■ 偕楽園 梅林 ■

日本三大庭園(他、金沢兼六園、岡山後楽園)の中で唯一、庭園の入場料が無料。 水戸学へ帰着する斉昭の愛民精神で庭園は江戸時代当初から領民に開放されていた。 但し好文亭内の入場は有料。(70歳以上は無料)
常磐神社は偕楽園内にあり、徳川光圀、斉昭公を祀る神社。 近世に建立され藩祖を祀った神社です。 偕楽園散策の最後に行ってみます。


■偕楽園のエリア…
偕楽園のエリアは好文亭を含む偕楽園本園の他に千波湖畔のエリア、月池を含む桜川沿いの河川エリア、 桜山から桜川に流れる河川エリア、護国神社や徳川ミュージアムエリアと広大な都市公園です。
好文亭を出て好文亭中門に向かう。 ここを出ると偕楽園の陰に向かう。 両側は竹垣で作られ孟宗竹の竹林に入る。 薄暗くなり陽光は入らない。 これが陰の世界を表すのか! そんな思いで小道を歩いて行く。 好文亭の裏側の映像を撮影。

好文亭中門

待合の家屋
杉林のエリア

散策路から孟宗竹林が見えてきた。 孟宗竹は弓矢の材料としては最適のようで創園当時から植林された。 竹林の反対側は林の間から下方に市街地が見える。 …と思ったらJRの特急が通過。 とっさにデジカメのシャッターを切る。 トコトコ歩いていると一の木戸に到着。 その先を進んで中々重厚な門に到着。 好文亭表門の表札を見て早速、表門の撮影の準備に入る。 観光客が表門前で雑談してるので撮影は待機状態。

孟宗竹林

…JRの特急が通過

表門と紅白梅
下方に市街地

一の木戸

好文亭表門

表門から好文亭に向かうが、後でパンフレットを見ると、観光客は車で来るのが多いから駐車場の完備している千波湖の方から入園する数が多いという。 あらためて表門から好文亭、梅林に向かう。 孟宗竹林のとなりに偕楽園内の施設作業所があり、 ちょっと覗いたら園内の竹垣や補修物が置いてある。 園内を歩いて整備された竹垣の美しさはここで作られている。

好文亭へ一直線の道

孟宗竹林


偕楽園内の施設作業所

中門をくぐり好文亭前に来ると小学校の児童が一人ひとり順番に手作りの偕楽園の紹介をしている。 幟に「こども梅大使」と書いてある。 観光客が子供達を取り囲み熱心に子供の説明を聞いていた。 ハキハキとした立派な説明が続き、最後は観光客の拍手喝采で終了。

好文亭中門 五軒小学校のこども梅大使


偕楽園の中央にある案内所や売店が開店し、この時間帯は多くの観光客で賑わっている。 この後は偕楽園本園の梅林を見ていく。 同じように見えても梅林には固有の名前があると知る。

本園内にある梅林は東西梅林エリアと呼ばれ、朝方の散策エリアは見晴広場と呼ばれている。
偕楽園の梅は品種が豊富なことで有名だが、中でも6種類の梅はその華麗さから六名木と呼ばれている。


その柳川枝垂、烈公梅、月影、白難波、江南所無、虎の尾の梅木は竹垣で囲われている。 これから本園内の東西梅林を散歩。また特別な梅木に拘らず開花が進んでいる梅木を撮影。

東西梅林エリア












パンフレットを見てるうちにこんな文を見つけた。 中国の故事で、梅は「好文木」。 好文亭の名はここに由来する。 そして梅林を後にして常盤神社に向かった。 現在10時20分、売店や路地には多くの観光客で賑わっていた。 とにかく擦れ違いがスムースにいかない。 三脚をたたんで神社に向かう。

常盤神社は水戸藩、徳川光圀と徳川斉昭を祀る。 明治の初めに両公を慕う人々によって祠堂が造られ、その後、明治6年に明治天皇の勅旨をもって 常盤神社の社号を賜り、現在の社殿に建て替えられた。 境内には水戸学の資料や陣太鼓などが展示された義烈館がある。 またNHK大河ドラマの西郷ドンの展示もある。



常盤神社


参拝の人が後を絶たない

■徳川斉昭について…
幼いころから斉昭は学んだ水戸学の立場から強硬な攘夷論を持っていた。 攘夷論は幕末期に広まり、外国との通商反対や撃退して鎖国を通そうとした排外思想で、中国の春秋時代の影響を受けている。 幕末の人材の少なかった徳川家では唯一カリスマ性と行動力を持ち合わせた人物でした。 偕楽園内の常盤神社に徳川光圀と共に祭神として祀られている。

参拝客が多い

本殿後ろにある狛犬
拝殿と本殿

諡号の烈公のように、幕末を荒々しい気性で生き抜いてきた斉昭公。 水戸藩政改革に成功したが将軍後継ぎ争いで井伊直弼との政争に敗れて永蟄居となり死去。 江戸幕府最後の将軍、徳川慶喜の実父です。
常盤稲荷神社




早朝6時半から歩き通しだ! 現在10時40分、これから駐車場に戻り、車内で食事を取る。 喫煙もしたい。 一段落したら水戸駅近くの弘道館に向かう。
inserted by FC2 system