■ 現存十二城 弘前城の歴訪 ■
酸ヶ湯温泉から黒石市内を通過して弘前城公園に一直線に走行する。 途中でリンゴの産直農家の販売所を見つける。 店先には贈答用とそうでないリンゴが販売され、レンタカーの観光客がビニール袋の大袋の物を一つ購入している。
東京ナンバーだったから声を掛けられ話してみると十和田観光と弘前城の観光と知る。 東北道を一人で走ってきたことに驚いていた。 男性は西洋人だが奥さんは日本人だ。 これから酸ヶ湯温泉に向かうという。


リンゴは贈答用でなく傷ありのリンゴが10個入りの大袋を2袋購入。 農家の人におまけは無いですかと聞いたらビニールの小袋(5個入り)をサービスしてくれた。 ダメもとで聞いてみるもんだ! 妻が果物が好きだから幾つあっても喜ぶだろう。 この後、黒石市内を抜けて東北道も高架下をくぐる。

弘前市内の中心部に入る前でガソリンスタンドを見つける。 少しでも安い所が良い。 まだ給油ランプは点いていないが自宅から良く走ってきたものだと思う。 燃費は12.2q/Lだった。 満タンにして再出発して弘前市中心部に入る。 弘前城公園の駐車場は市庁舎の駐車場は市の運営だから手頃な駐車料金だ。

外濠の景観

追手門が見えてきた

追手門

市庁舎の駐車場から追手門まで歩いて数分の距離で弘前城観光には最適。 市庁舎前通りの向かいはお濠を挟んで弘前城です。 現在14時15分。  念願の弘前城前に佇みました。 弘前城は青森県弘前市にある別名鷹岡城とも呼ばれ、江戸時代に建造された天守や櫓などが現存する国重要文化財です。 また日本国内にある現存している12城のひとつでお城ファンにとっては最北にある堪らない城郭です。 江戸時代には津軽氏が居城し弘前藩として明治まで存続した。

追手門と土塁には隙間がある

中濠までは長い直線路が続く
門扉は良く保存されている

右手に植物園、左手は市民広場

追手門から城内に入るといたる所に菊花が展示されている場所がある。 昔、リトルシニアリーグ役員として東北地方に慰安会の旅行があった。 初めての東北地方の旅行(二本松城址)に参加したが、その時東北地方には菊人形展が盛んにおこなわれている事を知った。 何故二本松城址かというと、役員の中の審判長が二本松市出身だったから。 それから30年以上経過したが、菊花の展示を拝見して、ここ弘前城公園でも菊人形展が拝見できる。

 市民広場

何故か六文銭模様の菊


植物園では菊人形展が…

案の定、弘前城公園でもこの時期は美しい菊人形展が開催している。 今回は時間と日程の都合でパスしようと思う。 弘前城が現状から元の位置に戻されたら妻と再訪したいと考えた。 また面白い事に、菊人形展会場の入口に、何故か六文銭の絵柄があったのは驚いた。 来年は井伊家に所縁の絵柄が登場するかもしれない。

植物園前の東屋から中濠に見える菊人形舟

中濠に架かる杉の大橋
中濠に架かる杉の大橋

中濠…辰巳櫓方向

江戸時代には弘前藩、津軽氏の居城として津軽地方、そして蝦夷地にも影響を持ち、政治経済の中心として東北の雄として存在感があった。 津軽平野の中央に位置し、追手門から入場したが、 パンフレットを手にして資料を見ると、城郭は広い本丸から二の丸、三の丸、四の丸、さらに北の郭、西の郭の六つの郭から成る梯郭式平山城だ。 そして創建当時の規模は東西600m以上、南北1000m弱の巨大な城郭だった。 ここで残念な事は、この時間帯、夕闇が迫る時間で大事な辰巳櫓、未申櫓の存在を見落としていたことだった。 帰宅後、何とも情けない気持ちで落ち込んだ! 次回にと思ったが自分が情けない!

中濠…未申櫓方向

内濠正面
南内門

南内門を内側から撮影

現在お濠、石垣、土塁など城郭の全容が廃城時の原型が保たれている。 八棟の建築物と現存12天守に数えられる天守閣が現存。 南内門を通ると二の丸内に入る。 右手に廻り奥に行けば辰巳櫓だった。 こうして編集してると悔しさがこみあげる。 右奥に行くと右側に樹齢120年、日本最古のソメイヨシノや宗像志功が命名した御滝桜の枝垂れ桜がある。 枝垂桜前には満開の映像が掲示されていたので接写して掲載した。 左右で比較してください。 内濠には本丸への下乗橋を見ることができる。






下乗橋に近づくと両側に桜が植樹されている。  この桜と下乗橋、そして石垣上の天守が弘前城址の最大の売りだ!  しかし今日見る下乗橋の景観は石垣上に天守は無かった。  天守を支える石垣が長年の経過で歪みが生じているという。  そのため現在天守は本丸御殿跡地に移動して石垣の修復をしている。  その代わり下乗橋上から夕刻迫る時刻だが紅葉と天守の撮影ができた。



今回のお気に入り


下乗橋から本丸に入ると、天守へ直行ルートになる。 その入口に南口券売所があり、ここからは有料。 天守は御三階櫓とも呼ばれ、層塔型三重三階の建物で、現在は独立式ですが、当時は北側に多聞櫓が続いた複合式の櫓でした。 多聞櫓は明治29年までに破却された。 天守の高さは約14.4mあり、現存する三重天守の中では最も低い高さです。 それでも天守の姿を見ると、意外と装飾が多く重厚感があった。

本来ならここで天守を見れる



南口券売所

券売所から先を進むと突当り右手に旧御殿に向かう通路がある。 とにかく追手門から城郭内に入って右に、左に曲がることが多い。 戦いの時に敵の侵入を直線路でなく、右に左に迂回させ少しでも打撃を与えて敵の侵入を阻もうと城郭が構築されていることが判る。 中濠も現在は空濠のようだが、昔は水があったと私は思う。





天守のあった石垣は修復中
天守があった場所の石垣は空濠になり、足場が組まれ重機と機材が置かれ粛々と石垣修復がおこなわれていた。 職人の手際の良い作業風景も貴重な映像で、この先数百年は見ることがないだろう。 本丸の入口から見える御殿跡に移動された天守も同様。
石一つ一つが同じ所に戻される

仮設展望台から撮影


天守台も修復中

さて本丸内には従来天守が存在した場所と、移動された天守の間に仮設ですが天守をある程度の高さから見れる展望所がある。 その展望所から正面には天守、後背には元の天守のあった場所が高所から見学できる。 特に元々天守があった場所は石垣だけでなく礎石の形も映像として撮影できた。 天守は本丸御殿跡地に移動され、これも高所から撮影できて、本来見れない角度から撮影できたのは貴重に思った。

 天守台



仮設展望所から撮影

仮設の展望所から見ると下乗橋から本丸まで知らないうちに高さが上がり本丸の土塁の高さも合わせて本丸が高い位置にあることを知る。 仮設の展望所から二の丸との高さの違いが築城の緻密さを感じる。 これぞ城造りの巧みさを見てとれる。 追手門からここまで石段の無いのが大きな特徴です。

 津軽氏家紋



天守入口

現在の天守は1627年(寛永4年)に大爆発して焼失した五重天守の代替えとして、また当時の国際状況でロシアの津軽海峡往来などの事態を受け、 本丸南東隅の辰巳櫓の改修を名目として建設された。 当時、幕府への配慮から天守とは見なさず御三階櫓として扱われたが、津軽藩では事実上の天守の役割を持っていた。

屋根瓦には寒冷地対策のため銅瓦を葺いている。 東面と南面は一、二層目に特徴ある切妻出窓を設けてある。 窓には狭間窓を配置し小さな天守を華麗で大きく見せる工夫が施され、 城郭内側の西面、北面は破風を付けず連子窓にしてある。 いわゆる質実剛健の天守の様相でした。



天守正面


天守を撮影しながら一回りする。 細部の撮影も忘れない。 天守入口で係員に内部の撮影を可能か聞き撮影許可を貰う。 内部に入って気が付いたのは木材の骨格の他に鉄骨が補強されていた。 これは天守を移動する時に必要な処置と確認した。 長い年月を耐えてきた木造建築物を石垣の礎石上から持ち上げて移動する為、必要な処置だったと知る。



古い木材と…


新しい木材が…

1階には弘前城の歴史や移動した経緯の案内が多い。 内部は外観の印象より狭い空間です。 木造建築特有の大きな梁は少なく、照明の灯りが電球色だったのが空間を狭く感じさせたのかもしれない。 二階に上がると津軽藩の歴史を見れる。 津軽藩の江戸時代の260年間を物語るような資料が多かった。

藩主の駕籠



記念撮影用の羽織




内部を見学して意外に新しい材木が使われている事に気が付いた。 長い年月で、黒光りした艶のある柱は少ないのが気になった。 普通、天守の建築では最高品質の木材や技術が使われるが、ここでは一般の櫓と同程度の木材が使われている。 構造も簡素で、床はすべて板敷きで、畳を敷くことは考えていなかった様です。 初めから外観は天守でも内部は倉庫として利用した。





天井の組格子




移動時の建物の歪みを防ぐため鉄筋が…

最上階には弘前城郭の全体模型を見ることができる。 地理的な観点から城郭を知り、城郭を攻める側と守る側の立場で見ると面白く歴史を見れた。 本丸御殿は模型上では立派に感じた。 天守四方の壁上には日本全国の城郭の写真が展示されていて、いつ拝見しても城郭の夢を見させてくれた。 また城郭内に補強された鉄骨の映像もぬかりなく撮影。 元に戻れば、鉄骨は外されるから貴重な映像です。

天守の景観



岩木山の展望

天守の窓は幅が狭く、デジカメが外側に出しにくかったが時間をかけて撮影。 15時を過ぎ、天候も良くないが再訪した時に役に立つかも知れない。 天守から見た岩木山の山容が今でも印象に強く残っているのは何故だろう。 山頂が特徴ある三つのこぶのある頂上は日光白根山の山頂を思い出すが、いつか妻と登頂してみたいと思った。

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