■ 旧御室御所 仁和寺に歴訪 ■
今日は、京都の亀岡湯の花温泉渓山閣から京都の仁和寺に向かう。 駐車場で係に一般道か高速かを聞いたら京都縦貫道を勧められ、ナビは5ルートから有料道使用を選択し、 8時過ぎに出発し仁和寺には9時前、駐車場(一日500円)に到着。
仁和寺は右京区御室にある真言宗御室派総本山の寺院です。 山号は大内山で、本尊は阿弥陀如来、開基は宇多天皇です。 皇室とはゆかりの深い門跡寺院で、宇多天皇が出家後に住したことから御室御所と云われた。 明治以降は、門跡に皇族が就かなくなり旧御室御所と称するようになった。


仁和寺は古都京都の文化財として世界遺産に登録。 御室の言葉を聞くと桜の名所として知られ春の御室桜の時期は多くの参拝者で賑わう。 他にも宇多天皇を流祖とする華道御室流の家元でもある。 普段、境内への入場は無料で、御殿、霊宝館の拝観のみ有料。 しかし御室桜の開花時期のさくらまつりの時は境内への入場も拝観料が必要。

■仁王門(国重文)…
1637(寛永14年)〜1644年(正保元年)にかけて建立されたもので、左右に阿吽の仁王を安置し、建築様式は平安伝統の和様で統一されている。 阿吽とは寺院の門に安置される仁王や狛犬などの相。口が開いてる方を阿形、閉じている方を吽形という。 和様とは日本在来の様式、鎌倉時代の大仏殿、禅宗様建築に対し、奈良時代(710〜794年)に中国から移入された系統の建築様式です。

駐車場から仁王門に向かう

仁王門(国重文)
仁王門(国重文)

阿形像

御殿、庭園への本坊表門には総本山仁和寺と真言宗御室派宗務所の看板がある。 本坊表門も国重文で両側に土塀が続く。 中に入ると、低いマツが植生され石砂利の道が二方向にのびている。 庭園風の境内の先に格式ある御殿玄関が垣間見える。 先を進むと右手に宸殿の南庭に入る入口門があり石庭の一部を垣間見れる。 玄関前で撮影後、中に入り撮影の許可を確認。

吽形像

本坊表門(国重文)


京都の夏は朝から暑い! しかし御殿内に入ると気温は一変。 気持ち良い清涼感のある御殿です。 妻と顔を見合わせてにっこりする。 玄関を上がり、正面の座敷に華道御室流の家元を発信する華が生けてある。 次の部屋には香炉が一つ中央に…。
 御殿玄関




御殿入口から御殿回廊を進んで白書院に向かう。 やはり涼しい!あの暑さはどこに行ったか?と思うほど爽やかです。 つづら折りの御殿回廊でいつの間にか東西南北が判らなくなるほど広い御殿です。
 御殿回廊




仁和寺の創建は光孝天皇の勅願で886年(仁和2年)に建立が始まった。 光孝天皇は寺の完成を見ずに翌年崩御したが、遺志を継いだ宇多天皇によって888年(仁和4年)に落成し西山御願寺と称されたが、 後に年号をとって仁和寺と号した。 宇多天皇は出家後、仁和寺伽藍の西南に御室という僧坊を建てて住んだため、当寺には御室御所の別称がある。 尚、御室の旧地には仁和寺御殿という御所風の建築群が建ち、国の史跡に指定されている。

 宸殿



白書院
白書院は宸殿南庭の西側に建立され御殿回廊で繋がっている。 部屋の襖絵は昭和12年に福永画伯によって松の絵が部屋全体に描かれている。 天井も高く部屋が大きく感じた。
 白書院




御殿内の各部屋の撮影に没頭して気が付いたら広い石庭が見渡せるようになった。 この一帯が宸殿の南側の石庭で奥に勅使門が良く見え、右手が白書院で、今まで見学してきたルートが見渡せるようになった。 長い御殿回廊の先に宸殿も良く見え御殿内の中心に来たことが判る。 庭内に左近の桜、右近の橘が植えてあり白砂と松や杉を配してある。 白砂が宇宙空間で桜や橘の樹が惑星の様に感じる空間です。 御殿回廊は日差しに当らないだけで涼しい。

宸殿の南側の石庭と勅使門が見える

宸殿

勅使門

御殿をつなぐ回廊

■仁和寺の歴史…
仁和寺は開基後も皇族や貴族の保護を受け、明治に至るまで皇子や皇族が歴代の門跡(住職)を務め、門跡寺院のトップとして仏教各宗を統括していた。 室町時代には衰退し、応仁の乱(1467〜1477年)で伽藍は全焼した。 その後、寛永年間に皇居の御殿建て替えに伴い、 旧皇居の紫宸殿(現在の金堂)、清涼殿(現在の御影堂)、常御殿(現在の宸殿)などが仁和寺に下腸され境内に移築された。 その中で旧紫宸殿は現在の金堂です。

宸殿

宸殿から見る南庭
白書院

宸殿から見る仁王門

御殿内の宸殿、白書院、黒書院はいずれも登録有形文化財で、宸殿は明治20年に焼失し、明治末から大初期に再建された。 白書院から御殿回廊を進んで宸殿に向かう。 回廊から見える景観を撮影しながら宸殿の北側の庭園に向かう。 南北の庭園の仕切には板塀が境を作っている。

南庭

北庭エリアに
南北の庭園の境は板塀が

宸殿廊下

■宸殿…
儀式や式典に使われる御殿の中心的建物で、寛永年間に御所から下腸された常御殿が、その役割を果たしていたが1887年(明治20年)に焼失した。 現在の建物は御所の紫宸殿と同様に檜皮葺き、入母屋造りで3室の部屋があり、 襖絵や壁などの絵はすべて原在泉の手により四季の風物、牡丹、雁などが描かれている。

宸殿の北庭は南庭とは対照的に池泉式庭園で、斜面を利用し滝と池泉が配置され築山に飛濤亭、後の背景に中門や五重塔が見える景観です。 飛濤亭は国重要文化財で江戸時代末に光格天皇の趣向で建立された草庵風の茶室で腰をかがめずに入れるよう鴨居の高い入口がある。 飛濤亭はここからの景観が見事です。

北庭…奥の築山に飛濤亭

宸殿の部屋は広い
撮影場所を変えて…

宸殿の部屋を撮影後、御殿廊下を黒書院へ向かう。 黒書院は宸殿の西側にあり京都の花園の旧安井門跡の寝殿を移し、改築した建物で1909年に竣工。 内部は6室からなり襖絵が室内全体を飾っている。 宸殿と黒書院をつなぐ御殿廊下から北に霊明殿を正面に見ることができる。 霊明殿は仁和寺の院家であった喜多院の本尊、薬師如来坐像が安置されている。

宸殿の部屋を撮影後、御殿廊下を黒書院へ…

霊明殿
正面が黒書院

霊明殿は1911年に建立され、内部は正面に須弥壇があり格天井になっている。 木の組み物など細部に至るまで見事な造りです。 建物も御殿内の配置に調和している。入口上の扁額は近衛文麿の筆です。 須弥壇前で座禅し般若心経を読経して撮影。


霊明殿に上がる


霊明殿須弥壇

霊明殿の高い位置から北庭を撮影してみた。 遼廓亭も国重文で江戸時代の初期から中期に掛けて建立された尾形光琳の屋敷から移築されたものです。 葺下し屋根の下に袖壁を付けその中ににじり口が開いている。 遼廓亭には行けない為、御殿玄関に戻ります。 帰路のコースで黒書院により部屋内部の一部を撮影。

霊明殿入口から北庭を見る

霊明殿の帰路で御殿回廊から黒書院を見る

黒書院
遼廓亭

黒書院

遼廓亭

御殿内を回廊を通して往復した。 仁和寺の創建から現在に至るまで多くの知識を得たことは得難いものだった。 この後、御殿から仁和寺の広い境内を妻と歩いてみます。 幾度も記したが夏の京都はこんなに暑いとは思わなかった。 この後も夏の京都を歴訪するが途中でバテ気味になってしまった。 しかし水分補給で折角来た京都を堪能します。

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