■ 宇治平等院 ■ |
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平等院ミュージアム鳳翔館 | 南門 |
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朱色の門は南門でここをくぐると左手に書院が見える。 ここは養林庵書院(重要文化財)で単層入母屋造檜皮葺きの建物です。 1601年(慶長6年)加傳和尚が伏見城より移築した。 落ち着いた書院と仏間、茶室という三要素が揃い、扁額や襖絵、壁絵が描かれ随所に桃山様式が残る。 細川忠興作と伝わる枯山水の石庭がある。 |
養林庵書院(重要文化財) | 養林庵書院 |
養林庵書院の先に、浄土院本堂が見えてきた。 平等院の塔頭で、栄久上人が15世紀後半に平等院の修復のため開創した寺と伝わる。 堂内には阿弥陀如来像、帝釈天立像があり、養林庵書院の文化財などを管理している。 本堂中央入口の仏像に手を合わせる。 |
浄土院本堂 |
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羅漢堂 |
浄土院境内には他にも鎌倉時代に造られた石造り層塔、「宇治茶根、竹庵の碑誌、元禄12年」、通園家の墓などがある。 浄土院を出て通路が下り坂になり左手に土塀、右手は視野が拓けて平等院の後側を見れる。 |
石造り層塔 |
宇治茶根、竹庵の碑誌 |
■鳳凰堂建立の思想、信仰的背景… |
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不動堂へ | 不動堂(最勝院の本堂にあたる) 源頼政の宝篋印塔 |
地蔵堂 最勝院 |
不動堂、地蔵堂の門の隣に、もう一つ門がある。
同じ土塀が続いているが中に入ると最勝院とある。
最勝院も平等院の塔頭の天台宗の単立寺院です。
1654年に住心院の僧が移り、その住庵を最勝院と称した。
■春日型石灯籠… 鎌倉時代の石灯籠で、春日型とは藤原家宇治神として繁栄した春日大社参道の物と同じである。 石灯籠は全国でよく見かけるが灯火器を仏教伝来につれて発展したわが国独自の灯明器をいう。 |
最勝院 春日型 石灯籠 |
不動堂への門前に最勝院開祖碑 | |
最勝院を出ると目の前に平等院の横の姿を見れる。 鳳凰堂へ入るには池の北側から二つの橋を渡る昔ながらの形に復元されている。 手前に寺務所があり、ここで院内を見学する為申込すれば50人単位で入れる。 その待ち時間間隔も長く、撮影禁止のため今回はパス。 橋を中心か、建物を中心かで迷って2枚撮影。 二つの橋が斜めになっているのは日本式庭園の考え方で、海外では理由が無い限り一直線でしょう。 |
建物を中心に撮影 | 橋を中心に撮影 |
平等院は最後の楽しみにして観音堂の撮影に向かう。
周囲に樹々があり、どの方向が良いか一回りする。
とりあえず表門まで行き、ここから観音堂に向かった。
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表門まで行って… 進んで… 寺務所側から入って撮影 |
…その横から向かう …ご覧のとおり 後ろに回って撮影 |
最後に阿弥陀堂の平等院に向かう。 平安時代後期の1053年に時の関白藤原頼道によって建立された阿弥陀堂です。 華やかな藤原摂関時代を偲ぶことのできる唯一の遺構です。 最大の特徴は池の中島に建立された阿弥陀堂で、あたかも極楽の宝池に浮かんだ宮殿の様な美しさを池面に映している。 |
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鳳凰堂の撮影 |
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鳳凰堂 | 左右の違いは無い? |
鳳凰堂を正面から撮影 |
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ズームで阿弥陀如来像を… | 少し左に寄って撮影 |
2年越しで平等院の映像を得て大満足。 天の恵みか、快晴で風も少なかったことも嬉しかった。 そこでもう一度、観音堂に向かって全体を撮りに行った。 最終的に撮影できたのが下の映像です。 観音堂と平等院の間には蔓のような庭がありベンチもあるから妻はそこで休んでいた。 |
帰路のコースは平等院前を横切っていく。 再び平等院と池が視野に入る。 撮影を重ねながら池の反対側の景観も撮影。 池の反対側の景観は妻が撮影したものです。 |
妻が撮影した景観 |
妻が撮影した景観 |
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平等院ミュージアム鳳翔館 |
■平等院の国宝… |
当時の人々、特に貴族社会の上流階級は末法思想によって現世での救済を求める思想的背景があった。
仏法も現世での救済から来世での救済を求め、
極楽往生を願い阿弥陀如来を信仰し平等院など数多くの仏堂を建立した経緯が歴史の流れの1ページとして見えてくる。
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