■ 鹿苑寺とは… ■
一般的に金閣寺の呼び名で知られるが正式名称は鹿苑寺という。 相国寺の塔頭寺院のひとつで舎利殿 金閣が特に有名なため一般的に金閣寺とも呼ばれている。
鎌倉時代の公卿 西園寺公経の別荘を三代将軍 足利義満が譲り受け、北山殿を造ったのが始まり。 金閣を中心とした庭園建築は極楽浄土をこの世に表したと云われ、 後小松天皇を招いたり、中国との貿易を盛んにし文化の発展に寄与し、北山文化の時期があった。


足利義満の死後、遺言により寺院となり、夢窓国師を開山とし、義満の法号、鹿苑院殿から二字をとり鹿苑寺と名付けられた。 金閣は建物の内外に金箔を貼った三層の楼閣建築で舎利殿である。 金閣(舎利殿)は室町時代前期の北山文化を代表する建築だったが1950年(昭和25年)に放火により焼失し、1955年(昭和30年)に再建された。 世界文化遺産に古都京都の文化財の構成資産に登録されている。

2005年5月に妻と旅したが、その日は天候の関係で池面に金閣を映すことができなかった。 このため今回の京都縦断旅紀行で鹿苑寺の歴訪を再度試みた。 駐車場はコインパーク式で時間料金です。 駐車場から鹿苑寺入口は観光客で大変混雑している。 この時間帯では致し方ない。 撮影しながら総門に向かうが映像には観光客の後ろ姿が多い。






なるべく人の姿は最小限に、時間をかけて撮影していく。 総門を抜けると広い境内が視野に広がる。 鹿苑寺は応仁の乱で西軍の陣となり建築物の多くが焼失したが、江戸時代に主要な建物が再建され、舎利殿も1649年に大修理された。 明治になり廃仏毀釈により、寺領の多くが返上され経済的基盤を失ったが、明治27年から庭園や金閣を公開し拝観料を徴収して寺の収入を確保してきた。



総門


右手に庫裡、左に鐘楼

総門からまっすぐ進むと左手に鐘楼があり、正面に唐門が見えてくる。 唐門の撮影では金閣への通路が混雑していて行列ができている。 撮影はご覧の通りで残念に思った。「まぁ〜、いいかぁ〜!」

舎利殿(金閣)は古社寺保存法で明治に特別保護建造物に指定され、昭和には国宝保存法施行により国宝(旧国宝)に指定された。 明治の時期に解体修理がおこなわれ、庭園は昭和の時代に特別史跡、名勝に指定された。 しかし1950年(昭和25年)の放火があったが、国宝指定解除と再建の援助が決まった。 国や経済界からの援助で1955年に落慶法要が営まれ創建当時の姿に復元された。

鐘楼

ミストシャワーが散布されて…
唐門

ついに金閣に…

念願の金閣前に到着。 おまけに京都の夏は暑い!でも嬉しい! 強い日差しの中、早速デジカメを構える。 撮影場所が或る程度限られているからその範囲内でいろいろな構図を考えた。 池面が荒れてなく綺麗に反射して映っている。 勿論、記念撮影も忘れなかった。 近くの人にシャッターを頼んだが、快く応じてくれたことも嬉しい。 帰宅して10年前の映像と比べたら齢をとった事を感じた。

■金閣…
長い歴史の移り変わりで金閣には創建当時と多少の違いの遍歴がある。 それについて調べた事を大まかに列記してみます。
金閣は応仁の乱では焼け残ったが、当時の境内は荒れ果てていた。 二層に安置されていた観音像は応仁の乱で失われ代わりの像になっていた。 三層には阿弥陀如来と二十五菩薩の像があったが像本体は失われ背後にあった白雲だけが残っていた。
昭和の放火で金閣は全焼し、堂内の坐像や木像はすべて失われた。 焼失前の金閣は二層の東西の中央に連子窓があったが、再建された金閣はすべて壁になっている。


池の畔を移動。 庭園も見所の一つだが上手く撮れたか? もう少し工夫が必要だと感じる。 まだまだ撮影技術は未熟だ! 少しづつ撮影しながら移動して右手に方丈の建物を確認する。 立入禁止の立札があるが、その手前で映像をゲット。 昭和後期に金閣が大修復され、平成に入って方丈の解体修理もおこなわれた。





方丈

今まで色々な寺院に歴訪してきたが方丈が見学できないのは残念に思う。 せめて方丈の奥を覗いたが、これも駄目だった。 方丈は後水尾天皇の寄進により再興され、入母屋造りで桟瓦葺き建築で1678年(延宝6年)に建立された。 2005年(平成17年)から解体修理がおこなわれ2007年に修復工事が終了する。

方丈への入口

土塀に沿って進むと…
この先立入禁止札…残念!

方丈の反対側は金閣の側面が見れる。 屋頂には鳳凰が飾られている。帰宅後に調べたら銅製に金箔が貼ってある事を知った。 ここでも記念撮影! さるすべりの樹が開花してピンク色がアクセントになる。 ここから池を鑑賞したが景観がよく、これなら金閣から見た景観はもっと素晴らしいのではないかと思った。 まさに極楽浄土の景色かな?

 屋頂に銅製鳳凰







金閣に付属する漱清

金閣初層の西側には池に張り出すように漱清と呼ばれる方一間、切妻造り、吹きさらしの小亭が付いている。 残念ながらここで境内の小道は金閣からはなれて、その先に納経所があり列をなしていた。 通路に沿って進むと銀河泉の立札がある。 義満がお茶の水に使用したと伝わる。 今でも清冽な湧水が出ている。 そよ先に巌下水の立札がある。 これは義満が手洗用に使ったという。 ここから階段を登るようになる。 この階段の両側に金閣寺垣という竹垣がある。 龍安寺と似ている。

納経所

巌下水
銀河泉

金閣寺垣

金閣寺垣を登ると平地になり通路は左右の庭園の中を歩く形になる。 左手に龍門の滝と鯉魚石の立札がある。 それによると、この滝は2.3mの高さを一段落としにしたもので、 龍門の滝を鯉が登りきると龍に化すると云われる中国の故事、登竜門に因んだ鯉魚石が置かれている。 今、まさに跳ね上がらんとする龍の姿が、滝壺の所に斜めに傾いた動きのある石で表現している。

龍門の滝と鯉魚石

龍門の滝に流れる小川


石組の沢の様な処

滝の先に仏像があったが説明が無く判らなかった。 この先は龍門の滝に流れる小川が流れている。 石組の沢の様な処もあった。 そして石階段に到着。 ここを登ると安民沢の池がある。 周囲は樹林に囲まれ境内の奥深くに来た感がある。 日照りが続いても涸れない為雨乞いの場ともされてる。 池の中央に小島があり、白蛇塚という五輪石塔があり、西園寺家の鎮守のとも云われる遺跡です。



白蛇塚の五輪石塔
安民沢の池

高台から金閣の最上層が見える

安民沢を過ぎてさらに通路を登ると金閣寺の三層部が良く見える。 廻りの樹木に囲まれて金箔がさらに映えている。 ここに夕佳亭がある。 江戸時代に傾きかけた金閣を復興し池泉庭も修復した鳳林承章が、後水尾上皇のために茶室を造ったのが夕佳亭です。 数寄屋造りの茶席で、夕日に映える金閣が誠に良いと名が付けられた。 樹木が低ければ、金閣全体が見えた事だろう。 南天の床柱と萩の違い棚のある三畳の茶室です。

 夕佳亭

夕佳亭の中は三畳の和室がある


夕佳亭から土塀門をくぐって境内の散策。 その先に京都らしい抹茶席の茶店があるが通り過ぎていくと正面にお堂が見えてきた。 不動堂で本尊は弘法大師が造らせたと伝わる石不動明王で、霊験あらたかな秘仏として信仰されてるらしい。 節分と8月16日に開扉法要がある。 眼病にも良いと記してあったのでお詣りした。




不動堂

不動堂付近は大分混雑していた。 この先は境内をでるようだ。 雑踏から抜けて最初の入口近くに休憩処があったのでここで休む。 ドリンクと妻の好きなソフトクリームを買いベンチを探した。 日陰のベンチで大休憩する。 目の前は金閣寺に訪れた通路がある。 人の流れは大分少なくなり、これならと妻に待たせて再び総門に向かった。 その時の映像が…。

あれほど混雑してたのに…

今日の予定は終了。 休憩処で大休憩して妻も大分回復したようだ! かと言って今日は強行スケジュールした訳ではなかったが、京都の夏の暑さにバテたようです。 まだ2時前だが他の場所に見学に行くつもりはなかった。 今夜は京都南部の宇治市に宿泊する予定です。 宇治市に向かい、宿でのんびりしたかった。
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