■ 世界遺産 宇治上神社に歴訪 ■

9時40分には宇治公園に到着した。 ここから宇治川を渡って対岸の宇治上神社に向かいます。 今日も快晴で、京都縦貫の旅紀行は5日連続して快晴でした。 恵まれた京都観光の旅紀行になり妻も機嫌が良い。
最後の歴訪は宇治上神社です。 ここも古都京都の文化財として世界遺産に登録されている。


宇治川中州の宇治公園に入り次の中州には朱色の橋を渡る。 さらに公園内を進むと対岸に渡る橋が見えてきた。 ここも朱色の橋で京都宇治の朱色には思索的なものが見えてくる。 欄干で記念撮影してのんびりと対岸に渡る。 渡河した所は道路になり目前に大鳥居が見える。 これが宇治上神社で道路上から撮影。 さぁ!これから世界遺産に参拝!










再び大鳥居があり、一礼してくぐり進んでいくと、拝殿の桐原殿が正面に見えてきた。 何かおかしい? 観光客も少ないし境内が小規模です。 確認すると、ここは宇治神社でした。 宇治神社は式内社で旧社格は府社。 隣接する宇治上神社とは対をなし、後に平等院が建立された時、宇治上神社と、宇治神社はその鎮守社となったと伝わる。

明治以前は宇治神社は下社、若宮と、宇治上神社は上社、本宮と呼ばれていたという。 両者を合わせて宇治離宮明神(八幡宮)と呼ばれていた。 明治に入り宇治上神社と分離し1911年(明治44年)府社に昇格した神社でした。 本殿は国重要文化財で宇治上神社と対をなしている。

宇治神社神楽殿 宇治神社
宇治神社の境内を横切ると宇治上神社の方向を示す看板がある。 再び道路に出て樹々に囲まれた小道を進む。 やがて奥に朱色の鳥居が見えてきた。 今度は間違いないだろう。 鳥居横には独特の文字の石碑もあった。




宇治上神社鳥居

鳥居をくぐると右手に手水舎がある。 山門をくぐると周囲が樹々に覆われて神聖な雰囲気が漂う。 そして正面に拝殿が…。 拝殿の形が独特の屋根形式です。 宇治上神社の歴史、創建は起源は不明です。 ここに来る前に宇治神社を通ってきたが宇治上神社とは二社一体の存在だった。 山城国風土記によると桐原日桁宮の旧跡であると伝え、両社旧称の離宮明神もそれに因むと云われる。

山門 手水舎

■拝殿(国宝)…
拝殿は鎌倉時代前期の造営で寝殿造りの遺構と云われる。 切妻造り、檜皮葺きで桁行6間、梁間3間の主要部の左右に各1間の庇が付いている。 桁行6間のうち左端の1間は柱間が狭く、屋根は切妻造り平入りの屋根の右左端に片流れの庇屋根がある。 切妻屋根と庇屋根の接続部で軒先の線が折れ曲がり、この形を縋破風と呼ぶそうです。 周囲に榑縁をめぐらし内部は板張りと天井を張り、蔀とを多用した住宅風の構えです。

拝殿(左右が微妙に異なる)

清め砂

拝殿前



桐原水の建屋

← 欅の御神木

宇治上神社の境内、外に巨石があり磐境信仰による創祀という説もある。 平等院が創建されると宇治上神社、宇治神社はその鎮守社となった。 明治以前、宇治上神社は上社、本宮。 宇治神社は下社、若宮と呼ばれた。 また両社を合わせて宇治離宮明神(八幡宮)と称され、 明治になって両社は分離して今日に至る。

■春日社(国重文)…社殿は一間社流造り檜皮葺きで、鎌倉時代後期の造営とされる。

春日社入口

住吉社(左)と香椎社(右)
春日社

境内の巨石(磐境信仰)

■本殿(国宝)…
本殿は平安時代後期の造営で神社仏閣としては現存最古の建物です。 流造り、桁行5間、梁間3間、檜茅葺きの建物内に一間社流造りの内殿3棟が左右に並んでいる。 内殿は左から菟道稚郎子命、応神天皇、仁徳天皇が祀られている。

拝殿横から桐原水の建屋、春日社と拝殿の後に廻ると本殿を見ることができる。 本殿の映像は全体を映す事は出来ないが、その特徴は撮ることができた。 本殿全体は覆屋で中には三神が祀られている。

本殿

本殿
本殿

正一位離宮太神
丁度拝殿を一回りして拝殿前に戻る。 妻は三男の嫁さんが男児を出産したので御守りを買い求めていた。 我が家にとって四人目の孫です。 それも四人とも男児で我が家は男系家族と思う。
境内の巨石(磐境信仰)

神庫


社務所

この後、花やしき 浮舟園前に戻って橋のたもとの茶店で妻にソフトクリームをプレゼント! 抹茶味は大人の味で美味しそうに食している。 陽も上って10時半になり今日も夏空が広がる。 今回の旅は快晴で終始して最高の京都縦貫の旅になり妻も大変満足しているようだ! 帰路は京都から新名神、伊勢道、第二東名、東名と高速道を東京に向かう。 途中の混雑は少なく厚木手前から渋滞したが20時過ぎに自宅に到着。

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