■ 偕楽園 好文亭 ■

好文亭は水戸藩第九代藩主徳川斉昭公が別邸として、また藩内の人々と偕(とも)に楽しむ場として建てられた。 二層三階の建物は柿葺、奥御殿は茅葺、その姿は素朴な風情を漂わせている。

藩主の居所としてではなく庶民と共に利用することを目的とした広い濡縁の間など徳川斉昭の気質がみれる。 水戸空襲で大半を焼失したが現在の建物は昭和33年に復元建築された。


偕楽園の西半分は孟宗竹や杉の鬱蒼とした林の部分があり、好文亭から東半分は景観が一転し千波湖を一望する高台がある。 偕楽園創設の石碑には自然界の陰(西半分)と梅林や高台を陽とし、園全体で陰陽の世界を体現しているといわれる。

9時に開園して私の前に並んでいた10数人ほどが足早に入って行く。 70歳以上は無料で入園できる。 門を撮影して左手に枝垂れ白梅が見事に開花していたが陽光が逆光で撮影位置を変えた。 ここから見える東塗縁の間は逆光で帰りに撮影することにした。

玄関から靴を脱いで入るが混雑していたので好文亭の外側に向かった。 竹垣に沿って進むと露地門がありその先に質素な家屋がある。 ここは待合と呼ばれ何陋庵(かろうあん)の茶席に招かれた客が控える所で、 クヌギの丸木造りで三方は壁、中に腰掛があり斉昭自筆の茶に対する考え方の板額がある。 丁度、清掃の係と会い、見逃しやすい場所をよく見つけたねと云われた。 江戸時代当時、露地門は表門だったと説明を受けて早速撮影。 待合の奥には何陋庵(かろうあん)が正面から見れる。

好文亭入口

左手庭園に枝垂れ白梅

待合
続々観光客が…

露地門(江戸時代当時は表門)

さらに先に…

■何陋庵(かろうあん)…
水屋付属の4畳半の部屋で草庵風茶室。 長押には斉昭自筆の「何陋庵」の額が掲げてある。 茶室入口は織部口(貴人口)で床柱は鹿児島屋久島産のつつじの古木です。

草庵風茶室へ

露地門(江戸時代当時は表門)
何陋庵(かろうあん)


古井戸
玄関に戻ったら人の流れも一段落。 早速中に入る。 おっと、その前に東塗縁の間と古井戸の撮影をする。 玄関は奥御殿から太鼓橋廊下をぬけて東塗縁の間に入る手前にある2畳の部屋です。
東塗縁の間

玄関
玄関への入口

東方向の廊下

ここから菊の間、桃の間と続く。 ここは床が板敷きで調理室として使われていた。 この廊下から庭の景色が良かった。 各部屋の撮影でこだわったのは撮影位置にある。 いつもなら立った状態で撮影していたが、なるべく廊下に座って各部屋が美しく撮影できるように心掛けてみた。

廊下

菊の間

桃の間

奥御殿の造りは10室からなる質素な平屋造りで、藩主夫人などの休養の場だが、城中で出火した時の備えとも云われる。 各部屋の襖絵は東京芸大の先生の作です。 つつじの間、桜の間、萩の間は藩主夫人付きの女性たちの詰所として使われた。

桜の間

つつじの間

紅葉の間

■松の間…
松の間から見える景観が良かったので構図に工夫して額縁の様に撮影してみた。 松の間は藩主夫人の座所及び奥対面室として使われ紅葉の間は控えの間という。

■竹の間、梅の間、清の間…
この三室は明治2年に城下柵町の中御殿から移築したもので、斉昭夫人の貞芳院が明治6年まで住んでいた。 梅の間は奥御殿の中で最も高貴な部屋で、明治以降、皇族来亭の折には休憩室として使われた。
 

松の間から見える清の間、梅の間、竹の間

竹の間
松の間

松の間から菊の間を見る

清の間の濡縁から奥御殿と好文亭を撮影。 高所から見る庭には紅梅が満開です。 東側の縁側には朝陽が燦燦とあたり青空と合わせて気持ち良い見晴らしです。 自分の位置の前方に観光客が入らないように注意して撮影したが、これが意外に苦労する。

清の間の濡縁

奥御殿と好文亭
奥御殿と好文亭

この時間帯はここが一番日当たりが良く、人がいなくて時間があれば縁側に寝転んでいたい気持ちになる。 今日は予報どおり快晴で旅にはピッタリの気温だ! 今年の週末は天候が良ければ自分の都合が悪く、都合が付いた時は天候が悪かった。 こういう時は自然に任せるべきと思った。 無理して強行した旅はいいことが無いとお遍路で学んだ。 この付近から偕楽園の展望が良くなる。 高台から見える庭木や遠方には水戸市の眺望で癒される景観です。

萩の間

萩の間からの景観

桜の間

撮影チャンスを待つうちに今回の旅のプランを確認。 今日は千波湖畔の無料駐車場に駐車し、一日水戸市内を歴訪する。 現在9時半ぐらいだから、この後は偕楽園の観梅と常盤神社に向かう。 その後は一度、車に戻って軽食をとる。 そして水戸駅方面に向かうが水戸東照宮と弘道館の予定。 夕方までは市内をぐるぐる回ってみよう。

そんな事を思案していたら警備員が話しかけてきた。 内容は太鼓橋廊下の説明だ。 ボーっとしていたから我に返った。 話を聞いてみると大変貴重な解説です。 警備員が説明してくれなかったら太鼓橋廊下のからくり窓の事は書けなかったと思う。 弘法大師様のお蔭です。 良い事、悪い事があると、そう思うことにしている自分がいる。 悪い事の時は修行を勧められていると思うことする。 これで腹が立たなくなる自分がいる。 有難い!有難い!

ボーっとして庭園を見ていた

太鼓橋廊下内側
太鼓橋廊下外側

太鼓橋廊下のからくり窓

■太鼓橋廊下…
太鼓型の橋廊下は外側からは太鼓に見えない。 そして奥御殿と好文亭を繋いでいた。 廊下の左側に斉昭公が創案した篠で造った格子窓がある。 この窓は外側からは窓であることが判らないように工夫して造られている。

■華燈口(入口)…
奥御殿から太鼓橋廊下をぬけて好文亭の東塗縁に入る手前に2畳の間がある。 この間の出入口は華の形状のくぐり口があった。 背を屈めなければ通れないが、入口の形状としてはお洒落なくぐり戸です。 2畳の板戸には古歌や色紙、短冊が描かれお洒落な出入口です。

華燈口(入口) 古歌や色紙、短冊の展示   厠(かわや)トイレ

東日本大震災で崩落した好文亭の壁部分が展示してあった。 壁部分の造りは幾層にも重ねて造られていることが良く判る展示だった。 現在は展示通りに復元してある。


東塗縁から庭の景観

東塗縁は18畳の総板張りの漆塗りの広間で、斉昭は藩内の80歳以上の家臣、90歳以上の庶民を招き養老の会を催していたという。 江戸時代で90歳以上の庶民は非常に少ないと思うが、該当した庶民は相当喜んだと思う。 ここで床に座って構図を決めて撮影チャンスを待った。 広間から見える景観を撮影したい。 観光客の流れが一瞬途切れ、チャンスが訪れ撮影した映像がこれです。

東塗縁







御座の間には生け花が…

東西の塗縁の間に御座の間がある。 床の間は無く、簡素に竹の柱が下げてある。 6畳の質素な藩主の間で、それを囲むように12畳の入側を隔てた縁長押には斉昭自筆の好文亭の扁額が掛けられ、 中央に生け花が展示してある。

西塗縁は36畳の総板張りの漆塗りの大広間で、しばしば詩歌の宴などが催していたという。 烈公と伝わる斉昭公の思いを感じる。 ここでも床に座って撮影チャンスを待つ。 撮影した自慢したい映像がこれです。 江戸時代と同じ景観に感じ取れるかな?

西塗縁 西塗縁の景観(自慢したい映像!)

西塗縁の右側の景観
西塗縁の左側の景観

西塗縁右面の紅梅は開花半分(残念!)

西塗縁から対古軒に向かうが、仕切戸に珍しいものを見つけた。 仕切戸の真ん中が細い竹で組んだ網戸の原型の様に思った。 対古軒は4畳半の部屋で雅会や茶会の際、静座して気持ちを落ち着けた部屋です。 そして最初に外側から確認した何陋庵(かろうあん)と通じている。

ここから2階に向かう階段がある。 狭い所で降りてくる人が優先だ! 2階に上がると武者控室がある。 3畳の広さで警護の武士が控えた部屋です。 そして3階への階段を上がると畳敷きの通路がある。

西塗縁と対古軒との仕切戸

…2階の武者控室
対古軒(たいこけん)

…3階に向かう階段
…2階に向かう階段

畳敷きの通路
配膳室

畳敷きの通路に配膳室がありその横に配膳用の昇降機があった。 階下の調理室で作ったお膳や酒肴を運搬する滑車式昇降機だ。 斉昭公の創意工夫を感じる。


配膳用昇降機
畳敷きの通路の窓

■楽寿楼…
3階正面8畳の正室。 東、南、西方向の眺めは絶景で昔は筑波の峰や大洗の松林が見えたという。

畳敷きの通路から回り込むと正室から四方の眺望を楽しんだ。 偕楽園がどんな眺望で見れるか非常に楽しみにしていた。 梅の開花率は4割ほどだが十分堪能できた。 偕楽園には梅林だけでなくツツジ、桜などがあり、春から秋の紅葉まで四季を通じて楽しめる。
   楽寿楼から千波湖と湖畔道の眺望の映像 ⇒


その中で好文亭と奥御殿の屋根の違いについて映像を残した。 手前の好文亭と太鼓橋廊の屋根は柿葺きで奥御殿は茅葺き屋根と云う事が良く判る映像だ!
この後正室に展示してある生け花を撮影。 この時、悪戯心がよぎった。 正室の奥に化粧窓がある。 その化粧窓から生け花を撮影したらどんな感じになるだろうと想像した。

そして向う側に回り込んだら柱に隠れて一人のカメラマンを確認。 思わず目が合ってしまい同じ構図で撮影することを理解した。 彼は柱に隠れて立ってカメラを構えている。 そこで私は柱の低い位置にカメラを構えた。 観光客の流れがあり中々シャッターチャンスが来ない。 それでも階段は狭いし降りる人が一段落するまでは上がってくる人はいない。 その時間を待って撮影したのがこれです。 二人で連続でシャッターを切った。 そしてお互い顔を見合わせて o@(^-^)@o ニコッ♪…。

手前は柿葺き屋根、奥御殿は茅葺き屋根

楽寿楼の正室
南方向の景観

3階から下に降りる時、柿葺きについて映像に残そうと、柿葺きの模型と実物の映像を撮影した。 そして屋根の最上部には竹をピラミッド状に束ねてあるだけの工夫だった。 これで雨漏りを十分防げる工夫がある。 昔々から引き継がれてきた日本人の知恵を見つけた。

柿葺き屋根の好文亭

…10時に撮影した奥御殿
柿葺き屋根の模型

好文亭の歴訪が終了。現在10時になり、これから偕楽園を一回りしようと思う。 朝方、逆光で撮影できなかった奥御殿出入口付近の外観を撮影。 約1時間の滞在でした。

inserted by FC2 system