■ 水戸東照宮から弘道館へ ■ |
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白鳥の舞? | 私の車両を駐車した場所 ここは散歩コース |
ここはジョギング道、自転車道 真向いの景観 |
千波湖は一周3q程の湖畔でこの時間は車、自転車、ジョギング、散歩の人が多い。
千波湖の端まで来ると右手に茨城県立近代美術館の建物が見える。
ここを通り過ぎて千波大橋に到着。
千波大橋は千波湖端から常磐線を越えて水戸市内中心部に架かる大橋です。
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偕楽園方向の映像 千波大橋の歩道 水戸駅方面へ…JR特急 |
茨城県立近代美術館 千波湖の全景 …JR車両基地 |
人通りは少ない。道路にゴミが無く日本の国民性を感じる。 暫く歩いて目線を見上げたら左手に石段を発見、鳥居もある。 何だろうと思って擦れ違いに若い通行人に声を掛けた。 水戸東照宮と教えてもらう。 「へぇ〜!水戸にも東照宮があるんだ!」と云う訳で石段を上って水戸東照宮に向かう。 |
| | 水戸東照宮の石段 |
石段をカップルがのんびり上がって行く。 映像に小さくなってから撮影して一気に上って行く。 上がった所を道路が通り石垣の塀と鳥居をくぐると正面に社殿が見える。 日光と同じように煌びやかな社殿です。 正面から撮影。その後、順次境内を撮影。 一段落してから拝殿前に向かい参拝した。 |
水戸東照宮 | 斜めから全景を撮影 |
社務所と手水舎 |
一旦休憩したいがベンチが無い。 奥にベンチがあるが日当たりが良く疲れが残りそう。 そんな思いで境内を再び一回り。 市内の中心に近いから敷地はそれほど広くないが高台にありビル群が良く見える。 時間は12時を過ぎたからお昼時の時間だ。 |
手水舎 御神木 |
社務所 学問の神、天満宮 |
鐘楼に説明があり要約すると、1667年(寛文7年)にそれまでの太鼓による時報に代わって二代藩主水戸光圀公の命によって鋳造され寄進された。 二の丸の門にかけられ時を報せた。 その後、1704年(宝永5年)に東照宮に納められ、城内は再び太鼓の時報に代わったが、 1776年(安永5年)に新しい鐘が造られ太鼓に代わり、元の鐘は東照宮の宝庫に納められた。 明治5年に県庁に移され時報に使われたが、1920年(大正9年)に再び東照宮に戻された。(水戸市教育委員会より) |
神楽殿 鐘楼 |
稲荷大明神 鐘は固定されていた |
鐘楼の先に鳥居があり出入口がある。
こちらから出ると東照宮下のお土産店、商店街がある。
小道から大通に出ると東西南北が判らなくなった。
大通りに出て通りかかりの人に弘道館方向を聞いた。
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三の丸冠木門は現在、三の丸小学校の冠木門として残されている。 当時、武館があり撃剣場、槍術道場、居合、柔術、長刃などの稽古場が連なっていた。 三の丸小学校も校舎や塀を弘道館の歴史的景観に合う様に建設されて粋な計らいだ。 |
三の丸冠木門 |
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正門横から白塀が続く 受付 くぐり戸を… |
弘道館正門 通用門 弘道館正庁(正面から撮影) |
弘道館正庁は特別史跡及び国重文で、歴代の藩主が臨席し、文武の試験などの儀式に使われた場所です。 各部屋の廊下には畳廊下があり、戦火を免れた屋敷です。 正庁を撮影後、最初に屋敷の周囲を散策してみる。 右回りの見学コースの案内があり、それに沿って歩いてみた。 |
弘道館正庁(右側から撮影) ここから見学コースがスタート 古井戸 紅梅が美しい! |
弘道館正庁(左側から撮影) 裏庭へ 平屋だが軒が高い屋敷 正庁の奥殿 |
弘道館の周囲は白塀に囲まれ内側、外側にも梅林、桜があり、満開の梅は所々です。 |
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腰の高さほどの白梅 |
弘道館奥殿の真後ろに来た。 この辺は日当たりが良いのか満開の紅白梅が多い。 |
弘道館至善堂の真後ろには見慣れない黄色の花の樹がある。 全体と接写で映像を残した。 この樹はサンシュユと記されていた。 至善堂には一時期、江戸幕府最後の将軍徳川慶喜が謹慎した部屋です。 |
ふんわか歩道 サンシュユ |
サンシュユ 至善堂 |
至善堂から正庁の方向に回り込む。 青空に紅梅が映えていたので撮影。 正庁の真後ろから真横に来ると手前に広いエリアがある。 正庁内に藩主が、手前で武術などの試験がおこなわれた。 今日は正庁内で琴の演奏会がおこなわれていて撮影場所までその音色が聞こえてくる。 そして縁側には観光客が取り囲んでいた。 |
正庁の真裏 |
正庁が一番美しく見える建物の姿だ! |
再び弘道館前に周遊してきた。 何処かのTV局が来てるのか、そのスタッフがたむろしている。 カメラの位置を確認し、終了したら私も同じ場所に移動しよう。 地元の人のベストアングルを知るには丁度良かった。…そして撮影した映像が以下の映像です。 (人の流れが途切れるまで10分ほど要した。) |
弘道館外側の見学コースが終了した。 入館前に水分補給をして今度は内部の見学に…。 |
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