■ 宇治平等院 ■

平等院は平安時代後期、11世紀の建築物で藤原氏にゆかりのある寺院です。 山号は朝日山と称し、宗派は17世紀以降、浄土宗の浄土院と天台宗の最勝院があり、両寺で管理しています。 また特定の宗派に属さない単立寺院です。 本尊は阿弥陀如来、開基は藤原頼道です。
平安時代の仏像、絵画、庭園などを今日に伝え古都京都の文化財として世界遺産に登録。


花やしき 浮舟園のフロントで車を預かってもらい(感謝!)8時20分に出かける。 南門前に着くとすでに数人が並んでいる。 待つことなく受付して院内に…。 観光客の流れが一段落した所から撮影を開始。 立派な舗装で何だか美術館に来た雰囲気。 右手に回って初めて門があり平等院に来た実感がわく。 2年前に残念な思いをした事を思い出したからしっかり見学と撮影を楽しみたい。

平等院の名前の由来は、平等という言葉は仏の救済が平等と云う事を意味している。 そして仏の平等を光で顕して、すなわち平等院は光のお寺ということです。 創建時の本堂は鳳凰堂の北側にあり大日如来を本尊としていたが、 1053年に西方極楽浄土をこの世に出現させたような阿弥陀堂、現在の鳳凰堂が建立された。 10円硬貨に鳳凰堂が選定されたのは、代表的文化財と建物に特徴があるからで昭和26年に選ばれた。 また明治、昭和、平成と修復がおこなわれてる。

平等院ミュージアム鳳翔館

南門


朱色の門は南門でここをくぐると左手に書院が見える。 ここは養林庵書院(重要文化財)で単層入母屋造檜皮葺きの建物です。 1601年(慶長6年)加傳和尚が伏見城より移築した。 落ち着いた書院と仏間、茶室という三要素が揃い、扁額や襖絵、壁絵が描かれ随所に桃山様式が残る。 細川忠興作と伝わる枯山水の石庭がある。

養林庵書院(重要文化財) 養林庵書院

養林庵書院の先に、浄土院本堂が見えてきた。 平等院の塔頭で、栄久上人が15世紀後半に平等院の修復のため開創した寺と伝わる。 堂内には阿弥陀如来像、帝釈天立像があり、養林庵書院の文化財などを管理している。 本堂中央入口の仏像に手を合わせる。

 浄土院本堂




浄土院本堂の隣に羅漢堂がある。 茶師の星野道斎一族によって1640年に建立された。 入口に堂内撮影禁止札があり外観撮影にとどまる。 案内によると建立当時のまま保存され、鏡天井に描かれた龍は彩色良く保存されている。 普段は開いているが、現在修理中で閉扉。

 羅漢堂

浄土院境内には他にも鎌倉時代に造られた石造り層塔、「宇治茶根、竹庵の碑誌、元禄12年」、通園家の墓などがある。 浄土院を出て通路が下り坂になり左手に土塀、右手は視野が拓けて平等院の後側を見れる。

石造り層塔




宇治茶根、竹庵の碑誌



■鳳凰堂建立の思想、信仰的背景…
飛鳥、奈良、平安前期に広まった仏教は、現世での救済を求めるものだった。 平等院が創建された平安後期になると、末法思想が広く信じられていた。 末法思想とは、釈尊の入滅から2000年目以降は仏法が廃れるという思想である。 しかし天災や人災が続いたため人々の不安は一層深まり、終末論的な思想として考えられるようになり、 仏法も現世での救済から来世での救済に変化していく。 平等院が創建された時期は末法思想の初めの頃だった。 当時の貴族は極楽往生を願い、西方極楽浄土の教主とされる阿弥陀如来を本尊とする仏堂を数多く建立した。


通路を下りきった所の左手に土塀がきれて門がある。 正面に不動堂があり本尊は不動明王で、最勝院の本堂にあたる。 本尊と並んで役小角像が祀られている。 隣接して地蔵堂があり、こちらには地蔵菩薩像が祀られている。 境内には源頼政の宝篋印塔がある。 1180年、以仁王の令旨を奉じ平家打倒を掲げて宇治決戦で自刃した。 石碑には「源三位 頼政公墓所」と記されている。

■平安時代の平等院…
平等院の境内が現在のようになったのは南北朝時代の騒乱以降で、鳳凰堂だけが焼け残った時期があった。 平安時代の平等院は、本堂には密教の主尊の大日如来が安置され、 他にも不動堂、五大堂、愛染堂、多宝塔など密教系の仏像を安置する堂塔が建ち並んでいたという。 平等院も1336年、楠木正成と足利氏の軍勢の戦いの兵火をはじめ度重なる災害で堂塔は廃絶し、鳳凰堂だけが奇跡的に災害を免れてた。 まさに奇跡的な長い歴史を誇っている。

 不動堂へ

不動堂(最勝院の本堂にあたる)

源頼政の宝篋印塔


地蔵堂

最勝院
不動堂、地蔵堂の門の隣に、もう一つ門がある。 同じ土塀が続いているが中に入ると最勝院とある。 最勝院も平等院の塔頭の天台宗の単立寺院です。 1654年に住心院の僧が移り、その住庵を最勝院と称した。

■春日型石灯籠…
鎌倉時代の石灯籠で、春日型とは藤原家宇治神として繁栄した春日大社参道の物と同じである。 石灯籠は全国でよく見かけるが灯火器を仏教伝来につれて発展したわが国独自の灯明器をいう。
最勝院

春日型 石灯籠
不動堂への門前に最勝院開祖碑

最勝院を出ると目の前に平等院の横の姿を見れる。 鳳凰堂へ入るには池の北側から二つの橋を渡る昔ながらの形に復元されている。 手前に寺務所があり、ここで院内を見学する為申込すれば50人単位で入れる。 その待ち時間間隔も長く、撮影禁止のため今回はパス。 橋を中心か、建物を中心かで迷って2枚撮影。 二つの橋が斜めになっているのは日本式庭園の考え方で、海外では理由が無い限り一直線でしょう。

建物を中心に撮影 橋を中心に撮影

平等院は最後の楽しみにして観音堂の撮影に向かう。 周囲に樹々があり、どの方向が良いか一回りする。 とりあえず表門まで行き、ここから観音堂に向かった。
観音堂は国重文で非公開。 鎌倉時代前期に創建当時の本堂跡に再建された建造物です。 垂木を地円飛角の二軒とし、天平以来の格式高い様式に倣っている。 全体が撮れず引き返して通路に入るとまだ不十分。 でも正面の映像としては良く撮れた。 最後に後ろに回って近くから撮影。

表門まで行って…

進んで…

寺務所側から入って撮影
…その横から向かう

…ご覧のとおり

後ろに回って撮影

最後に阿弥陀堂の平等院に向かう。 平安時代後期の1053年に時の関白藤原頼道によって建立された阿弥陀堂です。 華やかな藤原摂関時代を偲ぶことのできる唯一の遺構です。 最大の特徴は池の中島に建立された阿弥陀堂で、あたかも極楽の宝池に浮かんだ宮殿の様な美しさを池面に映している。


庭園は中島と鳳凰堂の建立する阿字池を中心とする浄土式庭園で国名勝に指定。 近世以降、中島の面積が広がったが、平安時代は中島の面積は狭く、ほぼ堂宇と同じ程度の広さだった。 両翼廊の端は池に突出し、翼楼の基壇も初めは無かった。 また寝殿造りでなく、東向きで左右の回廊は装飾のため行き交う事は出来ない。 少しずつ移動して撮影していく。

 鳳凰堂の撮影




午前中の鳳凰堂は朝日を浴びて鮮明に撮れる。 元々、堂宇は東向きに建立され朝日を正面に受ける。 堂宇の大きさは高さ13.5m、南北幅47m、東西の奥行き35mほどある建物です。 翼廊の目的は阿弥陀如来の宮殿をモチーフにしたデザインで実用性は無い。 鳳凰の左右の違いは鳳という雄と、凰という雌のつがいを云うが平等院には区別が無い。

阿弥陀堂はその外観が尾の長い鳥が翼を広げたような形をして屋根上の鳳凰形棟飾りで近年は鳳凰堂とも呼ばれる。 現在の鳳凰は大気汚染による錆害などの理由で取り外され鳳凰館に…、現在は二代目です。

 鳳凰堂

左右の違いは無い?



鳳凰堂を正面から撮影


鳳凰堂を正面から撮影するが、ここには阿弥陀如来を礼拝するための小御所という建物が存在した。 堂内の中央には金色の丈六阿弥陀如来坐像が端坐し周囲の壁や扉には極楽浄土図が描かれている。 平等院の全体を撮影しようと樹々が映らない所まで前に行くと、レンズ内に収まらなくなった。 仕方なく二分割して撮影し合成したのが下の映像です。 そしてレンズ内に収まるようにするには少し左に寄ると撮影できる。



ズームで阿弥陀如来像を… 少し左に寄って撮影

2年越しで平等院の映像を得て大満足。 天の恵みか、快晴で風も少なかったことも嬉しかった。 そこでもう一度、観音堂に向かって全体を撮りに行った。 最終的に撮影できたのが下の映像です。 観音堂と平等院の間には蔓のような庭がありベンチもあるから妻はそこで休んでいた。






帰路のコースは平等院前を横切っていく。 再び平等院と池が視野に入る。 撮影を重ねながら池の反対側の景観も撮影。 池の反対側の景観は妻が撮影したものです。


妻が撮影した景観



妻が撮影した景観


最後に平等院ミュージアム鳳翔館に寄る。 館内は自然光を意図的に取り入れ照明の工夫が施されている。 平等院の総合博物館として2001年に開館した。 前身の宝物館は扉絵、鳳凰、梵鐘、雲中供養菩薩像などの国宝を収蔵、公開していたが老巧化が進み新しく博物館として開館した。

平等院ミュージアム鳳翔館

■平等院の国宝…
鳳凰堂、鳳凰一対、木像阿弥陀如来坐像、雲中供養菩薩像26躯(全部で52躯ある)、梵鐘と数多くの国宝が収蔵展示されています。 他に国重要文化財の十一面観音立像も常設展示され、館内を見学した時は圧倒され、歴訪して良かったと感じた。

その他にも多くの文化財が展示され撮影は出来ないが見学する価値は十分にある。

当時の人々、特に貴族社会の上流階級は末法思想によって現世での救済を求める思想的背景があった。 仏法も現世での救済から来世での救済を求め、 極楽往生を願い阿弥陀如来を信仰し平等院など数多くの仏堂を建立した経緯が歴史の流れの1ページとして見えてくる。
丁度9時20分、南門から宇治川畔に向かう。

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