■ 枯山水の石庭 龍安寺を歴訪 ■
仁和寺、龍安寺、金閣寺を通る道路を通称、きぬかけの路と呼ばれ京都らしい路と思う。 仁和寺から龍安寺までの距離は仁和寺境内の仁王門から金堂までの往復距離と同じくらいだった。 御室会館で休憩した後、きぬかけの路を歩いてみた。

龍安寺は臨済宗妙心寺派の寺院で妙心寺との繋がりも深い。 山号は大雲山と号し石庭が有名だ! 本尊は釈迦如来、開基は室町幕府の守護大名の細川勝元。 古都京都の世界文化遺産です。


石庭として知られる枯山水の方丈庭園で有名な龍安寺は禅寺です。 衣笠山山麓に位置する龍安寺一帯は984年に建立された円融天皇の御願寺の円融寺の境内地だった。 平安時代末期に細川勝元はこの一帯を寺地として譲り受ける。 当時の寺地はかなり広く、現在の京福電鉄の線路あたりまでが境内だった。 その名残がきぬかけの路を挟んで山門が存在する。 撮影はここからスタート。 山門をくぐって先に進むと、きぬかけの路に出る。 境内は横断してまっすぐ進むと右手に釈迦如来像が迎えてくれた。 そして霊宝館前を通り過ぎた。

龍安寺参道の山門

釈迦如来像


霊宝館
その緩やかな坂を進むと山門が見えてきた。 撮影時は多くの観光客が出入りして 何枚か撮影したが諦めきれなくなりもう少し待つ。 そしてチャンス到来、境内清掃係だけになった時を狙って映像をゲット。
 山門



山門をくぐり参道をさらに進む。 すると左手に国名勝の鏡容池が樹々の間から垣間見えてきた。 池には伏虎島と弁天島が良く見え手前の水面には水蓮が咲いている。 望遠でズームし撮影してみた。 かなり広い池です。 弁天島に渡る橋は石造り太鼓橋です。

龍安寺は細川勝元と山名宗全らが争った応仁の乱で焼失するが、勝元の子の細川政元らによって1499年(明王8年)に再興された。 その後も織田信長、豊臣秀吉らが寺領を付与した。

 水蓮








参道をさらに進むと、石庭入口案内がある。 境内の樹木は手入れされ気持ちが高ぶってくる。 入口に向かうと左手に仏陀石像が迎えてくれた。 その先に庫裡に向かう石段が続く。 両側に龍安寺垣という特徴ある竹垣がある。 庫裡は1797年寛政9年の火災で焼失後に再建された。 本来は寺の台所という意味を持つが禅宗寺院では玄関としているところが多い。 禅宗寺院建築の特徴を捉えた木組みと白壁からなる建築は簡素且つ重厚で、龍安寺のイメージにピッタリです。

 石庭入口の案内

仏陀石像

両側に龍安寺垣という竹垣




庫裡

江戸時代の名所案内によると、池を中心とした池泉回遊庭園が石庭よりも有名だったようです。 寛政年間には多くの寺の塔頭があったが、大火で方丈や仏殿など主要伽藍が焼失。 このため塔頭の西源院の方丈を移築して龍安寺の方丈とした。 その後、明治の廃仏毀釈によって衰退したが、イギリスのエリザベス夫妻が1975年に公式訪問した際、 龍安寺を拝観し、石庭を絶賛したことから海外のマスコミに報道された。 その為、今では世界での日本の禅ブームと相まって、世界的に知られるようになった。

方丈入口の書も達筆!






方丈内の部屋の撮影を先にした。 石庭には海外を含め、多くの観光客が殺到している。 部屋には本来、狩野派の絵師による襖絵があったが、廃仏毀釈の影響で、寺から散逸したことは残念に思う。

方丈入口の書も達筆、部屋の飾りも少なく質素な禅宗を感じる。 禅を追及するには心が落ち着く場所です。


大広間から石庭に移動する。 人垣を少しずつ移動して目の前に石庭を直視することができた。 石庭は国史跡及び特別名勝に指定され、石庭といえば龍安寺。 幅25m、奥行き10mほどの空間に白砂を敷き詰め、東側から5個、2個、3個、2個、3個の合わせて15個の大小の石が配置されている。 また、どの位置から眺めても、必ずどこかの1つの石が見えないように配置されていることも有名です。

石の種類は3種に大別できる。 比較的大きな石はチャートと呼ばれる龍安寺裏山一帯に多い山石で、塀際の細長い石と他の2石は京都丹波の山石、 ほかの9石は三波川変性帯の緑色片岩です。

石庭の石の配置から多くの逸話があり、別称にもなっている。
「虎の子渡しの庭」 虎の子渡しとは虎は3匹の子供がいると、そのうち1匹は必ず獰猛で、小虎だけで放っておくと、 その獰猛な小虎が他の小虎を食ってしまうという。 そこで母虎が3匹の虎を連れて大河を渡る時は次のようにする。 母虎はまず、獰猛な小虎を先に向う岸に渡してから、一旦引き返す。 次に残った2匹のうち1匹を連れて向う岸に行くと、今度は獰猛な小虎だけ連れて、再び元の岸に戻る。 その次に、3匹目の小虎を連れて向う岸に渡る。 この時点で、元の岸には獰猛な小虎だけが残っているので、母虎は最後に、この虎を連れて向う岸に渡る。 という中国の設話(虎、彪を引いて水を渡る)に基づくものです。

方丈の前に座り、長い時間石庭を見つめている。 枯山水の石庭を見て一体何を感じているのか…。










移動して石庭の映像を20枚近く撮影。 朝一番で訪問すれば縁側を含めて全体像を撮れるチャンスがあるが、今日はここで終了! 縁側を移動して仏殿側の庭に移動した。ここの縁側にも多くの観光客が座っていた。 仏殿に通じる渡り廊下は立入禁止札がある。 渡り廊下の屋根部分は豪華な造りになっていた。 方丈を一回りして元に戻り、部屋の映像を反対側からも撮影。

仏殿側の庭

仏殿に繋がる渡り廊下
 方丈の大広間 石庭は右側

侘助椿の添え書きのある樹(右端)


左側が石庭
方丈から出て境内の見学に向かう。 コースに沿って進むと右手に勅使門が現れた。 国重文で元西源院の唐門です。 エリザベス女王夫妻が参拝した時はこの門から方丈に入り石庭を鑑賞した。 その先を進むと仏殿の入口門がある。 いずれも入る事は出来ない。
 勅使門



仏殿への入口門




納骨堂とバコダ入口
仏殿の入口門の先に納骨堂とバコダがある。 桜苑もあり寄り道してみた。 撮影後振り向いたら妻が見えなくなった。 境内内を二人とも移動して探してたらしく中々落ち合う事ができなかった。 後で妻と苦笑い。
バコダ

納骨堂


再び鏡容池が見えるようになる。 回遊式庭園の周囲を小道があり、年間を通じて四季の変化を楽しめる。 散策路は日陰もあり比較的涼しかった。 撮影しながらのんびり歩いて山門前に戻って来た。


大護院

手前の二つの石は水分石と呼ばれている



大護院



丁度12時を過ぎて小休憩する。 再び、きぬかけの路を戻るが、妻は大分疲れてきたようだ。 先に戻って、車を回そうかと話したが、このまま歩くというので日陰を求めて仁和寺駐車場に戻った。

午後の予定は金閣寺に向かう。 仁和寺駐車場からナビで向かうがすぐ到着。 金閣寺付近は渋滞で混雑している。 それでも入口近くの駐車場に滑り込んだ!

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