■ 古都奈良 真言宗豊山派 長谷寺 ■

家の法事の時、ご住職から総本山の長谷寺を訪れるように強く勧められた。 ご住職もご修行し、年間を通して美しい花々を見ることが出きると聞いて訪れた。
長谷寺は奈良県桜井市にある真言宗豊山派総本山の寺院。山号を豊山神楽院と称する。 本尊は十一面観音、開基は道明上人とされる。 西国三十三箇所観音霊場の第八番札所であり、日本でも有数の観音霊場として知られる。


桜井市に住む義弟宅に行く機会に長谷寺に訪問。 今回、長谷寺のホームページを見て準備した。 東京を21時頃、出発し一路、古都奈良の歴訪に出発。 途中、仮眠をとり長谷寺に早朝の8時頃に到着、早速カメラとメモ帳を持参して出発! 早朝で観光客は少ない。
長谷寺入口

上り坂の境内

受付
総受付

普門院不動堂

境内図

仁王門(国重文)は長谷寺の総門で1885年に再建。 建築形式は入母屋造本瓦葦で、扁額「長谷寺」の文字は後陽成天皇の御宸筆との事です。 両脇に仁王像、楼上に十六羅漢が安置されている威風堂々の総門です。 長谷寺は平安時代中期以降、観音霊場として貴族の信仰を集め、1024年(万寿元年)には藤原道長が参詣しており、中世以降は武士や庶民にも信仰を広めた。

仁王門

両脇に仁王像、楼上に十六羅漢

登廊は3段に分かれ399段

歓喜院

本長谷寺、豊臣秀長公塔への道
扁額

仁王門の先に長谷型の灯篭と登廊

右手に道明上人の御廟塔

歓喜院入口の寒牡丹

宗宝蔵(長谷寺の寺宝蔵)

仁王門から本堂に続く登廊(1650年に建立、回廊)の両側に色々な施設があり確認しながら登壇。 登廊もここで一区切り、この後もう少し上る。 登廊(のぼりろう、屋根付きの階段)5棟が連なる。(下登廊、繋屋、中登廊、蔵王堂、上登廊)

梅心院

慈眼院

登廊の右側

手水舎

金蓮院
寒牡丹が冬支度、奥に天狗杉

月輪院

登廊を振り返る

この先は西方の丘の開山堂に…

金蓮院

ここは二手に分かれ周辺を見て参拝経路を確認。 大和と伊勢を結ぶ初瀬街道を見下ろす初瀬山の中腹に長谷寺は建つ。 初瀬山は牡丹の名所で、4月下旬〜5月上旬は150種類以上、7000株と言われる牡丹が満開になり、 長谷寺は古くから「花の御寺」と称されている。 また枕草子、源氏物語、更級日記など多くの古典文学にも登場する。 中でも源氏物語にある玉鬘(たまかずら)の巻のエピソード中に登場する二本(ふたもと)の杉は現在も境内に残っている。

登廊が続く



本堂の下部

紀 貫之 故郷の梅


登廊から下方の境内

蔵王堂(国重文)

ここから能満院

本堂(国宝)は本尊を安置する正堂、相の間、礼堂から成る巨大な建築で、前面は京都の清水寺本堂と同じく懸造です。 徳川家光の寄進を得て、5年がかりの工事の後、1650年(慶安3年)に完成したのが現在の本堂です。 そして高さ10m以上ある本尊十一面観音像は本堂の内陣のさらに内々陣に安置されている。 本尊十一面観世音菩薩立像は1538年(天文7年)の再興で室町時代の作品。 10mを超える巨像は国重文の木造彫刻の中では最大です。

本堂(国宝)

鐘楼門(尾上の鐘)

本堂に付随する外陣という礼堂


傾斜した懸造の下部
能満院 日限地蔵方向

基礎部分の修復中の本堂

外陣はやや傾斜した懸造

礼堂(外陣)の正面
礼堂の入母屋造本瓦葦

本堂から見える五重塔
本堂から境内全体が…

本堂から初瀬山の西の丘部分へ移動したが、この先境内の一部が崖崩れで通行不可で残念に思った。 三重塔跡には礎石が残されていた。近くに戦後、最初に建立された五重塔が建立されている。 この時期一部の寒牡丹が咲き境内を飾る。

弘法大師御影堂

本長谷寺


五重塔

初瀬山の西の丘から望む本堂

開山堂から本堂の景観

忠霊塔と茶屋(休憩所)

寒牡丹の冬支度

歓喜院
一切経堂

三重塔跡




本願院

開山堂

梅心院の石垣花壇



仁王門前の松

帰路に般若心経を購入、読んで、書いてみたい。 仁王門から石畳を降りてゆくと5人の年配の方々がスケッチをしていた。 それぞれ気に入った場所で、思うままに没頭。 声をかけたらグループで、いろいろな所に訪れているとの事でした。 私たちに、夫婦連れで出かける事は良い事だと説教をされた。 奈良の東大寺や興福寺にも行くといいよと教えてもらう。

本堂へは屋根つきの長い登廊を登って行く、初瀬山を背にした谷間に広がり、西国札所でも大寺の一つです。 ゆるやかな石段沿いに散策して不思議に気持ちが落ち着いた。

仁王門前から長谷寺入口方向

又機会があったら他の季節に訪れてみたい。
ともあれ、この後は義弟のところへ行き、午後から奈良公園に向かう。

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