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■ 古都奈良 真言宗豊山派 長谷寺 ■ |
桜井市に住む義弟宅に行く機会に長谷寺に訪問。 今回、長谷寺のホームページを見て準備した。 東京を21時頃、出発し一路、古都奈良の歴訪に出発。 途中、仮眠をとり長谷寺に早朝の8時頃に到着、早速カメラとメモ帳を持参して出発! 早朝で観光客は少ない。 |
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仁王門(国重文)は長谷寺の総門で1885年に再建。 建築形式は入母屋造本瓦葦で、扁額「長谷寺」の文字は後陽成天皇の御宸筆との事です。 両脇に仁王像、楼上に十六羅漢が安置されている威風堂々の総門です。 長谷寺は平安時代中期以降、観音霊場として貴族の信仰を集め、万寿元年(1024年)には藤原道長が参詣しており、中世以降は武士や庶民にも信仰を広めた。 |
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仁王門から本堂に続く登廊(1650年に建立、回廊)の両側に色々な施設があり確認しながら登壇。 登廊もここで一区切り、この後もう少し上る。 登廊(のぼりろう、屋根付きの階段)5棟が連なる。(下登廊、繋屋、中登廊、蔵王堂、上登廊) |
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ここは二手に分かれ周辺を見て参拝経路を確認。 大和と伊勢を結ぶ初瀬街道を見下ろす初瀬山の中腹に長谷寺は建つ。 初瀬山は牡丹の名所で、4月下旬〜5月上旬は150種類以上、7000株と言われる牡丹が満開になり、 長谷寺は古くから「花の御寺」と称されている。 また枕草子、源氏物語、更級日記など多くの古典文学にも登場する。 中でも源氏物語にある玉鬘(たまかずら)の巻のエピソード中に登場する二本(ふたもと)の杉は現在も境内に残っている。 |
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本堂(国宝)は本尊を安置する正堂、相の間、礼堂から成る巨大な建築で、前面は京都の清水寺本堂と同じく懸造です。 徳川家光の寄進を得て、5年がかりの工事の後、慶安3年(1650年)に完成したのが現在の本堂です。 高さ10m以上ある本尊十一面観音像は本堂の内陣のさらに内々陣に安置されている。 本尊十一面観世音菩薩立像は天文7年(1538年)の再興で室町時代の作品。 10mを超える巨像は国宝、重文指定の木造彫刻の中では最大です。 |
![]() ![]() ![]() ![]() 傾斜した懸造の下部 |
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本堂から初瀬山の西の丘部分へ移動したが、この先境内の一部が崖崩れで通行不可で残念に思った。 三重塔跡には礎石が残されていた。近くに戦後、最初に建立された五重塔が建立されている。 この時期一部の寒牡丹が咲き境内を飾る。 |
![]() ![]() ![]() 五重塔 ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() |
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帰路に般若心経を購入。 読んで、書いてみたい。 仁王門から石畳を降りてゆくと5人の年配の方々がスケッチをしていた。 それぞれ気に入った場所で、思うままに没頭。 声をかけたらグループで、いろいろな所に訪れているとの事でした。 私たちに、夫婦連れで出かける事は良い事だと説教をされた。 奈良の東大寺や興福寺にも行くといいよと教えてもらう。 |
本堂も本尊も大きく、そこまでは屋根つきの長い登廊を登って行く。初瀬山を背にした谷間に広がり、
西国札所でも大寺の一つであろう。ゆるやかな石段沿いに散策して不思議に気持ちが落ち着きました。
又機会があったら他の季節に訪れてみたくなりました。 |
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