陸地化した後、氷河期が終わって海面上昇が始まった。
その後、水中堆積が発達し、6000年前の縄文後期に急成長した。
2〜3000年前に地震で大量流出した土砂により海上に姿を見せ、有史時代に現在の姿に成長した。
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日本三景碑 | |
| 大天橋 |
砂州の幅は20m〜170mあり公道になっている。
バイクが走っているのを見て吃驚した。
砂州が真っ直ぐに堆積したのは宮津湾の沿岸流により砂礫が海流によって運ばれ、内海の阿蘇湾の海流とぶつかり海中に真っ直ぐな砂州が堆積してきた。
砂州には自然発生的に松林が生えたもので植林ではない。
日本の道100選にも選定され、公道で主に観光の散策路になっている。
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与謝野寛、晶子夫妻の歌碑 |
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宮津湾 天橋立の松林は腐植土により富栄養化や高い地下水位の影響によって根があまり育たないまま幹だけが高く育ってしまい、 バランスの悪い倒れやすい状態になっている。 はじめは形良い、映像としても良いと思っていたが、説明板を読んで深刻な問題だと思った。 |
一番お気に入り |
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天橋立神社(橋立明神) 天橋立神社(橋立明神) |
天橋立神社(橋立明神) 磯清水 |
古代から奇勝、名勝と知られ大戦後に国の特別名勝に指定された。 文化的景観として、その後、若狭湾国定公園の指定に含まれ、現在は丹後天橋立大江山国定公園の指定区域になった。 現在は宮津天橋立の文化的景観として文化庁から重要文化的景観に選定されている。 |
蕪村の句碑 |
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夫婦杉 |
飛龍観、昇龍観、天橋立といえば龍が付物ですが、この倒れた松も双龍の松という銘木だった。 しかし平成16年に台風の被害に遭って、天橋立の松は250本近く倒れた。 この双龍の松は、その惨状を記憶に残すため、ここに残されている。 2本の松の中は空洞になり大きく向う側が見える。 |
双龍の松 |
双龍の松から先は対岸に到着。
ここで時間に余裕があるから元伊勢大神宮籠之宮まで足を伸ばした。
自転車に乗り小道を進みボート乗り場を通過したら私達を見て慌てて呼び止めた。
自転車で向かうと置き場が無いので、ここに置いて行ってくださいという。
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