■ 現存12天守 弘前城の城郭散歩 ■
天守の見学が終了して、この後本丸から城郭内を見学します。 現在15時を過ぎて天候が悪いから夕闇が迫っている。 撮影モードを変更してなるべく明るい映像を残したい。
弘前城は廃城後、津軽氏が城跡を借り受け整備し一般公開した弘前城公園です。 現在は弘前市が所有、管理しているが、当時の津軽氏が青森の歴史資産として管理した事で、現在の観光資源、そして立派な歴史資産としてある。 そんな経緯を知ることも大切だ。


残り時間は約1時間ぐらいだろう。 三脚は持参しなかったので薄暗い中での撮影は難しくなる。 本丸内の城郭を西方向に向かった。 この場所から弘前の名勝岩木山を見ることができる。 何故なら翌日岩木山に向かった時、岩木山観光協会の事務局長と知り合うことができた。 その方によると、岩木山が一番美しく眺望できる所は東側の弘前城ですと教えてもらった。

岩木山の眺望は次回に持ち越し…



鷹丘橋

その場所から撮影や眺望を見れたことが一番の収穫だ。 特に紅葉が最盛でモミジが非常に美しく、陽光が残っていれば最高の夕景を取れたはずだが自然には勝てない! 西側から北側へ北の郭を撮影しながら移動。 本丸戌亥櫓跡は現在東屋となって展望所が設けてある。 ここから北側に北の郭が展望でき、樹林の中に武徳殿休憩所が見える。 そして御宝蔵跡から鷹丘橋や北の郭全体が展望できます。

 武徳殿休憩所

鷹丘橋


本丸から鷹丘橋を渡り北の郭内に入る。 北の郭は本丸に次いで重要な郭で西方と北方は約6mの崖に面していて外周は蓮池、西濠で囲まれている。 武徳殿は明治期に演武場として建築されたが、現在は休憩所として保存修理し、青森、弘前の物産の販売や喫茶コーナーがある。 そのほかに北の郭で発見された出土品が展示されている。

 鷹丘橋



北の郭内

武徳殿は撮影して簡単に見学し、北の郭の子の櫓跡に向かった。 土塁上には藩政時代を通じて三層の櫓があり、中には武具や藩庁日記などが保管されていた。 子の櫓は主要城郭の北東側に位置する重要な櫓と考える。 廃藩以降もその姿を留めていたが明治39年に花火のため焼失した。 誠に残念な事で子の櫓跡にある建物の礎石は意外に大きな礎石で櫓といっても大きな建物だったことが判る。 規模は4間×4間の規模で、二の丸に現存する三棟の櫓と同規模だった。



武徳殿

子の櫓跡の礎石


子の櫓跡入口

北の郭内を本丸の内濠側に移動。 北の郭のこの場所は館神跡がある。 館神は太閤秀吉の木像を安置した場所で、現在は鳥居の礎石、本殿の柱位置などが判りやすく配置されていた。 この場所は津軽氏にとって神聖な場所だったと思われる。 ここだけ北の郭が本丸を囲っているような土塁形態です。





鷹丘橋方向のお濠




館神跡

北の郭が本丸に向かって入り込む形で内濠に面している。 この先端部から本丸の城壁が良く観察できる。 天守のあった城壁方向から城壁の高さが微妙に低くなっている。 藩政時代のままの城壁を観察でき鷹丘橋方向の景観が素晴らしい! お濠の水面には蓮の葉が一面に広がっていた。

鷹丘橋方向のお濠

本丸石垣


奥が天守方向の石垣

このあたりは本丸を北側が北の郭、東側を二の丸が取り囲むような形になり、それぞれがお濠を通して分断されている。 その外側は中濠で囲まれている。 ここに丑寅櫓がある。 二の丸の現存櫓は三棟あり、それぞれが三層櫓です。 他に辰巳櫓、未申櫓があり国重要文化財です。



ここから二の丸に向かう
土塁の内側は北の郭の館神跡

二の丸から見た北の郭の土塁
その丑寅櫓は中濠に面して入り組んだ通路にある。 夕闇迫る中、中濠に向かうと三の丸に入る。 中濠を通して見る丑寅櫓は周りを紅葉に囲まれ一番美しかった。 丑寅櫓を中心に周囲を移動しながら撮影したのが以下の映像です。









下の二枚の映像が撮影した場所で三の丸と呼ばれている。 パンフレットを確認して、この後四の丸に向かう。 門は三の丸追手門、三の丸東門、二の丸南門、二の丸東門、北の郭亀甲門の五棟が築城時の姿で現存し国重要文化財に指定されている。 次に向かうは四の丸の亀甲門です。 北門とも呼ばれるが橋の名称が亀甲橋と記されている。 途中に護国神社があり、反対側はレクレーション広場とあるが実際は工事中で工事囲いがあるから不明。

三の丸と四の丸に架かる橋は賀田橋と呼ばれ、賀田門があった。 弘前城築城当初は大手門(旧賀田城の大手門を移築)として枡形が造られ堅固な備えだったが、 今では影も形も無い真っ直ぐな小さな橋だった。



護国神社


亀甲門内側からの映像

亀甲門の内側から撮影開始。 門の形式、天井、門扉など撮影して外濠まで一旦出てみた。 このあたりの外濠は濠幅は狭く四の丸は土塁で築城されている。 亀甲橋前に古い家屋(石場家住宅)がありお土産店らしき建物がある。 撮影したらオジサンが映ってしまった。 オジサンが気が付き反対を向いてくれて再撮影! オジサンと目が合ってお互いにっこりした!

 外濠へ 亀甲門の天井部分



石場家住宅
亀甲門(外側から撮影)



亀甲橋

亀甲門から四の丸、三の丸、二の丸に再び戻った。 時間が16時前になり本当に薄暗くなってきた。 ISO感度を3200に変更してシャッタブレを少なく設定した。 二の丸に戻り丑寅櫓の内側から櫓を撮影。 手前が遊具のある公園で一部映ってしまう。 遊具公園の隣に庭園があり、さらに進むと与力番所がある。 ここは二の丸東門与力番所で、移築復元された建物です。

丑寅櫓

二の丸東門与力番所
公園を感じさせる庭園

二の丸東門

与力番所と二の丸東門の間に世界一古いソメイヨシノが植樹されていた。 東門は内側と外側から撮影したが、この間修学旅行の子供達が集団でかつグループごとに通過した時はやきもきした。 二の丸を最初の追手門に向かう途中、下乗橋前を通る。 16時を回って本丸は17時までが有料時間で橋上には多くの観光客が残っている。

二の丸東門正面

下乗橋には観光客が残っていた
世界一古いソメイヨシノ


二の丸を最初に来た南内門に戻り、杉の大橋を渡ると追手門はもうすぐ。 植物園ももうすぐ閉園。 駐車場に戻ったのは暗くなった16時半でした。

弘前城公園には明治36年以降、桜の植樹がおこなわれ、現在では約2600本に至った。 かつ東北北部の弘前は桜の開花時期も遅く、花見に適した時期が5月に重なり全国から観光客が訪れる。

今日は黒石市の道の駅から八甲田山、酸ヶ湯温泉、弘前城と目一杯撮影の旅をした。 今夜は弘前市内にある道の駅「いなかだて(弥生の里)」で車中泊。 明日以降の観光ルートから考えると、一旦戻る形になるが、昨日の寂しい道の駅より賑やかな道の駅が恋しくなった。 場所的には弘前と黒石市の間に位置し津軽観光の玄関口にあたる。

その為、弘前城から少し戻る形になり、ガソリンを給油した場所近くだ。 コンビニに寄って食料を買い込みUターンして道の駅に到着。 あたりはすでに真っ暗だが時間は18時過ぎ。 気に入った場所に駐車し、テレビの受像状況を確認する。

車内を片付け、デジカメの充電、撮影した映像のバックアップなど缶ビールとつまみを食しながら明日の準備をする。 一段落してテレビを見ながら食事をしたが缶ビール(500ml)3缶で眠くなってきた。 つまみだけで夕食はまだだが今夜は熟睡できるかもしれない!

inserted by FC2 system